第四夜 繝「繝医ヤ繧ア繝ォ





 青々とした田が見渡す限り広がっている。米屋は細い畦道の中にひとり佇みながら懐かしいと思った。この風景に馴染みがあるわけではない。知った土地では無くても田圃が広がる景色と言うのは、この国に生まれた人間に懐かしさを齎すのだろう。もしかしたらこの原風景には、生まれすら関係ないのかも知れない。
 ただその畦道をどこへ行くでもなく歩き続けた。どこから来たのか、どこに繋がっているのかは判らない。
 歩いているうちに田圃の色合いが微妙に違うのに気がついた。それでいつか祖母に言われた事を思い出した。植えられた稲の種類によって田圃の色合いに違いが出るのだそうだ。色が違うからそれで名処がわかるんだと祖母は言った。
「何々さんの家は大きいから五つ先の田圃まで青いねえ」祖母の柔らかい声が耳朶に響いた。
 その四つ辻に着いた時にはすでに陽が傾きはじめていた。そのうちにすべて夜に呑み込まれてしまうのだろう。茜色の空を見て、米屋は帰りたいなあと思った。
 影が闇と混じり合っていくのを眺めていると、遠くから歌うような低い声が聞こえてきた。それは段々こちらに近づいて来ているらしい。そっと叢の後ろへ回って人が通るのを待つ。それはひとりではなく行列であった。
 その行列は皆白い服を着ていた。歌だと思っていたものは、顔を伏せた女があげる泣き声のような声だった。かろうじて理解出来たのは「したいしたいと言うたがさすりゃよかったしゅすのおびを」と言うもので、それが誰に向けた言葉なのかは分からなかった。他にも違う言葉を言う者がいたが聞き取るのは難しかった。
「(結婚式……って感じでもねーな)」
 白い着物から連想されるのは結婚式だったが、その行列に楽しげな雰囲気はない。のろのろと歩いて行く人々の顔を見ようとしたが、角度のせいなのか影が差して良く見えなかった。その行列の最後のひとりを叢から見送ってから米屋はその後をついていく事にした。街灯ひとつない見知らぬ土地にひとり残されるよりは、何だかよく分からない集団であっても人のいるところに行きたかった。見上げた西の空は深い藍色に染まり始めていた。
 ざっ、ざっ、ざっ。
 どこまで行くのかと思っていた行列の歩みがゆっくりになり、やがて止まった。目的地に着いたのかと思って背の高い草の向こうにあるものを見ようとぐっと背伸びした。そこにはポツンと一軒の家が建っていた。他に家はない。その家が見えた時米屋は叫び出したかった。絵に描いたような田舎の風景の中にあったのは、毎日自分が寝起きしている自分の家だったからだ。合成写真でも見ているかの様な景色に、一度目を瞑って深呼吸をした。これは夢なのだろうか。説明が出来ないような筋の通らない夢を見る事はあるが、夢の中で困惑するのは初めてだった。どんな理不尽な夢でも、眠っている時は疑問を抱かないものだ。手から犬が何匹も生まれてしまうので、どうにか授業中に先生にバレないように奮闘していようと、スーツを着て体育館で電動ノコギリを振り回していようと。それらに比べればこの夢はそんなに可笑しいものでもないのかも知れない。
 しかし、あれがオレの家だったとして一体あいつらは何をしているのか。ひとりひとりの顔はよく見えないが、見覚えはない……と思う。ぼうっとしている間に、行列は別の動きを見せていた。真ん中あたりでなにかを担いでいた二人組が家の前でグルグルと数回回り、その担いでいたものを地面に置くのが見えた。他の人々がそれを囲んで手を叩いる。それが奇妙で、思わず息を止める。本能的に見てはいけないと思った。それなのに視線を外す事が出来ない。今まで米屋の事など見えていないかの様に振舞っていた白い着物の人々が、その箱の前で手の甲と甲をぶつけて拍手しながら、一斉にこちらを向いてどろり、と笑った。
 あれは人間ではない。
 それらが大きく口を開けたのに気がついた米屋は耳を強く塞いだ。





 「そこで目が覚めてなんだ夢か、って思うじゃん?」
 A級隊長が緊急招集にあったため三輪隊はミーティングを中断して三輪が戻ってくるのを待っていた。最初はボーダーに関する話をしていた面々も段々話が逸れていっていつしか米屋が夢の話を始めた。他人が見た夢の話ほど興味がないものもないので、奈良坂はたけのこの形をしたチョコレート菓子を美しく並べる事に集中していたが、話の内容が薄ら寒くなってきたところで全員を箱の中に戻した。
「いや関係あるのかわかんねーけど、朝起きたら玄関の前に重箱に入った団子?みたいなのが置いてあってさ〜、……めっちゃ怖くね?」
いまいち怖がっている様に見えない米屋に、古寺は呆れてため息をついた。
「そもそもお葬式の夢が怖くないですか」
「あ〜、やっぱりあれ葬式?」
白い服着てるから結婚式だと思ったんだけどな、と呟く先輩に結婚式で白を着るのは花嫁だけだと突っ込む。
「喪服に黒を使うようになったのは西洋文化の影響ですしね。さすがに葬式行列を見た事がある訳じゃないですけど」
 古寺は冷や汗をかきながら答えた。
 普通だったら本人がどんなに怖かったと訴えた悪夢も、蓋を開けて見ればなんであんなに怖かったんだろうと本人さえも言い出すのがオチなのに、米屋の話は部屋の温度を急激に下げた。
「栞が葬式の夢はいい夢だって」
それに気が付いたのか米屋がからからと笑って場を和ませようとした。
「それが普通のお葬式の夢だったら、よ。陽介くん、あなた夢の詳細まで話さなかったんでしょう?」
「んえ、これまずいヤツです?」
話している間一度も口を挟まなかった月見が固い声を出した。
「たしかに夢占いの世界では死は『再生』『回復』の象徴だけど、いい?誰かに呪詛する時は普段と逆の行為をするの。逆手を打つのはその中でも有名ね」
普段感情を高ぶらせることの少ない月見の声に、怒りの色が含まれているのに三人は気がついた。
「逆……」
「野辺送りの順番を逆にしてるのよ。きっとその行列は墓地から来ているはず」
ぎゅうっと結ばれた唇が血に濡れたように紅く染まった。
「えーっと、野辺送りって?」
「ごめんなさい。陽介くんに怒ってる訳じゃないの」
月見は謝った後目を伏せて息を長く吐いた。
「遺体を埋葬するまでの葬列の事を野辺送りって言うと思って。ざっくり言って昔のお葬式のことね。玄関に置いてあったのは野辺送り団子だと思う。蓋をしない重箱に入れたそれを葬列の時に持参して埋葬した後にその場で食べて、残りは捨ててくるの。棺を家から出す際に回すのは間違って家に帰ってくる事がないように方向が分からないようにする為。声を上げていた女性は泣女、儀式形式的に泣く役割の人。陽介くんが見た人たちは陽介くんのお家に災いがかかるように野辺送りを逆順にして、呪いにしたんだと思う」
一秒でもこの話題を速く終わらせようとしたのだろう、月見は一息で喋った。
「でも最後を聞いてないならその咒は完成していないわ。喪の始めがいつからかと言うのは難しい線引きだけれど……死に際に人々がその人の名前を喚ぶ『魂呼ばい』からじゃないかって私は思うわ」
「それってもし聞いてたら?」
 ごくりと喉の鳴る音がした。それは米屋のだったのか奈良坂か古寺かそれとも三人分だったのか。
 月見はにっこりと効果音が聞こえるくらい鮮やかに笑った。

                                    <第四夜 モトツケル/了>