17.
「組合を倒せる情報が手に入ったって本当ですか!」
切羽詰まった表情でそう叫び乍ら、中島敦は慌てた様子で探偵社の中に這入って来た。
谷崎の指差す方向に向かって敦が足を進めると、奥の部屋で太宰と乱歩が作戦会議を開いているのが判った。
「……では潜入手段は?」
「それこそ異能特務課だな」
「すぐ掛かります。最後は山?」
「海だ」
「了解」
太宰と乱歩の暗号のような遣り取りに、敦は思い切り首を捻る。
「太宰さん」
頃合いを見計らって太宰に話しかけると、「嗚呼、丁度良かった」と言って太宰は敦を席に座らせた。
そして、乱歩と与謝野が手に入れた組合の資料を広げ乍ら、次の作戦について敦に説明をする。
それは、敦が単独で組合の空中要塞『白鯨』に潜入するというものだった。
太宰曰く、不測の事態に対応可能な戦闘系異能力を持ち、最も殺されるリスクが低く、且つ白鯨の中に捕えられて土地勘がある敦こそが、この任務に相応しいとの事だ。
「……それとね、敦君」
「はい?」
ふっと表情を暗くした太宰を見つめて、敦は不思議そうに首を傾げた。
「……爽が、消息を絶っているんだ」
「え……」
そして時は数刻前に遡る。
『おい太宰、手前ンとこに爽が行ってねェか』
電話で中也からそう連絡を受けた太宰は、漠然とした不安を胸に抱き乍らも「知らないよ」と答えた。
「君の処に居ないのなら、自分の家にでも帰ったんじゃないの?」
『先刻確認したが留守だった』
「携帯に連絡は?」
『した。電話は繋がらねェしメエルも返って来ねェ』
「……厭な予感がするね」
太宰は溜息を吐き出し乍らそう答える。
「中也、君は爽に家を出ないようにと伝えたんだよね?」
『嗚呼。だが家の中が荒らされた様子は無い。……只、1つ気になる事がある』
「何?」
『彼奴の靴は、未だ玄関に置かれた儘なんだよ』
「詰まり爽は、靴を履く時間すら惜しむ程急いでいたって事か……」
太宰は顎に手を当ててそう呟く。
そして彼は、不穏な予感が確信に変わりつつあるのを自覚し乍ら中也にこう尋ねた。
「ねェ、1つ聞きたいんだけど、爽は電話に出なかったの?それとも、抑も電話が繋がらなかったの?」
『……繋がらなかった』
「矢ッ張りね」
太宰はぐしゃぐしゃと蓬髪を掻き乱し乍ら苛立たしげにそう吐き出した。
中也もそこで太宰と同じ結論に至ったようで、チッ、と隠す事無く舌打ちを零す。
『爽は、組合の野郎共に連れて行かれたンだな?』
『恐らくね。組合に自分の居場所が割れて仕舞ったと判った爽は、君に迷惑を掛けないようにと君のセーフハウスを慌てて出て行ったんだろう。そして探偵社に逃げようとした途中で組合に捕えられ、連れて行かれた」
「なら、早く扶けに行かねェと―」
「待って、中也」
今にも電話を切ってしまいそうな勢いの中也に、太宰は鋭い声でそう呼び掛けた。
「私に1つ、考えが有る。君は自分の拠点で待機していて呉れないかい?」
『はァ!?手前、愈々(いよいよ)本格的に頭でも沸いたンじゃねェのか?こンな状況で大人しく待機なんか出来る訳ねェだろ!』
「中也、何度も同じ事を云わせないでよ。私の作戦立案が間違っていた事は?」
『……』
電話の向こうでバキリと何かが折れる音が聞こえた。
電話越しの中也が、苛立ちをぶつけるかの如く何かを壊したのだろう。
「君にとって爽が大切な存在であるように、私にとってもあの娘は掛け替えの無い存在なんだ。此処は私に一任して呉れ給えよ、相棒」
太宰は諭すような口調で中也にそう呼び掛ける。
『……失敗なんかしてみろ。問答無用で縊り殺すからな』
「それはまた最高の厭がらせだね。……判ってる。私に任せて」
太宰は微笑み乍らそう言葉を返した。
「……という訳なのだよ、敦君」
太宰の話を一通り聞いた敦は、恐る恐るといった様子でゆっくりと口を開いた。
「……詰まり太宰さんは、此の作戦に乗じて、僕に爽さんの救出もして欲しい、という事ですか?」
「その通り。君1人にこんな重荷を背負わせて仕舞うのは申し訳ないけれど、此れは君にしか出来ない事なんだ」
太宰はそう云ってから敦に頭を下げる。
「敦君。あの娘を……爽を、どうか扶けてあげて欲しい」
「え!?あ、あの!頭を上げて下さい太宰さん!」
太宰の思わぬ行動に、敦は素っ頓狂な声を上げる。
「僕も爽さんには散々お世話になっています。だから僕としても、この任務は絶対に失敗する訳にはいきません」
敦はそう云ってから、ぎゅっと拳を握り締める。
「太宰さんの為にも、そして僕自身の為にも―絶対に、僕が爽さんを救出してみせます!」
「……うん。有難う、敦君」
そう礼を告げた太宰の顔は、何時に無く優しい表情をしていた。
爽子が目を覚ますと、見覚えの無い天井が真っ先に目に入って来た。
鈍く痛む後頭部を押さえ乍らゆっくりと起き上がると、豪華絢爛なシャンデリアや如何にも高級そうな座椅子が置かれていて、此処は一体何処なんだと途方に暮れる。
―確か私は、中也の家を飛び出して、それで―
「……!」
気を失う直前に聞こえて来た声を思い出して、彼女の顔色は蒼白に染まった。
「嗚呼、漸く目を覚ましたか」
ガチャリ、と扉の開く音と共に背後から聞こえて来たその声に、爽子は分かり易くビクリと肩を震わせる。
其の儘微動だに出来ずにいると、その男―フランシスはコツコツと態とらしく靴音を響かせ乍ら、爽子のすぐ傍まで近寄って来た。
「久し振りだな、爽」
「ふ、フランシス、さん……」
名前を呼ばれたフランシスは、嬉しそうに眼を細めて爽子の頭をくしゃりと撫でる。
「気分は如何だ?頭は未だ痛むか?」
「……」
「ふん、無視か。まあ善い」
フランシスは白けたと云わんばかりに肩を竦めると、爽子が座っている長椅子の向かい側に腰を下ろす。
「お前がいなくなってからの4年半、俺は毎日気が狂いそうだった」
そして彼は、唐突に胸の内を語り出した。
爽子は彼とは目を合わせようともせず、自分の膝の上に置いた握り拳をぐっと見つめて唇を噛み締めている。
「俺にとってお前は、自分の娘のような存在だった。だから、お前が突然姿を消した時には、自分の詰めの甘さに心底腹が立って仕方無かったよ。妻が居て呉れたお蔭で如何にか自我を保っていられたが―ゼルダがいなかったら、俺の心はとうの昔に死んでいただろう」
フランシスはそこで言葉を切ると、鋭い眼光で爽子を射竦める。
「だから今度は、絶対にお前を逃がしはしない」
―俺は此の街で、お前も『本』も、必ず手に入れてみせる。
フランシスのその言葉に、爽子は漸く顔を上げた。
彼の執着心に動揺したからでは無い。彼から発せられた『本』という単語が気になったからだ。
「……嗚呼、爽には未だ、話していなかったな」
フランシスは訝しげな爽子の表情を見て、思い出したように口を開いた。
「此のヨコハマには、『本』があると云われている。書いた事が真実となる白紙の文学書だ。
俺はその本を使って、死んだ娘を蘇らせる。そして、『娘がロンドンに留学中』という妄想に逃げ込むようになって仕舞ったゼルダの心の闇を晴らし―家族を取り戻す」
「そんなの……そんな、事―」
「誰に何を云われようが俺の気持ちに変わりは無い。何故なら、『家族』というものは、この世の全てを犠牲にするほど価値のあるものだからだ」
そう言い切るフランシスの目に迷いは無い。
「だから、俺にとっては娘のように大切な存在である爽の事も、俺は必ず守ってみせる。
……それに、ヨコハマはどうせじきに消滅する運命だ。此処で俺に命運を預けなければ、お前ももう直ぐ死ぬ事になるぞ」
「!それ……如何いう事、ですか」
「その様子だと、未だ気がついていないみたいだな」
フランシスはニヤリと笑みを浮かべて窓の外を指差した。
爽子は立ち上がって窓辺に駆け寄り、眼下に広がる光景を見て驚きで目を見開く。
「此処は空中要塞『白鯨(モビーディック)』の中だ。数十分後、総重量29000トンのこの船が、ヨコハマ市街のど真ん中に落下する事になっている」
フランシスの言葉を最後まで聞かない儘、彼女はガクリとその場に膝をついた。
衝撃で言葉も出ない様子の爽子を一瞥すると、フランシスは部屋を出て外側から鍵を掛けて仕舞う。
「如何しよう……」
―ヨコハマを、皆を守らなきゃ。
頭ではそう思っていても、空中要塞から逃げ出す術を持たない今の彼女にはどうすれば善いのか見当もつかなくて、唯途方に暮れた儘呆然と窓の外を見下ろす事しか出来なかった。