ある晴れた土曜日、鈴鳴支部のリビングルームには低い唸り声が響いていた。
「来馬先輩。聞いてもいいですか?」
「うん?何かあったの」
 ソファーに座りウンウン言いながら頭を抱えている太一に声をかけようかどうか迷って数分、太一の方から話を切り出してくれたのに安心して隠れてひと息吐いた。
「耳にバナナが詰まっているってあるじゃないですか」
 話をしてくれたのは良いものの思いがけない話の方向性に驚く。昔のテレビCMでそんなシーンもあったけれど太一が最近それを知ったとは思えない。伊丹十三の本でも読んだのだろうか?
「えーっと、アンチクライマックスの説明で使われたお話のかな?」
「なんですかそれ?!」
 ソファーから身を乗り出した太一を慌てて座らせる。ぶつかった振動で机の上のタンブラーから飲み物が溢れるが、紅茶はすでに冷めていたみたいだった。太一のズボンが少し濡れてしまったが、火傷しなくてよかったと胸をなで下ろす。本部に提出する書類に染みがついてしまったのは謝れば大丈夫だろう。……たぶん。
「ごめん、違うなら良いんだ。太一はえっと、耳にバナナが詰まっちゃったの?」
自分で質問しながら流石に可笑しな事を口にしているなと苦笑する。
「バナナじゃなくて餅なんですけど、餅もそのアンチなんとかなんですか?」
「うーんと、ごめんね。最初から話を聞いても良いかな?」
 いつもの帽子をかぶっているので耳に何か詰まってるのかは分からなかったけれど、会話が出来るので耳は聞こえているのだろう。話についていけなかったぼくは、太一に事の始まりから聞く事にした。
「一週間くらい前に実家に帰らせて貰ったじゃないですか。その時おれ以外にも、ばあちゃんの知り合い?親戚?が家に来てたんですけど……」
 そこで太一は一旦口を閉じた。思い出すように天井を見上げる。
「その人はスーツを着た男の人で、年齢は父親よりも年上だと思います。父さんが敬語を使っていたので。そんなにしょっちゅう親戚とあっているわけじゃないので、はっきりわかんないんですけど、たぶんおれは初めて見た人でした。いえ、別にその人が来たのは偶然で、おれはたまたま顔を見せに行ったんだったと思います。急にばあちゃんに言われて家に行ったので。
 あ、それで家に帰ったらその人がいて、なんか話してるなぁとは思ってたんです。玄関まで話し声が聞こえてたんで。でも内容までは特に気にしてなくて。おれには関係ないだろうなって。んで、普通にただいまって言いながらリビングに入って、そしてたらばあちゃんが慌てて耳を餅で、って言ってもあれです。乾燥した?一つずつパックされてるやつです。それで耳を塞いだのでおれびっくりして。これはなんだろうって思ってたら、ばあちゃんが部屋に行ってろって手で示したのでその餅を持ったまま部屋に行きました。そうして部屋の中で待ってたら母さんが部屋まで来て、その餅を「今日中に自分で食べるか、川に流しないさい」って言ったんです。よく分からないけど「ふーん」って思ってそのまま支部に戻ってきたんですけど、あ、そう、家を出た後にその男の人に会ってお団子を貰いました。なんかあんまり美味しくなかったです。固くて。えっと一粒だけ貰ったのでその場で口に頬張って戻ってきたんです。おれなんだかすごく支部に帰りたくってそれしか考えられなくて……で、たぶんその日から夜、寝ている時に誰かが部屋に入って来ようとするんですよ。えっと、ノックの音がするんです。でもおれすごく眠くて声も出ないし、ドアを開けたこともないです。でもそれってやっぱ変だなって思って。さっき今先輩に言ったら盛り塩?しとけっていうんでやったんですけど。あれ?おれ何を聞こうと思ってたんでしたっけ?」
 そこまで一気に話した太一はぼんやり窓の外へ視線を移した。特に変わったものは見えないはずだが、黙って景色を見ている。ぼくは話を聞きて思いついた仮説を太一に話すべきか迷った。その仮説が合っているかどうかは関係なかった。むしろ全て勘違いならいいのに。
 喉がぴったりとくっついたみたいになって、唾を飲み込む時にごくりとわざとらしく音がなった。
「そのお餅はどうしたの?」
「あ!まだ部屋に置きっぱなしです。あちゃ〜、忘れてました」
やっぱり。そう思ったけれど、声には出さなかった。
「来馬先輩、太一が……あれ?」
ぱたぱたと急いだ様子でリビングに入ってきた今は面食らったかのように、踏鞴を踏む。
「あ、今先輩!盛り塩やりましたよ!!」
「太一、部屋にいるんじゃなかったの?」
太一が元気に話掛けたのにも関わらず、不安そうな表情の彼女に嫌な予感は広がっていく。
「おれ、さっきからずっとここにいましたよ」
 そして嫌な予感は厭な現実を引き寄せるものだ。彼女は太一が本物なのか頰を引っ張りながら話した。
「太一の部屋から、可笑しな物音がして。何度も呼んだのに出てこないし、ドアには鍵がかかっているみたいだったから、何か合ったのかと思って。今心配した鋼くんが部屋の前に……」
窓の外は日が暮れて茜色の夕日がカーテンの隙間から差し込んでいる。夜はもうすぐそこまで来ていた。
「たぶん、入ってきた『何か』を閉じ込めちゃったんだと思うよ」
「え?」
「でも太一が無事で良かった。そのお餅は後でなんとかするとして、今日はぼくと一緒に寝ようか」
話について行けない二人はただただ来馬の顔を見上げた。
「そうだ、鋼を呼んで来ないと。万が一でも扉を開けちゃったらまずいからね」
そうやって微笑んだ来馬に、今と別役はお互いの顔を見合わせてぽかんとした。
                                                                                                                            ついてきたもの/了