香取隊が防衛任務の日のシフトに入っていない平日に、染井華はオペレーター用のパソコンに向かっていた。防衛任務は基本的に同じ周期で回ってくるし、本部から特別な通達が無い限り切迫した状態にはならない。そう分かっていても準備に時間を掛けるのをやめるという選択肢は無かった。———彼女が『未来視』をそれ程信用していないという事もあるが、自身がオペレーターで前線に出ない以上、事前の準備で手を抜きたく無かったからである。想定外の事態に遭遇した時に、トリオン体とは言えど、傷を作るのは華以外のメンバーなのだ。それを誰かのせいにしたくなかった。
「葉子、それどうしたの?」
「別に」
 他のメンバーがランク戦や防衛任務がない日に作戦室へ来る事もない訳では無いが、その日香取葉子は片目に眼帯を付けて現れた。それに関係があるのかないのか、彼女の顔にはあからさまに「不機嫌です」と書いてあった。
(葉子の機嫌が悪いのはいつもの事だけれど……)
良くも悪くも彼女は素直でわかりやすい。聞いて欲しいことがあるから本部まで来たのだろう。そう言えば、最近眼帯をした人を見かけた気がする。
「嵐山さんの隊の子も眼帯をしていたわね」
「はあ?なにそれ」
「思い出しただけ。それは、ものもらい?」
「そうだけど。別にそれはどうでもいいわけ」
てっきり眼帯があるせいで不自由を強いられているとか、目が痛くてゲームが出来ないとかそういった理由だと思っていたのにそうではないらしい。葉子は倒れるようにお気に入りのクッションへ身体を沈めた。
「じゃあ、なに?」
「昨日家に矢が刺さってたの。意味わかんないでしょ?」
「矢?」
「写真撮ってきた。それもだけど、誰かが作戦室うちの前ゴミを捨ててったのよ!気が付かなくて蹴っ飛ばしちゃったの、そしたら靴が濡れた。本っ当サイアク!」
「ちょっと待って。どういうこと?」
 要領を得ない葉子の話をまとめるとこうだ。一昨日の夜、目が腫れて痛んだ彼女は昨日学校帰りに病院へ寄って帰った。母親に付き添ってもらったのだが、帰宅すると兄と父親が家の外で何か騒いでいる。ご近所さんの手前もあるし何事かと母親が問うと、どうやら屋根に異変があるようだ。二階の部屋の窓から父親が乗り出して見ると屋根には「矢」が刺さっていた。
「まあ、矢って言ってもボウガンとかそういうのじゃなくて。偽物っぽいやつ?先が尖ってない神社とかにあるやつ。でも、わざわざ人の家に捨てるなんて、危ないし悪趣味じゃない?」
 子供の頃に葉子がご近所さんに仕掛けた悪戯は見事に棚に上げられている。あれは子どもの悪戯で済まされるギリギリの内容だった筈だ。いや、それは置いておくとして。香取家に仕掛けられた行為は悪趣味だと言わざるを得ない。だってそれは———
「白羽の矢、じゃない」
「あれ?もう見せたんだっけ。ほら、これ後ろの羽が白いの」
「違うわ。白羽の矢が立つって慣用句があるでしょう」
そう言ってから葉子が差し出したスマホの画面を一瞥する。
「え、うん。なんか選ばれるやつでしょ。それくらい知ってるけど」
「そう。今はいい意味でも使われるけど……。元々は『神様が生贄を選んだ家に目印として矢を送る』って伝承から転じて、多くの中から犠牲者として選ばれるって意味で使うのよ」
「はあ?なによじゃあ、アタシの家族に恨みがあるってワケ?」
「そういう意味で使ってるなら葉子に、だと思うけど」
「なんでアタシ限定なのよ!」
葉子は憤慨して叫ぶ。自分が悪意の矛先にされていると言う事実は誰にでも面白いものではない。それでも華は冷静に言葉を続けた。
「人身御供に選ばれるのは年頃の娘だから。巫女や旅人の場合が多いけど、一説では村で評判の美人を捧げるみたいよ」
「アタシが可愛いってこと?」
葉子の器量が良いのは認めているのだが、この話の流れで肯定するのは何となく違う気がして口を結んだ。それを知ってか知らずか彼女は照れたように髪を触り出す。
「靴が濡れたのはどうして?」
「それよ!誰かが作戦室の前に花なんて置くから!」
「ゴミって言ってなかった?」
「ゴミでしょ、あんなの。牛乳の空きビンみたいなのに、その辺に生えてる雑草が入っていたんだから」
 透明なビンに活けられた野草が扉の前に置かれているのを想像して、それではまるで、死者を供養する為の献花のようじゃないかと思う。華はこの二つの出来事が無関係とは思えなかった。しかも家だけではなく本部にも入れるということはボーダーの関係者がやっているとしか思えない。でも、と何かが引っかかる。
「……それ、どうしたの?」
「知らない。まだ廊下に転がってるんじゃない?」
大きなクッションに寝そべった葉子が答える。眼帯が窮屈だったのか外してテーブルに置いてあり、両目が露わになっている。液晶に照らされた横顔に、腫れた目が痛々しかった。
 作戦室の扉を開けて廊下を見ても、人が居ないどころかその花もビンも見当たらない。その代わりドアを開けた対角線状に床が濡れたような染みが点々と続いていた。華は一瞬目を細めて片目を瞑ろうとしたが、やめて扉をゆっくりと閉めた。
「雄太か麓郎くんを呼ぶから、帰りは送って貰って」
「ひとりで帰れるんだけど」
怪訝な声色を出す葉子をよそ目に、香取隊のグループ連絡にメッセージを入力する。すぐに2人から『了解』と返事があった。
「それに眼帯は外したままの方がいい」
「華がそうしろって言うならそうするけど……急になに?」
 不安げな表情の葉子に華はそれ以上何も言わなかった。人身御供と隻眼の関係について———神様は二つ目を持った者より一つ目を好み、神に捧げられる魚は他の魚と区別して片目にされる。ある土地では神に奉られた美しい少女は皆片目がなかった———そう本で読んだ事を思い出したからだ。
                                                                                                                                   巫女と贄/了