Ne jamais abandonner



 カミュからの手紙を読んですぐ、急いで月光ちゃんに連絡を取り事情を説明した。

 公式のストリンガーチームは大きな大会には欠かせない存在であり、登録選手たちのストリング調整を一手に引き受ける重要な役割をもっている。各国からのストリンガーが集まり各々の技術や情報を共有しながら、最新のマシンを惜しみなく使用し選手をサポートする集団だ。

 以前からずっと見学だけでもしてみたいと思っていたのだが、U-17WCでは年齢制限で応募すら出来ずにいた。そのため、今回の機会は願ってもない幸運である。



『参加できれば、正式登録で月光ちゃんのストリング調整できるようになるんだって!これで大会中ガッドが擦り減っても、万全な状態で送り出せる。日本ではそもそも選考自体ないみたいで……フランスの枠、受けてみてもいいかな?』



 タブレットの画面に映る月光ちゃんに向かってそう語りかける。時間も何も考えずに電話をかけてしまったため日本は今深夜なのだ。が、嬉しさが勝ってしまってそのことに気づくのはシャルに指摘されてからだった。
 それでも、こうして言葉をくれる月光ちゃんに私の迷いはすぐに吹っ切れた。



『こちらは問題ない。恵那の助力が得られるというのなら尚更だ。…だが、代表枠に入るということはどんなことも一筋縄ではない。
そちらの生活もあるだろう、くれぐれも無理はするな』
『——うん!大丈夫、やれるだけやってくる。月光ちゃんも今年で最後だもんね、全力で闘えるように私も頑張るよ』



 そして、眼前に広がった広大な西洋風の建物に辿り着いたところでこれまでの回想は終了。
久々の場所に緊張感が漂うも、奥の方から響いてくる聞き慣れたボールを弾く音が、なんだか気を落ち着かせてくれた。


 ここはフランステニス協会本部。私はこれからストリンガーチームのフランス代表選考に参加する予定だ。
あれからカミュとは予定の都合上まだ会えていないけれど、手紙は出したし何かあればメッセージが飛んでくるので問題ないと思う。



「エナ、緊張してる?」
「うん…頑張ろうとは思うけどさすがにちょっと怖い、というか不安かも。私のストリング歴結構偏ってるし」
「そんな自信無さそうな顔しちゃダメだよ?あのカミュにストリング任されてる人なんて、なかなかいないんだから。いつもみたいに楽しんでやれば大丈夫!」
「でも月光ちゃんたちはテニススタイルずっと見てるから張れるだけだし…筆記試験は良いにしても、実技試験が不安しかない…」



 少しだけ痛む胃をさすりながら、不安を吐露する。

 今まで個人のプレースタイルに合わせて、しかも特定の2人にだけしかストリング調整をしてこなかった私が、急に誰がどんなプレーがしたくて使用するかもわからないラケットを調整しろと言われても、求められているものが張れるのか正直わからない。

 プロのストリンガーならその人のプレーを見なくとも、要望やプレイスタイルを聞くことで正確なものが張れる人達が集まっている。そんなプロに評価されるのも緊張感が一気に上がるというのに…初めて触るマシンだったりしたらさらに不安になりそう。



「そろそろ時間……はぁ、行ってくる」
「終わったら美味しいランチ連れて行ってあげるから!Bon courage!顔あげて!」



 そんなシャルの激励を背に、会場へと向かうのであった。












「終わった……もうやだ………」
「よーしよし。ほらおいで、エナはよく頑張ったって」



 試験終了後、私は盛大にシャルに慰められていた。何を隠そう、実技試験の手応えが皆無だったからである。

 20人弱の中高生が集まった会場は緊張感に包まれていて、全国大会を彷彿とさせるような強者の集まりに見えてしまうのだから更に胃が痛くなるなか、筆記試験を終えるまでは自分でも良かったと思う。
 問題はやはり実技試験に潜んでいた。
始まるや否や、選手のデータの書かれた紙を渡され、指定されたストリングを規定時間内に張る、という試験が行われた。おそらくストリングの基礎が身に付いているかを図る試験なのだろう。分かりやすく使用ガットの種類なども指定されていたし、高い技術などは必要なく張れるスタンダードな課題が出された。
 しかし問題はただ一つ課題選手の「オールラウンダー」というプレイスタイルにあった。このスタイルは自由度が高すぎて、目的に合った張り方しか知らない私とは相性がすこぶる悪かった。確かに技術を図る課題としては有効な題材であるが、緊張していた私には焦りを助長させる要因でしかなく。
頭の中を今まで見てきた様々な「オールラウンダー」のテニススタイルが駆け巡り、その度に今求められている、この課題の選手がどんなプレイヤーなのかを考えてしまい手が動かなかった。



「時間制限もあって、余計焦っちゃって」
「うん」
「かろうじて得意プレーの欄にReturnWinnerって書いてあったから、ぱっと思い浮かんだ人のスタイルを思い出して張ったんだけど……それがいけなかった。っ、指定、されてたテンション数間違えて張っちゃうし、しかも途中でガット切れるし?!………ほんとバカ、最っ悪、初心者でもあんなミスしないって」
「もー!こら、そんなに目擦らないの。可愛い顔が台無しだよ」



 鮮烈に、苛烈に記憶に残っていた全国大会決勝戦。越前君がみせてくれた天衣無縫のプレーの数々を思い出して、その時のプレーを参考に張ろうと思っていたのに。ガットの止めがあまくあろうことか途中ガットを1本切ってしまい、張り直したところでもう涙目。焦りが先行して、彼の扱うテンション数で張っていたことに気づいた頃には、もうタイムリミットだった。
 思い出して後悔したところで遅いのだが、悔しすぎて涙しか出てこない。せっかくのチャンスを棒に振ってしまったこと、なによりストリング張り中にガットを切るというやってはいけないことをしてしまった自分にやるせない想いが込み上げてきて、もうどうしようもなかった。



「…ぁぁ……」
「"1%でも可能性があるなら、絶対に諦めちゃいけない。これまでの自分を自分で切り捨てたら駄目だ"。
エナが去年わたしに言ってくれた言葉だよ?——わたしはエナのこと信じてる。きっと一緒に舞台を見届けられるって」
「・・・、しゃる」



 握られた手に、自分を落ち着かせようと息を吐く。差し出されたティッシュで痛む鼻を抑えた。
そうだ、落ち着け。もし代表枠に選ばれなかったとしても月光ちゃんのストリングができなくなるわけじゃない。勧めてくれたカミュには申し訳ないけど、落ちたらその時はそのときだ。



「ごめん。ありがとう、シャル」
「気にしないで、おあいこ、ね?
あとで向かいの通りにある例のマカロンのお店いこうね。わたしが待つから!」
「——うん」



 元気づけようとしてくれるシャルに言葉を返して、フロントのソファから立ち上がる。いつまでもここで話し込むわけにもいかない、そう思って荷物を持ち出口に向かおうとすれば、後ろから聞き覚えのある美声がかかった。



「Salt!シャル!それに隣は…エナか!」



 名前を呼ばれ振り返れば、フロントに響く声を届かせながら奥の方からフランス代表ジャージを見に纏ったイケメン———トリスタン・バルドーが手を掲げながら現れた。隣に立つシャルが笑顔で応えるのを横目に、歩いてきた彼に軽く頭を下げる。



「シャルとはこの間会ったが、エナとは去年の大会ぶりだな!元気にしてたか?」
「おかげさまで。お久しぶり、です。トリスタンさん」
「ああ、変わらずで……ってどうした、何かあったのか」



 少し驚いた表情を浮かべたあと、トントンと目元を指しながら心配そうな顔を向けられる。そんなひどい顔をしていたのかと反射的に顔を晒してしまうが、俺で良ければ話聞くぜ、と言われてしまえば無碍にもできなかった。



「それが今日ストリング選考があって…ちょっと失敗しちゃって。多分、だめかもって」
「待て、ストリングの選考を受けたのか?エナが?」
「え、はい…カミュの勧めで。カミュから聞いてませんか?」
「あぁ、いやてっきり推薦で上がってくるものと思っていたから………驚いたな」



 相変わらず大切にされてるな、Tailleur?と輝ける笑顔を向けられ思わず目を細めてしまう。後光はさしていないけれど、流石イケメンすぎてテニス界を追放されかけた男、一挙手一投足がキラキラして見えた。



「なににせよ、エナが悲しい顔をしていると俺たちも悲しい。結果はどうあれ立場は変わらないさ、な?パリコレもそう思うだろ?」
「・・・・」
「?!」
「え?!無言で真後ろ立たないでよ〜〜びっくりするから!」



 トリスタンさんの視線が私たちの後ろへと向いたかと思えば、後ろに金髪とアッシュカラーが綺麗な青年——パリコレことティモテ・モローさんがこれまた綺麗なポージングで立っていた。
それにしても声、かけてほしかったな。びっくりして涙引いた。



「エナ、シャルロット、久しぶり」
「あ、はい。ご無沙汰してます」
「久しぶりだね、ティモ」
「・・・・」
「ト、トリスタンさん」
「『会えて嬉しい』ってよ。それと『目、冷やさないと腫れちゃうよ』って」



 ティモテさんは7:3の割合くらいで、特にトリスタンさんがいる時はポーズで意思疎通を図ってくるから度々通訳が必要になる変わった方だ。無口な所もあるみたいだが、芸術を表したい?らしくこの姿勢を貫いているらしい。



「ありがとうございます、でも大丈夫です。そんなことより、お2人とも今回もフランス代表に選ばれたみたいで。よかったです」
「ありがとな。今年も頼もしい仲間が揃ったぜ?俺たちに、シャル、もちろんエナも含めてな」
「……はい、ありがとうございます」
「ちょっと〜〜わたしの役目取らないでよ、トリスタン!」
「悪い悪い、チームのメンタルサポートも医療班の仕事〜だったな」
「仕事じゃなくて友達としてエナには元気でいてほしいの。ばか」



 いつものトリスタンさんとシャルの言い合いを眺めていれば、段々と気持ちが落ち着いてくる。トリスタンさんが言っていた、立場は変わらないという言葉がすとんと落ちてきて、あとは素直に結果を受け止めようと思った。そしてポーズで激励?してくれているのであろう、ティモテさんにもお礼を告げる。



「トリスタン、そろそろ時間だ」
「あぁ、そうだった。俺たちこれからyouth代表の最終選考試合に合流するんだ、どうだ2人も見ていくか?」
「わたしたちこれからデートに行く予定だから〜〜駄目だよ」
「それに、今カミュと鉢合わせしたら…カミュが1番受かるって信じて疑ってなさそうだし………合わせる顔がない…」



 左腕にしがみついてきたシャルに寄りかかりながら、記憶の中のカミュの満面の笑顔を思い出してまた背中に影が落ちる。こう、段階を踏んでから会うべきだろう。例えば、結果が出てからとか。

 

「そうか。それじゃあ、俺たちは行くな。また今度ゆっくり話そうぜ!」
「またね、2人とも」



 手を振りながら去っていく2人を見送って、今度こそフロントを後にする。手を引いてくれるシャルに笑顔で応えながら、お店へと足を向けたのだった。













「遅くなって悪い!今どんな感じだ?」
「やぁ、トリスタン。もうそろそろBブロックの最終試合が始まるところだよ」
「Aブロックは?さっきパリコレが始まったからって呼びに来てくれたんだが」
「あぁ、ひと足先に終わってしまったよ。彼の勝利でね」
「また間に合わなかったか…今回は何分だ?」
「22分19秒。ふふ、最速記録更新だね」



 カミュの返答に、相変わらずの試合速度だなと笑ってしまった。あの王子の噂を聞いた時から一度試合を見てみたいと思っていたのだが、残念。謁見はチーム合流後になりそうだな。



「それで?試合の終わった王子様はどちらへ行かれたんだ?」
「先ほどストリングチームに呼ばれて行ってしまったよ。youthを対象にストリングを試して欲しいラケットがあるらしい。おそらく今日のストリング選考の課題かな」
「ふーん。
って、ストリングといえばさっきエナに会ったぜ?」



 エナの話題をカミュに振ってみれば、花が咲いたような笑みを浮かべ、奥さんを抱きしめる。



「ふふ、エナは元気にしていたかい?選考に勧めてはみたけれど、あれから会えていなくてね」
「それが選考の出来がイマイチだったみたいでな…落ち込んでた。
どうして推薦であげなかったんだ?カミュならできたろ、エナは専属なんだから」



 問いかけるとそっと目を伏せて少しの間黙り込んでみせたカミュに、じっとその答えを待った。


 エナ・カンザキは、4年前にカミュが見つけてストリンガーに付けたという日本人だ。あの奥さん大好きなカミュがその手綱を他人に握らせているのがそもそも珍しいことであったから、初めて紹介された時は随分と驚いたのを覚えている。それに俺たちより3つも年下の女の子がカミュのガットを張っているなんて、プロへの道も示唆されている彼にとって不利益になるのではと、始めは考えたものだ。



「そうだね。1番の理由はこれからもエナにストリンガーを続けさせるため、だよ」
「続けさせる?辞める予定でもあるのか?」
「いいや。けれど、私がプロの道に進めば彼女は己と周囲の環境から、必ずその歩みを止めてしまう。元々エナの実力は"彼"の為に磨かれたものだからね、私たちはその恵みをあずかっているに過ぎない。
…それでも、手放すような愚かなことは考えられないんだ。続けさせるためには、まずあの実力を形にする必要があった」
「あぁ、なるほど。確かに、プロが実際に参加する世界大会なら"実力の証明"にはこれ以上ないな……代償もある話しだが」
「課題内容はあらかじめ聞いていたから、相性の悪さに苦戦するだろう予想は付いていたよ。でも、きっと心配は無用さ。
ね、mon amour…キミもそう思うだろう?」



 プロに認めさせるため、敢えてプロ自身に選考させるか…。一般選考とはいえ各々がストリング経験のある者たちであり、応募者は少数ではあるが毎年それなりに競争率が高いと聞いている。
 にもかかわらず相変わらずの信頼に脱帽する。本当にカミュにそこまで言わせるエナのストリング技術には感嘆せざるを得ない。

 『ストリングパターンを変えても自然とラケット彼女が身体の一部になったかのような感覚と、打球後のボールの質感が妙に安定するんだ』
そう昔カミュは言っていたが、研究知り尽くした対一だからこそ成せる技なのだろう。これまで何度かエナに依頼をしたことはあるが、全て丁重に断られてしまっている。
どうやら一時的に張ることはできるらしいが、その一回で選手のスタイルに影響を与えることも少なくないようで、そうなれば責任が持てないから張りたくないらしい。
エナがテニスプレイヤーへと向ける真摯さを垣間見た瞬間だった。



「本当にあんな子を何処で見つけてきたんだか…まぁ、これも『テニスへの愛』あってこそなんだろうけどな」



 俺の呟きに笑って見せたカミュを横目に、今度はなにやら騒ぎながら戻ってくる王子様へと視線を投げた。



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