小荒井登と奥寺常幸が作戦室の扉を開けると、室内は真っ暗だった。
「ねえ、コックリさんって知ってる?」
「摩子さん!」
 電灯のスイッチを手探りで探している途端に、奥の部屋からひょっこりと顔を出した人見に驚く。驚かした張本人は堪えきれない笑いを浮かべて、DVDのパッケージを顔の横でぺこぺこと左右に振った。
「また怖いの見てたんすか〜?あ、この前太一がもがっ」
 言い切る前に横から肘が飛んできた。相手は確認しなくてもわかる。隣にいる奥寺の肘である。何すんだよ!と抗議の声を出したところでもう一発食らった。思いっきり睨みつけた所で奥寺の顔に「余計な事は喋るな」とデカデカと書いてある。何だか良く分からないけれどその異様な迫力に口を噤んだ。
(摩子さん怪談とか好きだと思うんだけどな〜)
「それで狐狗狸さんでしたっけ?やった事は無いですけど、たしか降霊術の一種なんですよね」
 奥寺はオレの視線を無視して、摩子さんに話の続きを促した。仕方なく机に置かれたDVDのパッケージを眺めていると、夜の学校(異様に不気味な雰囲気を醸し出している)と怯える女の子の顔が印刷されているので、どうやら摩子さんが見ていたのは学校の怪談的なやつらしい。
「んー、日本だとそう信じられてるのかな?私はテーブル・ターニングから派生したものだと思っているんだけど」
「テーブル……?」
「えーっと、それは置いといていいや。でもそっか、君たちもやった事ないか……」
「小学校の時に女子がやってたイメージですね」
「やってるところ見た?」
「ちゃんと見てた訳じゃないですけど……。でもべつに何も不思議なことは起こらなかった気がしますよ。誰が誰を好きか———みたいな、噂話と占いの間くらいの軽いノリでしたし。誰かが動かしてたんだろうなぁって感じで。それでも盛り上がってましたけど」
顎に指をかけ思い出すような仕草をしながら話す奥寺を摩子さんが真剣にジッと見つめる。
「ふうん。あのさ、これからちょっとやってみない?」
「「えっ?!」」

 白いコピー用紙の上部その真ん中に鳥居のマークを書く。その下に「はい」と「いいえ」、数字の0から9に五十音表。それに———
「あれ、硬貨って10円なんですか?」
人見が机の上に出したのは昭和五十二年と記載された黒っぽい十円玉だった。
「五円と十円派があるみたい。今日はお財布に十円しかなかったからこっちで」
「へぇー、なんか色々準備がいるなんて面倒ですね。いでで、」
「ふふ、準備が大変な方が儀式っぽい気持ちになるんだろうね」
奥寺と小荒井のやり取りに人見は仲が良いなあと微笑ましい気持ちになった。彼女の視線に気がついた奥寺が照れたように「ごほん」と咳払いをする。
「別の紙に先に質問を書いておいて、もし反応があった場合に答えをメモしていくのはどうですか?」
「それいいかも」
頷く彼女を見て、奥寺はもう一枚紙を机の上に出した。
「あ、オレこの前の新人について聞きたい!」
「そんなの狐狗狸さんにわかるのか?」
「んー、コックリさん自身について聞きたいな」
 三人で狐狗狸さんに聞きたい事を話し合って、箇条書きでメモをとった。それから本番を始める準備は各自出来たかと目配せで伝え合う。声を出してはいけないルールでは無いのに、何だか物音を立てるのさえ躊躇う。
 十円玉を鳥居の中へ置き三人の指で押さえた。やってみるまで分からなかったが、十円に複数人の指を置くというのは結構難しい。どうしても触れ合う指先に気兼ねしてもぞもぞしていると「絶対に途中で離さないでね」と摩子さんが言った。頷いてから無言で始まりを待つ。動かさないように力を抜きつつ指が離れないようにする、たったそれだけの事なのに緊張している自分がいた。
 電気を消した薄暗い部屋の中で、三人分の息遣いだけが聞こえる。

「コックリさん、コックリさん、どうぞおいでくださいませ」

 摩子さんの美しい声で、人生初のコックリさんは始まった。
 まさか本当に動くとは思っていなかったのだが、目の前にはするすると紙の上をすべる硬貨がある。それでも質問に答えるように動く十円玉に超自然的な力が働いているとは思えなかった。
(無意識に力が入ってんのかなあ)
 奥寺と小荒井の考えた質問が終わったあとに、人見がいないはずのモノに向かって問いかける。もう占いでもなんでも無くなっていたが、相手は特に気にする素振りもみせず淡々と答えを差していった。

あなたはどこからきましたか?
———そと
あなたは幽霊ですか?
———ほか
あなたはだれですか?
———し
あなたはいまどこにいますか?
———なか

 その瞬間に冷たい水を頭から被ったようにぞぅっとして寒気が全身を駆け巡った。反対にほの暗い部屋の中には妙な熱気が籠って息苦しい。短い呼吸を繰り返す中で、コックリさんの返答を反芻する。「なか」って一体どこのことだ?……まさかこの部屋の中じゃないだろうな、と考えた所で痺れるようだった十円にのせた指の感覚がなくなっていく。それに「し」って「死」ってことなのか?
「コックリさん、コックリさん、質問に答えて下さりありがとうございました。どうぞお帰りください」
 目の前にいる摩子さんの張り詰めた声が嫌にくぐもって聞こえる。その白んだ指の下にある十円はさっきまでの勢いをなくして全く動く気配がない。もう一度摩子さんがお願いをする。
「コックリさん、コックリさん、お帰りください」
それでもなお十円玉は微動だにしない。むしろさっきまで動いていたのが嘘みたいだった。
「コックリさん、コックリさん、速やかに元の場所へお戻り下さい」
 人見は誰に祈ったらいいのか分からないまま目をキツく閉じた。口を動かす事に疲れ切っていたが、止めることの方が恐ろしかった。
「コックリさん、コックリさん、元いた場所へお帰り下さい」
 繰り返される声が念仏の様になってきた頃、ようやく指先がスッと動いた。十円玉は何もなかったかの様に鳥居の中へ入っている。
 それ確認する一拍の間の後、「はぁ〜〜っ」と盛大なため息が漏れた。
「これでもう離して良いんですよね?」
 人見が頷くのを見てから奥寺は指を離した。息苦しさは無くなったものの薄気味悪い雰囲気はまだ部屋中に漂っている。
 摩子さんが「びっくりした〜」と言いながら使っていた紙をびりびりに破く。文字が読めない程小さく細かく裂く。それを見て、あれをそのままゴミ箱へ捨てるのは不味い気がするもんなと思った。

「ぅわっ!なんだ、おまえら電気も付けないで……」
 パチっと音を立てて作戦室が蛍光灯に照らされる。真っ暗ではなかったものの、少し眩しい。
「東さん」
 声を掛けると東の視線は机の上に置きっぱなしになっていたDVDのケースに注がれていた。彼はなんとも言えない複雑な表情をしている。
「作戦室で映画を観るなとは言わないが、鍵を掛けるなら連絡してくれ」
怒るでもなくそういった東を、その他の三人は驚いた顔で見詰めた。
「相当集中してたみたいだな。そんなに面白いのか、これ。部屋に入れないから何度かノックして、携帯にも連絡入れたんだが……」———気がつかなかったんだろ?と言われて一度去ったはずの恐怖が再び襲ってきた。絶対にあれの最中に物音などしなかった。
 携帯を確認していた奥寺も首を左右に振っている。差し出された端末の画面を確認すると着信は確かに入っていたが、ここにいる三人は誰もそれに気がつかなかった。薄暗闇の中着信があれば液晶の明かりも見逃す筈がない。奥寺の携帯が時間差で東さんからのメッセージを受信する。
「いまどこにいるんだ?」
オレたちはあの時どこか別の場所にいたんだろうか。
「東さんにこの件は黙っておこう」
なんだか良く理解出来なかったが、摩子さんの提案でこの事は三人の秘密になった。
                                                                                                        狐狗狸さんと遊ぼう/了