休憩所の安っぽいPVCレザーのソファーにだらしなく足を投げ出して座る冬島を見かけて東は足を止めた。冬島が作戦室や開発室から出て来ているのは珍しい。ひとり遊びが好きな男なのだ。
「まさか実験中じゃないですよね」
 ラウンジを歩く隊員達を眺める冬島に、冗談半分で話しかけた。残りの半分はこの男ならやりかねないと本気で思っている。それに気付いたのか気付いてないのか、冬島ははぐれた子供が親を見つけた時みたいな表情をしてこちらを向いた。
「あずま〜、煙草持ってない?銘柄は何でもいいからさ」
「ここ禁煙ですよ。で、何してるんですか」
「部屋から追い出された」
「ははは、お疲れ様です」
 一体何を仕出かしたら隊長が追い出されるのかと思ったが、単純に作戦室の掃除とかかも知れない。まあ、どちらにせよ真木を怒らせたのに違いはないだろうから結果は一緒だな。追い出された時の事を思い出したらしくぶるりと震えた後、気持ち姿勢を正して冬島が話をはじめた。
「そういや、今日の防衛任務で警戒区域に侵入した一般人を、鈴鳴んとこの狙撃手が撃ち抜きかけてたぞ」
「さっき鬼怒田さんから聞いたよ」
むしろそのせいで開発室長に呼び出された帰りだった。そう伝えると冬島が手を叩いて大声で笑うものだから、ラウンジを歩く隊員が数人こちらを振り返った。見知った顔には何でもないと手を振って追い払う。涙を浮かべて笑う冬島に自分なんて年下のオペレーターに厄介払いされた癖にと思うが、元気が出たならば何よりである。
「それで思ったんだが、警戒区域の中って対不法侵入者用の感知器とかつけない理由ってあるのか?」
ボーダーの技術があれば簡単に……とはいかないかも知れないが、出来そうなものなのだが。民間人を巻き込んだ人的被害を減らす為にもあった方が便利なのに、何故ないのだろう。異様にコストが掛かるとかあるのだろうか。
「ん?ああ、アレ箝口令敷かれてるんだっけ」
 箝口令と言う穏やかではない言葉に、聞かなかった事にした方が良いのかと思って黙った。だが、言葉の重みの割に冬島はどうだったっけなぁ……最近物忘れが急に増えてさ、と呑気に独り言を喋っている。
 まあ、お前なら知ってた方が良いだろと冬島が近くの会議室のドアを無造作に開ける。誰も居ない事を確認すると、扉横のプレートを使用中に切り替えた。
「大した事じゃないんだけどな。鬼怒田さんが防衛隊員には漏らすなって言うから、一応な」
扉を閉めると同時に話し始める冬島に、手に持っていた缶コーヒーのプルタブを開けながら頷いた。
「おまえが言う通り警戒区域には警備用の人感センサーをつける計画があったよ。レーダーで侵入者がわかった方が本部に反ボーダーの人間とか来るのも防げるし。内部に手引きするヤツいたらアレだけど。……それこそ初期のうちは、野良猫とか野生動物まで反応したりしてちょっと手こずったけど、まあまあ上手くいってたんだよ。防衛任務中に使ってるレベルのは流石にコストが高くて二十四時間起動させとくのは無理だけど、もっと簡易的で単純なやつならそんなにトリオン消費しないで出来そうだったわけ。軍とかで使用するレーダーの導入も検討したけど、金がかかり過ぎるし速攻で鬼怒田さんが却下してたぞ。作った方が安いし、自分達で直せるからって」
冬島は椅子の上で器用にあぐらをかいて座り、淡々と喋った。なんと言うか……流石鬼怒田さんだなと思った。
「一般人が巻き込まれる前に把握できたら、オペレーターも楽だ。先に場所が分かってれば、一般人に怪我をさせる確率は下がるし、機密情報を晒す事なく帰せれば記憶を処理する必要もない。みんな手間が減って万々歳、だろ?」
「そうだろうな」
ここまで話を聞いても何故現在その設備を用意していないのか、その話がタブーなのか分からなかった。
「でもな、センサーの精度が人間とそれ以外を分けられる様になってからも、エラーは頻発した。なんでか分かるか?」
警戒区域内に侵入した人間と動物を分けられたら十分だと思うが、風で木々が揺れたりしても反応してしまうとか……いや今までの話を聞いてもその可能性は無いな。鬼怒田さんが作れると言ったんだから機能としては十全な物が完成したに違いない。それでは、エラーはどうして起こるのか。
「レーダーにトリオン体じゃないものが引っかかる。それがどうも動物じゃない。だが映像には何も映らないし、現場に行っても何もない」
怖がらせるつもりはないのだろうが、冬島は低い声でボソボソとそれを口にした。箝口令は警戒区域に人間には見えないものが居るのが原因か。新手のトリオン兵だった方がマシだったな。
「……そっち系のやばい話か」
 どこでも人の集まる所にはこの手の話は出てくるが、学生が多いボーダーでは噂が組織外まで広まってしまうだろう。ただでさえ機密事項が多くて胡散臭い組織だ、変な尾鰭がついて根付さんの胃に穴が空いてしまうかもしれない。
「マップにレーダーの反応が出るだろ?現場に向かった連中が何も発見できなければエラーとして処理する。そんで反応条件を変更する。でも、どんなに条件を変更しても……レーダーはずっとそこに何かがいるのを示し続けるわけ」
冬島はじっと一点を睨んでいる。その視線は俺を通り越して後ろに固定されているが、そこには壁しかない。
「なにか原因があるはずなんだが、どうやってもそれが見つけられない。反応が出る場所も日が変わると移るから特定が難しくてな。条件を変えて色々やってみたんだが、芳しい成果は出なかった」
「ふうん。気になりますね」
「だろ?外的要因だとしてもシステムエラーでも、うちの奴らが調べられないって相当変なんだよ」
「なにか法則とかなかったのか?」
「徐々に本部に近づいてるって事以外はなにもわからなかったな」
「……」
 それは随分と不味い状況だったのでは、と口に仕掛けて止める。多分、その場に居た全員が思った事だ。
「さすがに薄気味悪くて作業チームに変な空気が漂い始めたところで、鬼怒田さんが箝口令を敷いてプロジェクトは凍結されましたとさ。めでたしめでたし」
苦虫を噛み潰したような表情で冬島は両手を挙げた。完全にお手上げだと言う事だろう。
「よく噂にならなかったな」
「カメラに何か映ったとかならやばかったかもな」
一度ぐっと目をつぶってから冬島がため息を吐いた。
「俺も何度か確認作業したけど、まじでセンサー反応すんだよ。んで、リアルタイムのカメラに切り替えるだろ?なんも映ってねぇの。後日、録画したのもチェックしたけどきれーなもんよ。悪戯ですらないね」
 その時の事を思い出したのか冬島はブルっと一度大きく震えると、両腕を自分でさすった。何を見たのか分からないから、噂にもならないと言う事か。
「……映らないモンは、探知しなきゃいないも同然だろ?」
手に持っていた缶を振るとチャプチャプと音がする。ほんの少し残ったコーヒーを一気に飲み干した。
「天羽は?」
この件にS級の隊員が出されるとは思わなかったが、色で識別するサイドエフェクトを持っている仲間を思い出して言った。不可解なレーダーの誤作動だけなら箝口令を敷くまでも無いのではと思ったからだ。
「つまんない色のザコだってよ」
 投げやりな彼の言葉に、東は「確実になんかいるじゃねーか!!」とブチ切れそうになりながらも、大人なので口に出さず心の中でちゃんと鍵をかけてしまった。

だんだんと近づいてくるもの/了