二宮隊の作戦室には鳩原未来の私物が入ったダンボールがある。それは部屋の隅っこにある空間に押し込むように積んであって、否応なしに存在感を放っているそれを隊員たちは忘れた事がない。———ただ、話題に出ることが滅多にないと言うだけで。
 氷見は最初オペレータールームで感じた違和感の原因を言葉にする事が出来なかった。部屋に足を踏み入れた瞬間に感じたそれに首をかしげるものの、部屋の中は昨日と同じに見える。多少ものの位置が変わっているかもしれないが、家具の場所が変わっているとか新しく花が飾ってあるとかわかりやすい変化は無かった。そもそも二宮隊に花を飾る趣味の人間はいなかったなと思って少しおかしくなる。
 そんな風に考えながら作戦室を眺めていたが、時間が経てば経つほど強くなる居心地の悪さにに戸惑いを覚えた。この部屋には何か間違ったものが紛れ込んでいる。そうでなければ私がこの部屋にとって不要なものだ———そんな拒絶感を孕んだ違和感だった。
 作戦室の中を歩き回って、鳩原先輩の私物をまとめたダンボールの一番上の箱が開いているのに気がついた。たったそれだけの事に、みぞおちがきゅっとするほどの不安に襲われた。
「誰か鳩原先輩のダンボール触った?」
「鳩原ちゃんの?まさか」
 たまたま作戦室にいた犬飼先輩に確認を取ってみたけれど、予想通りの返答だった。それはそうだろう。鳩原先輩がいなくなった時に何か手掛かりになる物がないか徹底的に探したのだから、今更残された私物を確認する理由なんてない。先輩は私たちと過ごした日々を丸ごとここに置いて行ってしまったのだ。
「辻ちゃんも知らないと思うよ?」
 犬飼先輩がオペレータールームに顔を覗かせながら言った。二宮さんは言わずもがな、と言う意味だろう。どうかしたのかと問う先輩に首を横に振って答える。
「ガムテープが剥がれてるのが気になっただけだから。大丈夫」
「そう?じゃあ俺行くね」
 部屋から出て行く犬飼先輩を見送ってデスクの引き出しを開ける。確か鳩原先輩の荷物を詰めた時に使った使いかけのガムテープが入っていたはずだ。粘着力の強い布ガムテープを取り出すと、中途半端に開いていた蓋の部分を閉じてしっかりとガムテープを貼り付けた。
 そこでようやくこのダンボールには過去に封をした形跡がないのに気がついた。氷見は先ほどまで薄く開いていたダンボールを開いて中身の確認しなかったのを後悔したが、目の前にあるこれをひとりで開けるのだけは絶対に嫌だと思った。

◇◇◇

「———以上だ」
 ミーティングの後二宮は質問はあるか?と言う主旨の視線を隊員へ送った。
「ありませーん」
 犬飼の明るい声で解散となる。氷見は作業中だったデータを保存しようとオペレーターデスクへ向かった。
 ズッと何かが視線の端で動いた気がして立ち止まる。部屋を見回すと、また、あの違和感だ。今回はすぐにダンボール箱へ注意を移す。案の定、一番上のダンボールは蓋が開いていた。
「うそ」
 あんなにしっかりとガムテープを貼り直したのに。こう何度も勝手に箱が開くなんて。頭の中で勝手に怖い話の記憶が再生される。物を勝手に動かす心霊現象や部屋の中に潜むストーカー。でも、ボーダー本部に幽霊も恐ろしい人間もいるはずがない。彼女は浅い呼吸を繰り返した。
「ひゃみさん、どうかした?」
 悲鳴こそあげなかったものの、普段と違う様子の氷見に辻が声を掛ける。
「つ、辻くん。あの箱って何が入ってるんだっけ?」
 氷見は真っ青な顔で部屋の角を指差した。辻は氷見の質問の意味を図りかねて彼女の表情を見返した。
「どうした」
 二宮と犬飼もオペレータールームへ入ってくる。黙ったままの二人を見て、二宮が言った。
「不要なものを取っておく必要はない」
 二宮の視線が部屋の隅にあるダンボールへと注がれている。
「でも、」
「鳩原の荷物は下のダンボールだろう。一番上はなんだ?」
 そう言われてから、ダンボールの数が増えているのに気がついた。違和感の正体はこれだったのか。指摘されるまで気が付かなかった事に愕然とする。
「着ないものなら捨てろ。服が入っている」
 氷見は二宮から渡された箱を受け取った。中身を覗くと、たしかに服が入っていた。それは見るからに女性用の服だが、全く心当たりがない。自分のものではないし、鳩原先輩の趣味でもなさそうだった。それに。
「随分汚れてますね……」
 乱雑に畳まれた服は一目見ただけでもわかるほど、あちらこちらが変色していた。
「捨ててきます」
「ありがとう辻くん」
 中に入っている服は一着だけだったので、ビニール袋に入れて口を縛る。ダンボールは折りたたんで、資源ゴミに出せば良いだろう。
辻くんと二宮さんが出て行った部屋の中で、やっと息ができる気がした。これで違和感に悩まされる事もない。うむ、と頷いた所で隣にいた犬飼先輩が静かなのが気になった。

「あれってなんで……というか、いつからうちにあったんだろうね?」
 ずっと黙っていた犬飼先輩がぽつんと呟いた。
                                                              だれかのわすれもの/了