11.

ジョンが爽子に向かって木の枝を執拗に伸ばして来る。
爽子はそれを避けつつ枝を断ち切って退路を作ると、事務員2人に向かって呼び掛けた。


「ナオミちゃん、春野さん、逃げて」

「え、で、でも……」

「爽さんは?」

「私は昔の先輩のお守りがあるから行けない。2人だけでも先に逃げて」

「一寸、誰が誰のお守りをするって?」


ジョンはそう言って更に攻撃を増やす。


「っ、行って!早く!」


爽子の気迫の籠もった声に圧され、ナオミと春野はその場を立ち去る。
その直後、爽子はラヴクラフトの手から伸ばされた触手に身体を巻き付けられた。
爽子は異能力を発動させてそれを斬り、地面に着地する。
ジョンはそんな彼女の様子を見て呆れたように肩を竦めた。


「忘れたの?君の敵は僕だけじゃないって事。彼女達を逃がした処で、君がラヴクラフトと1対1で闘えば、その間僕は彼女達の探索に専念出来るんだよ」

「……云われなくても判ってる。でも、貴方も知らないでしょう?私の異能は、何かを斬る事以外にも使い道があるって事を」

「……?」


彼は爽子の言葉に首を傾げている。
思い当たる節がないのだろう。
当然だ。爽子は組合にいた頃、『斬り裂く』以外の能力については公にしなかったのだから。
彼女の異能力の全てを知っているのは−恐らく以前の団長だった男とフィッツジェラルドだけであろう。


「−異能力、『芝桜』」


何時ものように、彼女の指先から小さな花弁が溢れ出した。
だがそこで、ジョンは初めて違和感に気付く。


「花弁の色が……違う?」


普段なら、彼女の指先から放出されるのは、白か淡い桃色の花弁だった。
だが今現在、彼女が発生させているのは、薄紫色の花弁である。

バタリ。

ジョンの隣で、ラヴクラフトが盛大に崩れ落ちた。


「ラヴクラフト……?」


そう尋ねた処で、ジョンの身体を急激な眠気が襲い掛かる。


「私の異能−『芝桜』は、モノを斬り裂くだけの力じゃない。香りで敵を翻弄する力も持ってるの。影響力が広範囲に及ぶから普段は余り使わないけど、ナオミちゃんと春野さんを逃がした今なら存分に使える。今回使ったのは、催眠効果を高める香り。もう、貴方は私を攻撃出来ない」

「……はは、知らなかったな。爽の異能にそんな使い道があっただなんて」


ジョンはガクリと膝をついた。
そしていよいよ彼はその場に倒れ込み、ゆっくりと目を閉じる。
ジョンの動きが完全に止まった処で、爽子はゆっくりと手を下ろした。

−これで、私も皆も無事逃げられる。

爽子は素早く身を翻す。
そして、ナオミと春野の後を追い掛けるべく走り出した。
が。


「がっ!?」


爽子の腹を何か太いものが貫いた。
口から大量の血反吐を吐き出し乍ら彼女が自分の腹部に目をやると、見覚えのある触手が視界に入る。

−如何して?

ゆっくりと後ろを見遣ると、何事も無かったように立ち尽くしているラヴクラフトと、ニコニコと笑みを浮かべ乍ら起き上がるジョンの姿が目に入った。


「もう、遅いよラヴクラフト。僕まで無駄な演技をする羽目になったじゃないか」

「……眠かったから寝た」

「え、あの短時間で?」


あはは、とジョンは朗らかに笑う。


「取り敢えず今の内に―手、使えない状態にしておこっか」


爽子が呆然としている隙に、ジョンがそう呟く。

―拙い!

爽子が反撃しようと手を構えるよりも、木の枝が爽子の手首に複雑に絡みつく方が早かった。


「! やめ―」


爽子が云い終わらない内に、ゴキュリと何か太いものが折れたような嫌な音が鳴り響く。


「あっああああああああっ!!」


爽子が慟哭の声を上げる。
ぶわり、と額から冷や汗が溢れ出した。
折られた両手首はみるみる内に青く腫れ上がり、力無くダラリと垂れ下がっている。


「これで善し、と。悪いね、爽。僕達、君のその異能力については、団長から予め話は聞いてたんだよ。ラヴクラフトにはその手の異能は効かないし、僕も眠らないようにポケットに忍ばせてた短刀(ナイフ)を握り締める事によって『痛み』で睡眠欲を紛らわせてたんだけど……ラヴクラフトが行き成り本気で寝始めるから、僕も一寸だけ付き合ってあげようかな、って思ったって訳。どう?名演技だったでしょ?」

「し、ねば、いいのに」

「あはは、本性出てるよ、爽」


ジョンは爽子の手首に巻き付けていた枝を自分の方に引き戻し乍らクスクスと笑った。


「却説、と。裏切り者の確保も出来た事だし……後は、逃げたお嬢さん方を追跡しなくちゃね。ラヴクラフト、爽の事、その儘吊るし上げておいてくれる?」


そしてジョンは再び自分の異能力を発動させ、事務員の所在を探し始めた。
一方のラヴクラフトは眠たそうに欠伸を零し乍ら、自らの触手で爽子の両手首を1つに纏め上げる。
そして、そのままギリギリ爪先が地面に着くか着かないかという位置にまで彼女を持ち上げた。
腹を抉られ、手首も折られた上に、辛い体勢にさせられた彼女は、苦しげに浅い呼吸を繰り返している。


「いやあ、中々無様な恰好だね」

「うる、さい」

「うっわ、相変わらず可愛くない」


悪態を吐く彼女に対して、ジョンは軽く肩を竦める。


「……見つけた。うん、矢っ張り未だ余り遠くには行ってないみたいだね」


そしていよいよ事務員の居場所を探し当てた彼は、みるみる内に木の枝を増量させた。
数分後、ナオミと春野が枝に巻き付けられた状態で、爽子達の元に運ばれて来る。


「爽さん!?如何したんですの!?」

「爽ちゃん、酷い怪我……!」


ナオミと春野は、吊るし上げられた爽子の恰好を見るや否や悲鳴を上げた。


「ご、めん、2人共……。守っ、て、あげられなかった、っ」

「そんな……足手纏いになってるのは私達の方なのに、」

「そうだねえ、爽は君達の為に命を張った。実に素晴らしかったよ」


愛想の好い笑みを浮かべて、ジョンが突然会話に割り込んで来る。


「でも、僕達にとって有吉爽子という人間は、組合を捨てて逃げ出した唯の裏切り者だ。だから多少非道い扱いをする事になるのは仕方の無い事なんだよ」

「そんな……」


事務員の2人は青白い顔をして俯いて仕舞う。


「ご、めん……なさ、い」


再び小さな声で謝る爽子の声を聞き乍ら、ナオミは唇をぎゅっと引き結んだ。

―マフィアは時間を計算していた……
―なら必ず、探偵社の救助が間に合うよう調節した筈!
―御願い……間に合って!兄様!

彼女の心の叫びに呼応するように、ふわり、ふわりと季節外れの雪が舞い始める。


直後、乾いた銃声が一発鳴り響き、ラヴクラフトがガクリと膝を着いた。
そのお蔭で触手から解放された爽子は、腹部を押さえながらその場に倒れ込む。

―嗚呼、国木田さん達、来て呉れたのか。
―これで……屹度もう安心だ。

谷崎がナオミ達に向かって「逃げるンだ!」と叫ぶ声をぼんやりと聞きながら、爽子は安心したようにゆっくりと目を閉じた。


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