いつか彼女が見ていたもの



 言葉になった声は驚愕に塗れていて、自分でもやっと聞き取れるほど小さな音だった。

 先輩は帽子を被っている私に気が付いていないのか「あれ?あ、まだ対応中で……って、立海のジャージ?」と言いながらこちらに向かって歩いてきた。
なんで先輩がここにとか、あのサボり魔の先輩がまさか厚生したのか、とか一瞬で今までの部活内でのやり取りが脳内を駆け巡った後、毛利先輩の羽織るジャージの色に今度こそ驚きをしかと言葉に表すことができた。



「え、赤ジャージ?!」
「ぉわ?!なんや、自分急にそんなおおごえ、だし、て………え"?」



 私がネットから身を乗り出した瞬間、完全に目があった。毛利先輩は大きく目を見開かせながらフリーズしたかと思いきや、腕で視界をリセットさせるかのように顔を擦った後、もう一度目を細めながらこちらを凝視する視線とかち合う。



「神崎、がおる…??なんて、まだ夢の中におるんか…??サボったから幻覚が…???」



 屈むように背を曲げながらいつものセリフが飛んできて、先程までの驚きが一気に覚める。抱えていたラケットを静かに床に置いて、ネットを乗り換え未だ怪訝そうな顔の先輩の近くまで歩き出せば、ものの数歩で目の前に着いてしまう。



「…どうも、ご無沙汰してます、毛利先輩。生憎と神崎はここにいますけども。お望みなら現実であることを証明してみますか?」
「冗談やって。ちゃんと目ぇ覚めとったわ………って、自分本当になんでこんなとこにおるん??月光さんの来客って神崎ちゃんのことだったん???え、どない関係」
「いや、なんか色々こっちのセリフなんですけど」



 矢継ぎ早に疑問が飛んでくるが、全てこちらの台詞である。あのサボリ魔、毛利寿三郎先輩がU-17日本代表の選抜合宿に参加していることにも驚きはあるが、なにより彼が赤ジャージを身に纏っていることに私は驚きを隠せないでいた。



「だって、春にやってた関東大会の上位者に先輩の名前なかったし、またてっきり高校でもサボリの常習犯だとばかり」
「あ、ああ。せや、色々あって練習めっちゃしよって秋の新人戦で優勝できたんよ。それでここに呼ばれて…」



 詰め寄って問いただせば、経緯を掻い摘んで説明してくれた。若干いつもの飄々とした覇気がなくなっていることが気にはなったが、あの先輩が心を入れ替えてテニスと向き合った結果が今の先輩であるという事実に、言いようのない思いが湧き上がる。先輩の類稀なるあの才は見当違いではなかったという誇らしさと、先輩にも目指す何かができたのかなという少しの安心感が、じんわりと私の胸を温かくした。

 1年前を思い出しながら感慨に耽っていれば、「あー、」と歯切れが悪い様子の毛利先輩にどうしたのかと問いかける。すると、「中学の時はその、ほんとバカなことしとったなって。沢山迷惑かけとったやろ?…神崎にも会ったら謝らなあかん、思っとって」と告げられる。
 私は呆気に取られながらも、気まずそうに首の後ろを掻く先輩を真っ直ぐ見上げて思ったことをそのまま言葉に乗せた。

 

「謝らないで下さい。
そもそも先輩のこと無理やり引き摺り回してたのは、半分は私の個人的な押し付けの部分もありましたし。しかも結局、私には先輩のやる気に火をつけることできませんでしたし。私から言えることは、その才能を無駄にしてなくて安心しました、ってことだけです」



 毛利先輩でも反省するんだ、とかいう失礼なことを頭の端で思い浮かべていることがバレないように繕えば、「はは、相変わらずサッパリしよるな」と眉を下げて笑う先輩にこういう時の表情は変わらないな、と率直に思った。



「でも、毛利先輩がいるの本当に驚きました。月光ちゃんとも仲良い?みたいだし、世間は狭いね」
 


 さっき月光ちゃんのこと名前で呼んでたし、態々声をかけて来るくらいだ、結構良好な関係なのではとみた。
くるりと月光ちゃんを振り返り、知り合いだったんだ、という意を込めてそう言えば月光ちゃんの返答と毛利先輩の声が重なる。



「あぁ、」
「そう、それや!!神崎ちゃんと月光さん知り合いやったん?!そっちのが驚きやわ!」
「幼馴染ってやつです。昔から月光ちゃんのガット私が調整してるんです、今日はソレで」



 得意げに胸を張ると、これまた良いリアクションが返ってくる。あ、いつもの先輩に戻った、と心の中で笑みをこぼした。 

 それにしても、これまで月光ちゃんのことを私と同じく下の名前で、しかも渾名っぽく呼ぶ人はあまり見たことがなかったけれど、合宿所では意外とフランクな付き合いがあることにまた新しい月光ちゃんの一面が見れたようで嬉しくなってしまう。



「嬉しそうだな」
「うんうん。先輩がここにいたのがわかったってのもあるけど、月光ちゃん意外といろんな呼ばれ方してるんだって思ってさ。全然話してくれないんだもん、そういうの」
「………」
「〜〜っわいい」
「……………恵那、もう1ゲーム追加だ」
「ごめんなさい」



 恥ずかしいのだろう、ということを調子に乗って茶化せば、『精神の暗殺者』の餌食になってしまうところだった。
いくらテニス部のマネージャーだからといって、私は選手と同じレベルの体力なんて持ち合わせちゃいないのである。つまるところ、もう左右に走らされたくない。むり。

 そんな攻防を繰り広げていれば、毛利先輩に「めっちゃ仲ええんやね、ふたりとも」と笑われる。普段となんら変わりのない会話をしていたのに、知り合いに笑われると何故か気恥ずかしいものが芽生え、話題を逸らすように口を動かした。



「と、ともかく。この感じならダブルス相手とも上手くやれそうだなって思ったんです!あと毛利先輩、時間大丈夫ならここで練習していってくださいよ」



 私じゃ役不足も甚だしい、と放置したままのラケットを取りに向かおうとすれば、月光ちゃんから新たな爆弾が落とされることとなった。



「先ほど言おうとしていたが、ダブルスのペア相手は毛利だ」
「———え??」
「せやで!月光さんとダブルス組ませてもらうことになって」
「いやいや2人して…………え、まじ??ですか」
 


 ぱちくり。思わず両者の顔を交互に見てしまうが、2人して頷くものだから受け入れるしかなかった。
自他共に認める自由人の先輩がダブルスを組むとは微塵も考えていなかったため、衝撃が走る。しかも月光ちゃんとダブルス………いや、だからか。そういえばサボリ癖の矯正の意図があるって言ってたな。
 


「そうなんだ……先輩、ダブルスとか嫌いそうだったから意外すぎて。
——でも、そっか、楽しみにしてます。試合見れるの」



 今後の楽しみがまたひとつ増えたことにはずんだ気分のままベンチに戻る。まだ時間はあるため、月光ちゃんのたちの練習を見守りながら私は休むことにした。今日はなんだか驚きの連続で良い意味で疲れた。
 先輩がラケットを出したのを見届けて、月光ちゃんにボールを渡す。赤ジャージにまで上り詰めた先輩のテニスをしかと見ようと、帽子を外した。









「はぁ〜〜〜まだ関節外しやってるなんて……」
「ちょ、これは俺の特技いうか癖やから直らん言うてたやろ」
「いつか関節痛めるからテニスでは使わない方が良いって、うちのマネ全員に言われたの忘れたとは言わせませんよ」


 練習を見届けていればそろそろ帰宅しなければいけない時間になり、折角だから送っていくという毛利先輩含め3人揃って出口に向かって進んでいた。
道中先程の練習内容を振り返っていたのだが、毛利先輩が何度か関節を外していた光景を見て小言を言わざるを得なくなってしまった。
もしかして、最後に病院で見た時も腕痛めてたんじゃないだろうな…この人。



「少しはセーブして下さいね。身体大事に、ですよ」
「…せやね、わかっとるよ。大丈夫、俺のことは俺が1番理解しよるから」



 なんでもないように両手を頭の後ろで組みながら歩く先輩を見上げ、この人に心配はあまり意味ないんだよなと思う。
 けれど、目の前で無茶をする人を見ているだけ、なんてのは気分が良くない。だから、出来ること可能なことなら全力でやりたいのだ。心配くらいは許して欲しい。

 溜息混じりに肩を落とせば、左手を優しく握られる。ちらりと左隣を歩く月光ちゃんに目を向けるが、何事もないように進んでいくので可笑しくなって笑いながら手をきゅっと結んだ。



「あ、そうだ月光ちゃん。再来週のことなんだけど———」



 日も傾き暮色に覆われた街灯を、3つの影が伸びていく。私たちの話し声に、遠くから響く打球音が混ざり合って溶けていくような気がした。









 隣で月光さんと話す神崎ちゃんを眺めながら、こんなに笑顔なのも珍しいなと中学の時を重ねて思う。あ、いや、俺が殆ど部活出やんかったからそうでも無いのかもしれないけど。
 そんな二人を眺めながら歩く。
 月光さんの隣を行く彼女の表情は、いつの日かの情景を思い起こさせるな、と瞼を軽く閉じた。
そして脳裏に浮かぶのは記憶。あれは、彼女に対する認識が少し変わった春先の頃の話だ。









———1年前


『もう部活始まるんですけどー毛利先輩』
『ん〜〜ぁ?神崎……??あぁ、今日は神崎ちゃんなんや』
『そうです〜どうも。錦先輩がもうお手上げ状態で後を丸投げされてしまった神崎ですよー、っと。
今日も部活、出ないつもりですか?』
『せやねー気分やないな』


 いつも、部活をサボり屋上で放課後の予定を立てていると見計らったように現れるのが、テニス部のマネージャーだった。今日は同じ学年の錦ではなく、ひとつ下の神崎恵那ちゃんがやって来た。この子は稀に、物理的にも部活に出そうとしてくるからちょい面倒やなというのが当時の印象だった。

 その日は、盛大なため息と共に一枚の紙を取り出し『これ錦先輩からもらった先輩の出欠表です。全体の4割も出てないんですけど…』と呆れた声色で告げてくる。特に気にしていない旨を伝えれば、『前から思ってたんですけど先輩、実はテニス嫌いなんじゃ…??』と大真面目な顔で聞いてくるからオモロい。


『逆に、神崎ちゃんはテニ部のマネしてて楽しい?スケジュール管理とかなんや色々大変みたいやけど』
『え?楽しいですよ。私一人でやってるわけじゃないですし、マネは自分の目標のためにやってるので。……なんですか??あんまり私たちマネージャーのこと舐めないで下さいね』


 別に彼女たちのことを軽視しているわけではないのだが、毎度の如く現れると皮肉じみた言い回しになってしまうのは仕方の無いことだった。
 腕を組みながら顔を背けてみせる神崎ちゃんに、なんや気に触れてしまったかと笑いが込み上げる。変わらずの仏頂面が怒った様に変わるのは、見ていて少し楽しかった。


『目標ねぇ。神崎ちゃんは何があるん?』
『私の?聞いてどうするんですか』
『もちろん!参考にしやる』
『嘘っぽ…』
『決めつけはあかんって。これを機にやる気スイッチが常時オンになるかもしれんね』


 神崎ちゃんは『答えたら部活来ます?』と怪訝な顔をしながらこちらを見てくる。『確約はできひんね』と正直に言えば、溜息を吐いた後しょうがないという態度で、少し間を開けてから口を開いた。


『…昔から追い付きたいなって、尊敬してる人がいるんです。少しでもその人と目線を同じくして立ちたい、っていうのがあって』


 軽い気持ちで問うた返答は、本当ホンマに一個下かいな、とツッコミが出てくるくらいには大人びた音を孕んでいて。思わず立ったままの神崎ちゃんを見上げれば、眩しそうに空を見つめていた。
 その横顔が、憧れだけではない何かを湛えていた様に感じて何か言わなければと、無意味に心が急いた。


『そ、』
『だから、先輩にも目指す人とかライバルとか見つかれば変わるのかなと…どうかしました?』


 重なった言葉は、振り向いた神崎ちゃんがいつもの表情に戻っていたことに気を取られて、続くことはなかった。
けれど、強烈な色を持って、ソレは忘れられない情景として残ることになる。


『なんでもあらへん。…憧れの人がおるのは羨ましい限りやね』
『先輩も真面目・・・にやってればいくらでも見つかりますよ。確約はできませんけど』
『あっはは、言いよるねぇ』









 結局あの日は、なんとなく気が向いたという理由で途中から部活でたんやったな、と思い返す。思わず、あの時の神崎ちゃんと重なるものがあるよな…と俯瞰した見方をしてしまう。

 そこまで考えて、前方に石垣の出口が見えてきたことに気づくと月光さんから声が掛かる。



「毛利。此処までで構わない」
「あ、あぁ。分かりました。神崎ちゃん下まで送って行きはります?」
「ああ、駅まで行く。戻りは少し遅くなるが」



「わかりました」と頷いて、神崎ちゃんに目を向ける。もう帽子は被っておらず、日が落ちかけた暗がりでは立海ジャージがやけに目立って見えた。



「気ぃつけて帰りね、神崎」
「はい。毛利先輩も怪我とか気をつけて下さいね、あと合宿頑張って下さい」



 軽く頭を下げて応えた神崎ちゃんは、通行証を外しながら「バスの時間そろそろだっけ」と月光さんに向き直る。そんな彼女の横顔があの時と似たような表情を湛えていて、追い付きたいと遠くを見つめたその先の答えを見た気がした。

 だから、これは直感だった。別れの言葉の代わりに伝えておくべきこと。



「神崎、ありがとうね」



 まさか、ホンマに参考になるとは俺も思っとらんかったけど。


 という思いは告げずに、顔一つ分以上目線を下ろした先でいつものように怪訝そうにする彼女の頭に手をポンっと置き、背を向ける。
「え、なに…?」と困惑の声と視線を背中に感じながら、後ろ手を振って合宿所に戻る。


 思わぬところで残した後悔に終止符を打てたこと、そして出会いの奇跡に、ひっそりと毛利は優しい笑みを溢した。
















「何?今の」
「さてな。何か思う所があったのだろう」
「??まぁ、いっか。感謝されるのは悪い気はしないし」
「…そうだな」
「それじゃ帰ろう〜今日は母さんが駅まで来るって」
「ああ」
「……って、いつまで頭撫でてるつもりですか??手繋ごうよ」



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