透明になるセピア



「どうかな?打球の感じ」
「ああ、悪くない。これなら問題ないだろう」


 コートへと戻りサーブにボレーと一連を通して打球感・張り上がり、ラケットとのバランスを確かめていった。今回はガットの種類と張り台を変更しているため、より注意深くフォームやラケットの振り抜きに問題がないか本人と調整する必要がある。フレームの歪みなど選手にとって些細な違和感がプレーに影響を及ぼすことも少なくない。ガットを張って終わりではないのが、ストリンガーのやりがいでもあった。

 一応ラケットの形状の変化など確認はしているが、使用者の感覚が最終的には重要となるため軽くボール出しを行い打点タイミングを変えながら確認してもらう。
張り方を変える時は未だに緊張するが、どうやら満足のいくものとなっているようで一安心であった。


「少し打つか」
「——いいの?」


 プレースタイルにあわせて毎回付けている手帳に張り替えの情報をまとめていれば、そんな声がかかり顔を上げた。

 私のテニス技術は可もなく不可もなくといった平凡なものだ。ラリーはできるがそれが彼の練習に繋がるかと言われれば否。
ま、そんなあたりまえのことは置いておいて、私は月光ちゃんとラリーをするのが凄く好きだったりする。元々テニスはやっていたし、昔は良く月光ちゃんと遊ぶと言ったらテニスだったくらい。
 4年通ったスクールをやめて立海に入ってからは、専ら自身がテニスをする機会は必然的に減ったこともあって、こうして声をかけられないと最近ではラリーさえしない状態になってしまっていた。


「カメラの向こうはちょっと怖いけど……少しだけなら」
 

 強化合宿所で、選手でもましてや関係者でもない私がテニスをするのはどうかとも考えたが、申請は出して手続きを踏んでいるし、このジャージで来ているし問題ないだろう。…と無理やり納得してみる。怒られたらその時はそのときだ。
 実際去年はそれが怖くて自前のラケットなんかは用意する余裕もなく、そそくさと帰ってしまったことをあとから後悔していたのも事実だった。しかも私が来る時は月光ちゃんの個人練習になってしまい、効率の悪さを感じたこともあって今年は自分のラケットを用意してきているのだ。


「ラリーもいいけど、折角だしゲーム形式もやろっか!もちろん、オーバーサーブはなしね!」


 反対側のコートに周りラケットを掲げながらそう叫べば、軽く手を上げて応えた月光ちゃんを確認する。
「それじゃ、」と呟きながら、感覚を取り戻すかのようにボールを放った。









「おっと」


 打球の緩急に違和感を持ちラケットに視線を落とせば、見事にガットの中央が切れてしまっていた。
返ってきたボールを止めれば、「モ〜リぃ〜〜??なに止めてんねん。どないした」という声が飛んでくる。


「ガット切れてもうた〜」


 ラケット変えてくるわ、とベンチへ歩き出そうとすれば「先に預けてきーや。ついでに休憩」と近づいてきたハラテツに背中を叩かれる。
どうやらヒラゼンさんが戻ってくる頃合いらしく様子を見に行くつもりだったようで、丁度いいとそのままコートを出て解散となった。

 今日は偶々、お互いにダブルスパートナーが留守にしていたこともあり、久しぶりにハラテツとコートに入っていた。
ヒラゼンさんは学校へ用があるようで、月光つきさんは来客対応で朝から留守にしている。
 そのため自主練日である今日くらいは練習をサボってしまおうかと考えたのだが、もうすぐ遠征が始まることを思い出し腰を上げたのだった。


「毛利寿三郎です、ガットの張り替えお願いします」


 この後どないしよか、と思考を巡らせながら訪れた中央施設のスタッフにガットの張り替え申請を依頼する。
 ここではストリングのプロが常駐しているため、ガットの張り替えやラケットの新調、調整なんかも相談ができる。自身で手入れを行う選手もいるが、その時間も練習に充てたいと思う方がここでは大多数である。毛利自身もその1人であった。

 必要事項を埋めていくだけの手続きはすぐに終わり手持ち無沙汰になってしまう。うーーんと数秒唸った後、やはり午後はサボっ…休憩にしてしまおうと16面コートとは反対方向に足を向けた。
 いつ戻ってくるかわからないハラテツを待つより、散歩がてらぶらぶらと歩いていたい衝動に駆られた毛利は、バッグを肩に掛け直し道を進んでいく。


「天気もええし、良さそな木陰でも探して寝やろ」


 ぐっと伸びをしながらしばらく歩けば、全く人気のない場所に出たことに気づく。ボールを打つ音も聞こえないとはなんや珍しいなと思いながらも、寝場所には丁度いいとコートの近くにある屋根のついたベンチへと腰を落ち着かせることにした。


「ん〜〜絶好のお昼寝日和」


バッグを枕代わりにし横になれば、睡魔はすぐにやってきた。心地の良いそよかぜと凪のよう静かさが、自然と瞼を重くさせる。
そのまま身を任せるように身体を緩く丸めると、瞬く間に夢の世界へと旅立っていった。







「んぁ…?」


 意識が戻ってきたのは不規則に響くボールの音に導かれてのことだった。
どのくらい眠っていたのか。上半身をゆっくりと起こし辺りを見回せば、やはり聞こえてくる不規則なボール音…これはラリーやんなと当たりをつけてみる。眠っている間に誰かが近くで練習を始めたんかと考えるが、ラリーにしては続かない打球音に次第とはてなが浮かんでくる。


「5.6球で終わってはる……ポーチの練習でもしとるんやろか」


 閑静とした場所に突如現れた刺激に、自然とそちらに意識が向いてしまう。聞き耳を立たせずとも入ってくるその音を聞き流していれば、何度かラリーが続いた後、一際重厚のある打球音が響いた。そしてそれを境にラリー音は聞こえなくなってしまった。
 毛利はその音になんとなく既視感を覚えると同時に、音の発生源が気にもなり、バッグを持つと立ち上がった。聞こえてきた方角へと足を進めれば、奥まった角にあるコートに行き着く。他のコートと同じく階段状のベンチに囲まれた1面のテニスコートを覗くと、そこには見慣れたジャージを羽織った長身がネット際中央に立っていた。
 もしや、そう予想していた毛利は自分の予感が的中したという思いをそのままに、片腕を挙げながらその背中に向かって声を張り上げた。


「月光さーん!」







「〜〜っ!月光ちゃん!」


 しまった、と変な体勢から放ってしまったボールが大きな弧を描きながら向かい側のコートへと渡るのを見送れば、次の瞬間私の逆サイドに駆り出された強烈なスマッシュに思わず抗議の声をあげてしまう。


 あれから数回ラリーを重ねた後、着実に戻ってきたテニスの感覚を頼りに月光ちゃんとゲーム形式での練習を行なっていた。月光ちゃんのサーブは全てアンダー縛りというハンデ(になっているのかは不明)を設けていたが、スコアは圧倒的な敗北であった。
 しかも、楽しくなってきたのか後半は左右に走らせてくるわ、前へポーチに出てくるわ、私の小手先のテクニックでは太刀打ちが難しいラインを少しずつ狙ってきたのだ。そしてトドメとばかりに、私のミスボールをマッハで決めてくるという所業。さすがの恵那さんでも声を上げざるを得ないですよ。


「ゲームセットだ」とネット際に近付いて来る月光ちゃんに、負けじと「大人気がないです!よ!」と返せば、「ああ、すまない。…だが、いい練習になった」と私の抗議が分かっていたかのように往なされた。


「最後のボールだが、良く反応したな。反射神経は鈍っていないようだ」
「途中からこっちはかなり必死だったんですけどね??……まぁでも、私なんかで力になれたなら願ったり叶ったり」


 月光ちゃんの雰囲気からして何を言っても風吹くごとしとなりそうだったため、そう口にすれば「充分過ぎるくらいだ」と頭を撫でられる。
 私はラケットを身体の前で抱え込みながら、
(私は返すことで精一杯だったのに、ちゃっかりダブルス特化のテクニカル練習していたの凄すぎ…)
と彼の優しい眼差しと大きな掌を享受しながら思考を巡らせていた。


 だから、月光ちゃんの名前を叫んだ声が聞き覚えのある声だということに、引っ掛かるものを感じなかったのだと思う。
 目の前に立つ月光ちゃんが顔だけを後ろへ向けて、驚いたようにその名前を告げた時に初めて、顔を上げたのだった。


「やっぱ月光さんやった!来客の用はもう終いなったんですか?」


 独特の関西弁が耳に届くのと同時に、自然と自身の瞳が見開かれていくのを感じながら、まさか、と声にならぬ息が漏れた。
月光ちゃんの身長で隠れていた姿が、彼がコートに降りてくることによって露わになる。


「ぇ、うそ……毛利、先輩…??」


 立海大付属男子テニス部OB、毛利寿三郎先輩。その人がいつもの笑顔を湛えたままこちらに手を振りながら現れたのだった。



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