
Main
花は輝き月は笑む 番外編
甘露の日和 01
「桃。」
己が夫に呼ばれた桃花はゆるりと顔を向ける。
そこには少年の面影はどこにもなく自信に満ちた顔つきをした精悍な政宗が、脇息に凭れかかりながら漆の盃を傾けていた。
初めて彼に出会った時は、刃のような鋭さに身の竦む思いをしたものだ。
だが正室として伊達に嫁ぎ政宗と共に過ごしていくうちに、彼の懐の大きさに惹かれるようになった。
17歳で家督を継ぎ、竜王として着実に領土を広げながらも安定した統治をしているだけある。
少年特有の危うさを消して青年特有の余裕を身に付けた政宗は、ますます家臣や領民の心を掴んでいる。
その中の筆頭たる人物が桃花だった。
桃花も奥州に嫁してきた頃は己の内側に誰も踏み込ませず、飾りだけの正室になるかもしれないと伊達三傑をはじめとした家臣達に不安を与えていた。
だが彼女の一言が政宗の心を解かし、彼は桃花を誰が見ても大切に扱うようになった。
その想いに桃花もまた応えた。
儚い美しさで大切にされていた少女は、当主の愛を一身に受ける女性としての誇りで花が咲き、子を産み守る母親として芯が太くなった。
気がつけば互いに想い合う夫婦となったのだ。
「虎菊はもう寝たか?」
「はい。」
「Okay. なら、こっちに来いよ。」
戦国の世では異例の事。
桃花は己が生んだ子を、その手で育てていた。
すやすやと眠りについているのは政宗の嫡子、虎菊丸。
その頬に唇を寄せ愛らしい寝顔を堪能してから、桃花は音を立てぬようにそうっと戻ってきたところだった。
政宗は桃花を片時も離さず、二人の自室の間に家族で過ごせる共同の場を作った。
寝間着の上に打掛を羽織っただけの格好で呼び寄せた夫のそばへ行くと、桃花は大きな手から銚子を取りあげた。
「お休み前に飲み過ぎると、体に毒となりますよ?」
「固え事言うなって。ほら、honeyも飲め。」
「私は、っ…んぅ…」
顎を掴まれ上向いた唇が塞がれ、口に含まれていた酒を流し込まれた。
そのまま舌で遊ばれ、息ができずに喘いでしまう。
酸欠と酒気で朦朧となった桃花の口端に引かれた透明な線をべろりと舐め上げ、政宗はニヤリと笑った。
「…美味いか?」
「…知りません。」
「俺は美味い。桃のその顔が何よりのつまみだ。」
そう言いながら差し出された盃に、桃花は仕方のないお方と苦笑しながら中身を注ぐ。
戦のない世の中になり平穏に過ごす中、一日の終わりはいつもこのように二人だけの時間をゆるりと過ごしていた。
「そう言えば、虎のおっさんから文が届いていたぞ。」
「まあ、父上からでございますか?」
「Yes. 猿が届けたに来たんだが、アンタのところに寄っていかなかったのか?」
「お会いできました。水菓子を持ってきてくれたので、子達と美味しくいただきました。」
「アイツ、またっ…!」
「佐助さんからは特に何も聞きませんでしたが…あの、父上は何と?」
…何かあったのかしら?
もうずっと平和だったのに、何か不穏な動きでも…?
それとも、信玄様のお体に何か異変でも?
倒れられたりした…とか?
まさか、幸村様に!?
頭の中を悪い事ばかりが過る。
眉を顰めてしまった桃花に、政宗は苦笑った。
妻の手から銚子を取ると己が持っていた盃と一緒に箱膳へ置く。
それから肩を抱き寄せ、背に流れる黒髪を手で梳いた。
「そう難しい顔をするな。そんなnervousな話じゃねえよ。」
「では…?」
「虎のおっさんがな、桃に会いたいんだと。」
「え?」
「俺のところに来てから一度も甲斐へ戻ってないだろ?真田達には会ってるが、虎のおっさんには会ってねえ。」
「え、ええ。」
「だからな、虎のおっさんが甲斐へ来ないかと文を寄こしてきた。ああ、甲斐じゃねえな。上田だ。」
「父上が…」
「なんだ、嬉しくねえのか?」
「いえ、嬉しいです。思いもしなかった事なので、驚いて何も考えられないのですけれど…」
その通りなのだろう。
桃花は呆気に取られたように政宗を見上げていた。
妻の様子にクツクツと笑いながら梳いていた髪に口付ける。
「虎菊も一人で馬に乗れるようになったし、末の竹松もアンタの乳から離れただろ?三人で訪れるいい機会だ。」
「ですが、政宗様が奥州をお留守にしても問題ないのですか?」
「No problem. ずっといなくなるわけじゃねえし、大事ない。小十郎も綱元もいるし、喜多だっている。」
「成実様は?」
「アイツは役に立たねえよ。」
「まあっ!」
従弟を簡単に切り捨てた政宗の言葉にクスクスと笑いを零しながら、桃花は優しい温かさに身を預けた。
「嬉しいです、政宗様。」
「ああ。」
「ありがとうございます。」
「It's my pleasure. アンタもだいぶ俺の扱い方が分かってきたようだな。」
「え?」
「しな垂れかかってくるとは…なあ?」
「えっ、あっ…!!」
「子等も寝たし、邪魔はいねえ。…な?」
強請る甘い瞳の中にある雄の焔を隠そうともせず。
器用に打掛を滑り落とし。
逃れられない雰囲気を仕立て上げる。
それから政宗はもう一度、な?と囁いた。
気恥ずかしそうにうっすらと微笑んだ桃花は背の君の後頭部に両手を回す。
するりと解かれた眼帯が床に落ちれば、二人だけの時間の始まり。
政宗は口角を上げると桃花の首筋に顔を埋めた。
2016.12.12. UP
← * →
(29/42)
夢幻泡沫