14.
(※自己解釈、捏造を多々含んでいます。今迄になくご都合主義)
「……で?」
中原中也は唐突に口を開いた。
「何で手前は俺について来てンだよ?」
「善いじゃん別に。私の勝手でしょう?」
「そういう問題じゃねェッ!」
「あだっ」
中也は自分の隣を歩く女−有吉爽子の頭を軽く小突いた。
「態々異能使って探偵社の傍まで送って来てやったっつーのに何が不満なんだよ?家が遠いならそう云え、近く迄送って遣るから」
「違う、そうじゃないよ」
「じゃあ何なんだよ?」
中也が苛立ちを露わにしてそう尋ねると、爽子は少し怒ったように「だから今の状態の中也を1人にしたくないって云ったじゃん」と言葉を返した。
「気持ちは有難いが、爽には関係ねェ話だろ。善いから、手前はもう帰れ」
「やだ、私帰らない」
「爽、頼むから」
手前を厄介な事に巻き込みたくねェんだよ。
中也が深々と頭を下げて懇願する。
爽子は目を見開いてその様子を眺めていたが、直ぐに我に返ると慌てて中也に顔を上げるように云った。
「……本当はね、私が見たいだけなの」
そして彼女は、少し寂しそうに笑って唐突に告げる。
「4年前、たった一度だけ見た−目の前で見せて呉れた、双黒の闘い。
私はあの時、何もかもを忘れて、只々目を奪われた。
いっそ芸術とでも云っても善いほどに息の合った、双つの黒。
それを、今日また見る事が出来るのなら−私の目に、心に、焼き付けておきたいなって思ったの」
−この状況で自分から組合の闘いを見に行こうだなんて、莫迦な事をしている自覚はある。
−それでも、太宰さんと中也が味方同士なら。
−如何しても、もう一度2人の共闘が見たい。
爽子は真っ直ぐに中也を見つめ、頑なに引き下がろうとはしなかった。
中也は暫し悶々としていたようだったが、矢張り首を振って爽子の考えを否定する。
「そんなの、只の手前の我儘だろうが。相手はあの組合だぞ?幾ら爽が警察官と雖(いえど)も、部外者の手前を連れて行く訳にはいかねェ」
「私は警察官だけど異能力者でもある。いざとなったら自分の身ぐらい自分で守れるよ。それに私、今回の件では探偵社に色々協力してる。だから部外者じゃないよ」
「だが−」
「お願い中也」
私を一緒に連れてって。
爽子は中也に詰め寄ってそう告げる。
−おい莫迦こういう時だけそんなに顔近付けて来ンじゃねェよ!
中也は内心で目の前の女に悪態を吐いた。
彼は自覚している。
自分は爽子に甘いのだと。
4年前、彼女に恋人の役を頼まれた時もそうだった。
爽子の真剣な瞳を見ていると、断るに断れなくなって仕舞うのだ。
だから今回も、先に折れたのは中也の方だった。
「……絶対敵の前には姿を現すなよ」
「! うん!」
元より彼女はその心算だった。
一応、元組合の暗殺者なのだ。組合の構成員には出来るだけ見つかりたくはない。
爽子は中也の言葉に素直に頷くと、何処からともなく帽子を取り出してそれを真深く被った。
「おいそれ、俺の帽子じゃねェか!」
「あ、バレた?」
◇◆◇
中也の話に寄ると、今回の任務の目的は、組合に攫われたポートマフィアの異能力者、夢野久作を救出する事なのだと云う。
夢野久作―通称Qは、精神操作系の異能力者だ。
長い間ポートマフィアの地下牢に閉じ込められていたのだが、今回の三社鼎立で、森はいよいよ彼を外に解き放つ事にした。
だが数日後、Qは組合の何者かに連れて行かれて仕舞ったらしい。
今回の横浜焼却作戦は、連れ去られたQの異能と組合の異能力者の異能の合体技(コンボ)が原因で起こって仕舞った事なのではないか。
これが、ポートマフィアの出した結論のようだ。
「合体技、か……」
爽子は顎に手を置いて思考に耽る。
精神操作系の能力は、数ある異能の中でも最も忌み嫌われる類のものだ。
それを、街1つを崩壊させて仕舞う程に増幅させられる異能力−。
組合のメンバーの中でそんな異能を持つ構成員を、爽子は1人しか知らない。
「……中也。私、Qを攫った組合の構成員、知ってるかもしれない」
「あ?知ってるってお前、それ如何いう事だよ?」
中也が訝しげに尋ねた直後、彼らが今いる場所から少し離れた処が行き成り明るくなった。
恐らく太宰がQの監禁施設に到着したのだろう。
2人は目を見合わせ、同時に頷く。
中也は異能で巨大な岩を持ち上げ、明かりの灯っている方角目掛けてそれを飛ばした。
そして彼等は、目的地に向かって気配を消し乍ら颯爽と走る。
「手前は此処に居ろよ。いいな?」
太宰の姿を確認できる位置に着くと、中也は早口で爽子にそう告げて足早に元相棒の元へと向かって行った。
爽子は木々の間からこっそり現場の様子を覗き込む。
「バカな!こんなの奇襲戦略予測には一言も……」
慌てたようにそう云って異能を発動させていたのは、爽子の予想通り、ジョン・スタインベックだった。
もう1人の異能力者、ラヴクラフトは、先程中也が投げた岩の下敷きになって仕舞ったようだ。
太宰が異能を発動したジョンの肩をポンと叩くと、ジョンの異能力が呆気なく無効化された。
その隙を狙って、中也がすかさずジョンの頭に重い飛び蹴りを入れる。
彼は太宰の隣に着地すると、露骨に厭そうな顔つきをして元相棒に悪態を吐いた。
太宰も太宰で綺麗な顔を歪ませて溜息を吐いている。
「……4年振り、一夜限りの復活だ」
月夜を背にして立つ双つの黒を見て、爽子はポツリとそう呟いていた。
黒社会最強の凸凹二人組(コンビ)は、互いに毒を吐き乍らQのいる建物の内部へと入って行く。
辺りは暫く静けさに包まれていたが、爽子は身を固くして2人が外に出て来るのを待った。
ジョンは兎も角、ラヴクラフトの能力は、元組合の暗殺者の彼女でも計り知れないものがあった為、下手に動いて状況を悪くしたくなかったのだ。
−それに、ラヴクラフトのあの力は……
がさがさという物音で爽子は我に返った。
気が付けば、今まさに危惧していたラヴクラフトが、岩を退けて立ち上がった処だった。
−拙い、此の儘じゃ2人が!
爽子が咄嗟に建物に眼を遣ると、丁度扉が中から開き掛けていて、今にも太宰と中也が外に出て来そうだった。
如何しよう。
迷ったのは一瞬だった。
扉の向こうから黒い帽子がちらりと見える。
それを目にした瞬間−彼女の躰は動いていた。
「中也!」
大声と共に中也の処に駆け寄り、彼の身体を突き飛ばす。
アイスブルーの瞳がこれでもかという程に見開かれ、その口からは彼女の名前が零れた。
「爽!!」
中也の声と同時に、爽子の首にラヴクラフトの触手が絡み付く。
そして次の瞬間、彼女は建物の側面の壁の方に向かって思い切り投げ飛ばされていた。
轟音と共に壁に穴が開き、爽子の身体が建物内部に投げ出される。
「爽!?何で此処にいるの!?」
そして、珍しくあからさまに取り乱した太宰が爽子の元に走り寄って来た。
「……如何しても、貴方達の共闘が見たかったから」
「そんな巫山戯た理由で此処に来たの?莫迦じゃないの!?君、今の自分の立場解ってる?」
「おい太宰、如何いう事だよ?」
Qを置いて後からやって来た中也も話に加わった。
するとすかさず太宰が中也に咬み付く。
「中也も何考えてるの?何でこの娘を連れて来たの!?」
「此奴が余りにも必死で断り切れなかったンだよ!爽も一応この戦争の当事者で−」
「そういう問題じゃない!爽は昔、組合の暗殺者だったんだよ!?それなのにこんな処に連れて来て……一体何考えてンの!?」
「は?」
元……組合の暗殺者?
何だよそれ。
中也の頭の中は真っ白になる。
だがそんな彼を待っていてくれる程敵も甘くはない。
コキリと首を回して戦闘の準備をするラヴクラフトの様子を見て、太宰は苛立たしそうに大きく舌打ちをした。
「話は後、今は此方に集中しよう」
「……解った」
太宰の提案に中也は渋々頷く。
「あれは異能力の類だろう?私の異能無効化ならあんな攻撃−」
「違います太宰さん!あれは−」
爽子が云い終わる前に、ラヴクラフトの触手が太宰に直撃した。
「太宰ィ!?」
「太宰さん!」
爽子は自分に迫ってくる触手を異能で斬り刻み乍ら、中也は異能を宿した拳で触手を攻撃し乍ら太宰の元へと向かった。
「おい太宰!」
2人が傍に寄ると、太宰は咳き込み乍らのろのろと立ち上がった。
口元からは夥(おびただ)しい量の血が流れている。
「手前……深手じゃねェか」
「あの触手……実に不思議だ。異能無効化が通じない」
太宰のその言葉に対する2人の反応は正反対だった。
爽子は納得したように頷いていたが、中也は疑わしげに眉を顰めている。
「爽、教えて。あれは異能じゃないんだろう?」
「ええ、そうです。でも、あれが一体何なのか、彼の異能がなんなのかは、私には解りません」
「善いよ。あれが異能じゃないっていうのが証明されただけで充分だ。
爽、君は直ぐにQの処に行って彼を護って。中也、此処からは懐かしの遣り方で行こう」
太宰が的確な指示を飛ばす。
爽子は太宰に云われた通り、直ぐにその場を離れてQの元へと向かった。
途中何度かまたラヴクラフトの妨害が入ったが、太宰と中也が上手く注意を逸らして呉れたようで、此方への攻撃はぴたりと止んだ。
そして彼女がQの傍に辿り着いた頃には、ラヴクラフトは中也の異能によって仰向けになって地面にへばりついていた。
「……終わった、のかな」
敵を倒した双黒がぎゃーぎゃー下らない遣り取りをしている一方で、爽子はまだ得体の知れない不安を感じていた。
あのラヴクラフトが、こんなに簡単に倒せるとは到底思えないのだ。
そしてそんな彼女の厭な予感は直ぐに確信へと変わる。
彼女が『それ』に気が付いた時には、ギプスを填めた方の太宰の片腕は『それ』に持って行かれて宙を高く舞っていた。
その衝撃で、太宰の躰は森林の方に向かって突き飛ばされる。
「おいおい……こりゃ本気(マジ)でどういう冗談だよ……?」
中也は『それ』−最早人間とは掛け離れた、得体の知れない巨大な怪物の姿と化したラヴクラフトだったモノを見上げてそう呟くと、太宰が負傷していた事を思い出し、直ぐに彼の元へと駆け寄った。
爽子は傍らで気を失っているQをぎゅっと抱き寄せ、固唾を呑んで2人の様子を見守っている。
無理だ、と爽子は思った。
一度の闘いで出せる刃の量に限界のある自分の異能では、今のラヴクラフト相手には分(ぶ)が悪過ぎるし、中也が重力を使って攻撃を続けたとしても、体力が持たない。
その上、太宰の異能力無効化も使えない。
……普通の異能力じゃ、あの怪物を倒すのは無理だ。
片腕のギプスは太宰が始めから偽物を仕込んでいたようで、太宰は両腕を上げて中也に見せびらかせていた。
こんな時でも厭がらせを忘れない元相棒を殴り掛かろうとしていた中也だったが、太宰の一言でその表情が一気に変わる。
「……『汚濁』かな」
2人の間に流れる只ならぬ雰囲気を感じ取った爽子は、唇を噛み締めて太宰と中也の様子を見守った。
屹度中也は、この状況を危惧していたのだ。
力を制御できず死ぬ迄暴れ続ける中也の異能の最終形態。
太宰の異能があって初めて、中也は『汚濁』を使う事が出来るのだ。
其れは乃ち、中也が『汚濁』を使うのは実に4年振りである事を暗に示している。
ポートマフィアの実力者とは云え、戦闘前に多少彼が精神的に不安定になっていたのも頷けた。
少しして、中也はチラリと爽子の方に眼を向ける。
大丈夫。太宰さんを信じよう。
そんな意味も込めて、爽子は中也に力強く頷いてみせた。
それを見た彼は、意を決したように顔を上げ、キッと敵を睨み付ける。
蒼く澄んだ綺麗な瞳が、月明かりに反射してキラキラと光っていた。
そして中也は大きく息を吸い込み、ゆっくりと手套を外していく。
「汝、陰鬱なる汚濁の許容よ」
「更めてわれを目覚ますことなかれ」
そして、彼は歩き出した。
◇◆◇
「何だ、あれは……」
眼を覚ましたジョンの視界に映り込んだのは、怪物と化したラヴクラフトと、それに向かって重力子弾を次々と投げる青年の姿だった。
青年は自我を失っているようではあったものの、周りの重力子を操り、自分の質量をも増大させて攻撃しているように見える。
「知りたいかい、組合の働き蟻君」
ジョンが立ち上がる前に彼の肩に手を置いたのは太宰だった。
彼は素早くジョンの背後に回り込むと、もう片方の手に短刀を持ち、それをジョンの首に宛がう。
太宰は呆然と戦闘を見つめるジョンに対し、中也の異能の説明をした。
それを軽く聞き流し乍ら、ジョンは視界の端に見覚えのある元同僚の姿を捕らえる。
「……何で此処に爽がいるのさ?」
「さあ?今闘ってるあのチビが連れて来たんだ。あの娘が君達の元同僚って事も知らずにね」
「連れて来る方も結構なバカだけど、のこのこと着いて来た爽も相当のバカだね。あれだけコテンパンにされたって云うのに」
「私も始めはそう思ったさ。でも……今なら少し、あの娘の気持ちが判る気がするんだ」
太宰は中也と爽子を交互に見詰めて目を細めた。
−妬けるなァ、中也の癖に。
屹度彼女が本当に見たかったのは、双黒の闘いではなく、汚濁を使う中原中也の姿だったのだ。
鮮やかで、劇的で、何処か煽情的な中也の異能の真の姿。
中也の汚濁形態を見て、恐れ慄く者は大勢いる。
だが太宰は、初めて『汚濁』を見た時、悔しい事に、今迄見て来たどんな異能よりも目を奪われて仕舞った。
それを、自分の手で終わらせる事が出来るのが嬉しかった。
中也の事は昔も今も大嫌いだが−彼の異能は、存外嫌いではなかったのかも知れない。
本人には絶対に云って遣る心算は無いが。
そして爽子も、恐らく自分と同じだったのだろう、と太宰は思った。
彼女もまた、中也の『汚濁』に魅せられた人間の1人なのだ。
太宰がそんな事を考え込んでいる間にも、中也とラヴクラフトの闘いは続いている。
彼はぼんやりとそれを見つめていたが、ふと中也の口元から血が零れ始めているのに気が付いた。
「……拙いな。中也の躰が保(も)たない」
「生憎だね」
太宰の言葉を聞いたジョンは、せせら笑うようにそう告げる。
「ああなったラヴクラフトを外部から破壊する手段なんて存在しない」
「“外部から”?つまり内部からの攻撃は効く訳だ」
太宰治は言質を取る事に長けた男である。
うっかり余計な事を話して仕舞ったジョンは、悔しそうにギリリと歯を食い縛った。
太宰はニヤリと不敵な笑みを浮かべると、何処からともなく遠隔操作機器(リモコン)を取り出し、その釦(スイッチ)をカチリと押す。
数秒後、ラヴクラフトの躰が『内部から』爆発し、此処に来て初めて彼が苦しそうに叫び始めた。
先程太宰が押したのは、ラヴクラフトに持って行かれて仕舞った太宰のギプスに仕掛けられていた、起爆装置の釦だったのだ。
そしてラヴクラフトが怯んでいるこの隙を見逃す中也では無い。
「やっちまえ、中也」
太宰の声と共に中也が巨大な重力子弾を投げ付ける。
凄まじい轟音がして、辺り一面が眩(まばゆ)い光に襲われた。
太宰もジョンも、そして爽子も、余りの眩しさに目を覆い隠す。
そして−
視界が晴れた時、其処にはもう、ラヴクラフトの姿は無くなっていた。
代わりに、地面を大きく抉るように巨大な穴が出来ている。
嗚呼、終わったんだ、と爽子は思った。
Qをそっと横たえて中也の元に向かおうとするが、狂ったように地面に重力子弾を投げ続ける中也を見て、そう云えばまだ彼は異能を解除していないのだという事を思い出す。
チラリ、と爽子は太宰の方を見た。
彼はこの状況を愉しんでいるようで、涼しい顔で中也を眺めている。
「太宰さん」
早く、止めてあげて下さいよ。
爽子がじっと太宰を睨み付けると、彼はほんの一瞬ぱちくりと目を瞬かせてから、呆れたようにふっと笑った。
そして、狂気的に笑う中也の元に近付いて行く。
「敵は消滅した。もう休め、中也」
中也の瞳に光が戻って来た。
完全に異能が解けた中也は、ドサリとその場で膝を着いて蹲る。
「この……糞太宰……終わったら直ぐ……止めろっつうの……」
「もう少し早く止められたけど面白くて見てた」
けろりとした表情でそう云う太宰を見て中也はあからさまに苛立ったような顔をして見せた。
後から太宰と中也の元に辿り着いた爽子は、苦笑いを浮かべて2人の遣り取りを見守っている。
「……爽」
中也は太宰から顔を逸らし、爽子に向かって手を伸ばした。
手套を付けていない彼の指が、壊れ物を扱うかのように爽子の頬に触れる。
「ちゃんと、目に灼き付けたか?」
「……うん」
爽子は自分の頬に置かれている中也の手をぎゅっと握り締め、何度も何度も頷いた。
それを見て安心したようにふっと表情を緩めた中也は、漸く力が抜けたのか、がくりと爽子に躰を預ける。
あの時と同じだ、と爽子は懐かしくなった。
4年前、太宰と中也が初めて共闘するのを見た時も、こうして中也は最後に爽子の方に倒れ込んで気を失って仕舞ったのだ。
こうしてきちんと触れてみるまで気が付かなかったが、今の中也はあの頃の彼に比べて細身ながらもしっかりと筋肉がついたように思えた。
−そうか。もう、4年も経つのか。
今更乍らに4年という時の隔たりをありありと感じて、爽子は少しだけ胸が痛んだ。
勝手に離れて距離を置いたのは自分だと云うのに。
「爽」
その時、聞き覚えのある声が後ろから聞こえて来て、爽はびくりと肩を震わせる。
恐る恐る後ろを振り返ると、傷だらけのジョンの姿が目に映った。
「……私、組合には戻らないよ」
「知ってるさ。流石に今日は君を連れて帰る心算は無い。そっち側に異能力無効化の彼がいる時点で、如何足掻いても僕に勝ち目は無いしね」
「よく判ってるじゃないか」
太宰は小さく笑みを浮かべて立ち上がった。
「爽を連れてく心算が無いなら……一体爽に何の用かな?」
「……僕は、家族を養う為に組合に入ってはいるけど−団長の事は物凄く嫌いだ。だから、嘗ての君の先輩として、後輩の君に1つだけ忠告して置こうと思ってね」
ジョンは其処で言葉を止めると、真っ直ぐに爽子を見詰めて口を開いた。
「団長は本気で君を連れ戻そうと画策してる。屹度、どんな手を使ってでも、君を組合に戻そうとする筈だ。そして団長に捕まったら最後−多分、君は組合から一生出られなくなる。爽には4年前に1度逃げられているから、今度は絶対に逃がさないだろうね。僕は君の事が嫌いじゃないから君が戻って来たら歓迎はするけど−組合のメンバーの中には、裏切り者の君の復帰を待ち望んでいない者も大勢いるよ。その辺は色々気を付けた方がいい」
「……」
これは、心配……して呉れているのだろうか。
こんな風に自分を気遣うジョンなんて組合に居た頃も見た事がなくて、爽子は少し戸惑って仕舞う。
「心配無いよ」
ジョンの言葉にそう答えたのは太宰だった。
「爽の事は絶対に渡さない。私達探偵社が必ず護るよ。……それに、其処の牧羊犬も、此の娘には随分と懐いているしね」
「牧羊犬って……君、彼の事そんな風に思っていたの?」
ジョンは中也を見遣ってクスリと笑う。
「まあ善いや。今回は大人しく引き返すけど、僕も所詮は組織の狗だ。次は容赦しないからその心算でいてね。……それじゃ」
そう言い残してから、ジョンはその場から姿を消した。
「……」
「……」
沈黙が痛い。
−太宰さん、絶対怒ってるんだろうな……
このタイミングで眠って仕舞った中也が少しだけ恨めしい。
爽子がチラリと上を見遣ると、予想通りムスリとした表情の太宰が仁王立ちで此方を見下ろしていた。
「……ごめんなさい」
「何が」
「私が、今日此処に来て仕舞った事です」
太宰はそれを聞いて大袈裟に溜息を吐いた。
「……本当に、莫迦なんじゃないの?」
彼は何時になく厳しい顔つきでそう吐き捨てた。
「君が中也の前に飛び出して来た時、冗談抜きで息が止まりそうになった。流石の私も君が此処に来るなんて予想もしていなかったから」
「……ごめんなさい」
「佳いよ、もう。……君が無事で、本当に善かった」
太宰はそう云って爽子をそっと抱き締める。
ごめんなさい。
爽子は心の中で再びそう呟いて、ゆっくりと彼の背中に手を回した。
2人の間に静寂が訪れる。
少しして、爽子が思いついたように口を開いた。
「……私、中也の『汚濁』を見ているのが好きなんです。初めて見た時から、ずっと」
「うん」
「だから、若しかしたら今日此処に来れば『汚濁』が見られるかも知れないって、そんな下心を抱いて此処に来て仕舞いました。……最低ですよね」
「……」
「でも、私が1番好きなのは−太宰さんが、中也の『汚濁』を止める、あの瞬間なんです」
太宰が僅かに鳶色の目を見開く。
爽子はそっと太宰から離れると、彼の手を取って両手でやんわりと握り締めた。
「太宰さん自身にその気が無くとも−私は、太宰さんの此の手は、沢山の人を救ってあげられる魔法の手だと思っています」
だって此の手は、異能で苦しむ人々にとって、文字通り『救いの手』になっている筈だから。
その言葉に、太宰は思わず俯いて仕舞った。
今迄『マフィアになる為に生まれたような男』『流れる血はマフィアの黒』と豪語された事は何度もあった。
自分でもそれは自覚していた為、そう云われる事に関して特に何とも思っていなかった。
だが、人を救う側に適しているという類の事を云われたのは生まれて初めてで。
ふと、4年前に赤髪の親友と最期に交わした約束を思い出していた。
−ねェ、織田作。
−私は織田作との約束を、きちんと守れているのかな。
「……爽」
「はい、何ですか?」
胸がいっぱいで、何とも云えない多幸感で満ち溢れていた。
彼女に伝えたい事が沢山ある気がする。
でも、結局本当に伝えたい事はたった一言で収まるような気がして。
「ありがとう」
色々な想いを込めて、太宰が爽子の手を握り返す。
爽子は一瞬きょとんとした顔をしたが、次の瞬間花のようにふわりと笑みを浮かべた。