久し振りにやらかしてしまった。
この先を右に曲がれば着く、と教えてられていた角が見当たらない。
「え…?ここは…」
慣れない廊下で私は足を止めざるを得ず、用意してもらったものを持ちながら辺りをきょろりと見回す。
方向音痴の気がここにきて発揮されてしまうとは…。
「…こういう時は、初めに戻ってもう一度…」
「そなたは誰じゃ?」
そっと打掛をひるがえして戻ろうとした私の後ろから急に女性の声がした。
「東の館に参るとは珍しい者もおるのう。それとも年甲斐もない迷い子か?」
「…その…」
「ほう…身なりはよいではないか。誰じゃと聞いておる、答えよ。」
「…政宗様が室にございます。お初にお目にかかります。」
「…なるほど、そなたが妾に目通りを願い出た怖いもの知らずか。何用で参られた?」
「祝言を挙げてより一度も挨拶に伺うことができず、申し訳ございませんでした。今日は義母上様に…」
「…『はは』などと呼ぶでない。そなたが妾を『はは』と呼ぶことを、あやつは望まぬであろうよ。」
「では…お東の方様、と。今日はお東の方様に贈りたい物があり、参りました。」
「…ほう?何故そのように思うた。…まあ、よい。ここで話しておっても仕方あらぬな。こちらへ参られよ。」
完璧な所作で進み出すお東の方様の後ろにあわてて着いて行く。
できるだけ粗相のないように…政宗様の名を汚さないように。
「して…何故、妾に贈りものなどと考えたのじゃ。」
「今日は母を労り感謝する日なので…お東の方様に感謝申し上げたくて参りました。」
「妾はそなたに感謝されるようなことはしておらぬ。」
「いえ、感謝してもしきれないことをしていただきました。」
「今しがた初めて会うたと言うに…なんじゃ、それは?」
「政宗様を産んでいただいたことです。」
「…妾最大の不覚を感謝していると申すか。随分と肝の据わった女子じゃのう。」
「政宗様が右目を失われたのは致し方なかったことと存じます。代わりにお命と、腹心と、絶大な人心を手に入れられました。私はそんな政宗様に嫁いだのです。が…やはりお東の方様がいらっしゃらなければ、私は政宗様にお会いすることはできませんでした。感謝申し上げます。」
「…ふん。」
「こちらを受け取っていただけませんか?」
そう言って脇に置いてあった盆をお東の方様の前に差し出す。
上にかけられていた布を外せば、どの色が、どの文様が、どの柄が似合うかたくさん悩んだ末に選び抜いた反物が顔を見せた。
「…」
「お東の方様にお似合いになりそうなものを、と懸命に考えました。お気に召されればよいのですが…」
「…ふん。」
会話が途切れてしまう。
初対面である上に、あまり快く思っていない立場側の人間と話すことなどないのだろう。
下がらせてもらおうと私が口を開きかけた時、お東の方様がふと思いついたように私に話しかけてきた。
「…そなたの母御はどのようなお方であるか?」
「私の…母でございますか?」
「そうじゃ。」
「…申し訳ありません。母と共にはあまり過ごしていないので、分かり兼ねます。ですが、厳しい人でした。」
「ほう。」
「今でも母の心がよく分かりません。普段は我が子よりも己の責務を優先していて…」
お母さんのことを嫌っていたわけではない。
けれど、仕事を優先していた彼女を慕いきれなかったのも…おそらく事実だ。
それでも思い出を口にする私を、お東の方様は黙って聞いていた。
「…やはり、母のことはいま一つ分かり兼ねます。申し訳ありません。」
そう言って話を終えた私に、お東の方様が鼻を鳴らした。
「そなたは愚か者か。」
「え…?」
「そなたの話を聞いていれば誰でもそう思うであろうぞ。…そなたの母御はそなたを慈しんでおられるではないか。なぜ分からぬ。」
「そう…なのですか?」
「そなたは愛されておる。それが分からぬとは、母御が不憫でならぬ。そなた、早う子を産むがよい。さすれば母御の気持ちも分かるであろう。」
「…もっと笑みを見せてほしかったです。子というものは母の笑みを見れば安心するものですので。」
「左様なものなのか?…いや、そうであろうな。妾にも幼き頃があった故、分からぬでもないわ。」
「はい。政宗様もきっとそう思われていた…と、思います。」
「…あやつは妾を嫌っておる。」
「そんなことはないです。」
「ほう…言い切りおったな。自信があるようじゃのう。」
「はい。この反物は政宗様から助言をいただいて選んだものだからです。」
「…」
「お東の方様の好みを聞くと、迷うことなく色や文様を挙げられていました。きっと…お東の方様を想われているのでしょう。」
「…あり得ぬわ。妾はあやつをこの手で遠ざけたのじゃ。あやつが憎むことはあっても、想うことなど…」
「お二人を羨ましく思います。どんな感情であれ、近くにいられるのですから。私は…母が私を慈しんでくれていたのなら、もっと孝行するべきでした。政宗様はまだまだそれができます。…羨ましいです。」
「そなた…」
「…お東の方様。やはり『義母上様』とお呼びしてもよろしゅうございますか?」
「…勝手にせよ。」
「ありがとうございます。」
険が取れたような声に肩の力が抜けるのが分かった。
義母上様と少し近づけた様な気がして頬が緩む。
そんな私を見て、義母上様は呆れたように目を細めた。
「母上、政宗だ。邪魔するぜ。」
急に掛けられた声と共にスパンと小気味よい音を立てて襖が開けられる。
その先に政宗様が不機嫌そうに仁王立ちしているのを見て、義母上様の眉間に皺が寄った。
「…先触れぐらいせよ。」
「Ha. そんなことしたら、アンタは俺に会わねえだろ?」
突然に訪れた政宗様が自嘲気味に口端をあげた。
ズカズカと部屋の中に入り、ドカリと私の横に座る。
「…桃、話は終わったんだろ?部屋に戻るぜ。」
「え、あの…」
「母上、失礼する。」
母親の部屋に来たというのに部屋の主には話かけようとしない政宗様に、義母上様が不機嫌そうに眉を顰める。
その不機嫌そうなままの表情で義母上様は私に確認するように尋ねた。
「…これでもか?」
「これでも、です。」
「笑いかけてほしい、と?」
「はい。」
「…信じられぬわ。」
肩を竦めて息を吐いた義母上様に小さく笑えば、もうよいとあしらわれる。
「いくがよい。」
「失礼致しました。またお邪魔させてください。」
「…ああ。」
「ありがとうございます。」
「Hey, honey. そこまでだ。行くぞ。」
言うや否や、政宗様は私を姫抱きにしてさっさと歩き出す。
驚顔の義母上様に政宗様の肩越しに会釈をして失礼すると、私を抱える腕に力が入るのが分かった。
「…足、何ともないか?ずっと正座をしていただろ。悪くしてないか?」
「え…?ありがとうございます。痺れていますが、そのほかは特に…」
「そんなことだろうと思ったぜ。俺が連れ去らなかったら、あのまま母上から辞すことができなかったろ。」
「…」
「図星か。情けねえな。」
「申し訳ありません…」
「…何で母上に会いに行った?」
「義母上様に感謝申し上げたかったので…」
今日は五月の第二日曜日。
母の日、労いと感謝を表す日なのだから。
「…嫌なことを言われなかったか?なんせあの人は俺のことを嫌っているからな。」
「義母上様に呆れられてしまいました。私の母のことを話したら、『なぜ母御の気持ちが分からぬのか』と。私を慈しんでいるからこそ、厳しい態度を取っていたのだと。…義母上様もきっと同じ思いで政宗様に接していられたのだと思います。」
「Ha, どうだかな。」
「早く子を産むように言われました。そうすれば母の気持ちも分かるだろうと…」
「…」
「政宗様…?」
黙ってしまった政宗様に首を傾げる。
分からないまま近くにある顔を見ていれば、急に視界が遮られた。
「…っ!」
「何だ、こういうことだろ?」
柔らかな感触の後に、整った顔がすぐそばで意地悪く笑う。
「ちっ…違います!」
「そうか?ああ、もっとイイ事をしなきゃ駄目か。」
「ちがっ…!」
クツクツと笑いながら足早に自室へと向かう政宗様の腕の中でもがいてみても、彼にとっては何でもなかったらしい。
「桃から誘ってくるとは珍しいな。」
「ですから、そういう意味では…っ!」
「そういう意味ってどういう意味だ?」
「っ…!」
「顔が赤いぞ。愛いヤツ…」
床の上に優しく倒された私の上に政宗様が覆い被さった。
隙間がなくなれば、私は翻弄されるしかなくなる…。
2015.05.01. UPIT
2016.05.08. EDIT