18.

谷崎の協力を得て白鯨に潜入した中島敦は、そこで異能力者、ハーマン・メルヴィルに遭遇した。
彼曰く、組合の主力メンバーの殆どは、既にこの巨大な飛行船から脱出したらしい。
あと1時間足らずで白鯨がヨコハマの街に落とされるからだ。
そうすれば、のろいの異能で既に傷ついている此の街は完全に破壊されることになる。
詰まり、三者鼎立の此の戦争が、愈々終りを迎えるのだ。


「聞きましたか太宰さん!直ぐ作戦を中止して避難しないと……」

『……敦君、よく聞くんだ』


―作戦に変更は無い。

太宰は虎の少年にきっぱりとそう云い切った。
彼は此の事態を予測した上で敦を適任者と判断し、此の白鯨に送り込んでいたのだ。


『それに、此れはあくまで私の予想だけど……恐らく爽も未だその船の中に居る』

「え!?」


太宰のその発言に、敦は思わず目を見開いた。


『組合のフィッツジェラルドという男は、自棄に爽にご執心でね。一度彼女に逃げられた経験が有る事を考えると、此の作戦中は彼女を自分の下から解放してはいないだろう。若し仮にフィッツジェラルドが他の組合メンバーと同じように爽も地上に避難するように命令していたとしても、彼女自身がそれを拒んだ筈だ。あの娘は此のヨコハマの街をとても大切に想っている。最後の瞬間迄、如何にか此の街を救おうと奔走している気がするんだ』

「成る程。じゃあ、爽さんが此の中に居る可能性は、限りなく高いって事ですよね」

『うん』


敦の質問に、太宰は頷きを返してみせた。


『白鯨の落下阻止と爽の救出。……やれるかい?』


敦は一瞬だけ考え込むように目を閉じてから、決意の籠もった瞳で目の前にいるハーマンを見つめる。


「落下を止めるには……如何すればいいんです?」

「制御端末を使うしかない。左に進んで吹き抜けの先じゃ。……無論、警備は厳しいがな」


ハーマンは敦の問いにそう答えた。
白虎の少年はその答えを聞いてから直ぐに踵を返すと、制御端末のある部屋―フランシスの居る先へと足を進めたのだった。





「やぁゼルダ。元気にしてたか?……ああ、電話が5分遅れたのは謝るよ。何しろ仕事が大詰めでな」


フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルドが愛しい妻へと電話をかけている間、有吉爽子は同じ部屋の長椅子に腰掛けていた。
先ほど部屋に閉じ込められてから十数分間、扉の鍵を抉じ開けようと如何にかこうにか粘ってはみたものの、結局それを開ける事は叶わなかった。
その後彼女は部屋に戻って来たフランシスと共に別の部屋に移動し、現在に至っている。
此の部屋には鍵こそ掛かっていないものの、同じ空間に居るのは嘗ての上司。
彼の実力は組合時代に厭という程に知っている。
そう簡単に逃げ出す事が出来る訳も無かった。

一瞬でも善い。隙を見つけて如何にか此処から逃げ出して、此の機体を上空に持ち上げないと……。

その時だった。
ガチャリ、と唐突に扉が開き、一瞬だけフランシスの気が逸れた。
爽子は長椅子の背を飛び越え、一目散にその場から逃げ出そうとする。
だが、彼女は直ぐに足を止めてしまった。
何故なら、扉の向こう側から現れたのは、本来ならば此処にいてはならない筈の人物の姿だったからだ。


「……敦君?何で此処に?」

「此のヨコハマの街とそこに住まう人々を守るのが、武装探偵社僕達の仕事ですから」


―だから、爽さんの事も扶けに来たんです。

敦の言葉に、爽子は目の奥から熱いものが込み上げて来るのを感じた。
彼のお陰で、彼女は自分が思っていた以上に組合に連れて来られた事に対して恐怖を覚えていたのだと気づかされる。


「待たせたかな」


だが、背後から聞こえて来たその声に、爽子の表情は一瞬にして強張った。
振り返ると、電話を終えたフランシスが、或る端末を片手に敦と爽子を見詰めて微笑んでいる。


「貴方が……白鯨の制御端末を守る警備?」

「制御端末?……何それ、如何いう事?」


敦の言葉に爽子が首を傾げると、敦は此の白鯨が制御端末でしか操れない事、そしてその端末は今フランシスが持っている物しか無いのだという事を説明した。


「そんな……じゃあ、ヨコハマを守る為には、フランシスさんを倒す以外に方法が無いって事?」

「全くもってその通りだ、爽」


彼女の問いに答えたのはフランシスだった。


「俺が此処迄登り詰めた成功の秘訣その1だ。『仕事の1番大事な部分は他人任せにするな』。……お前は俺の傍から逃げ出して自分が白鯨を操縦すれば丸く収まるだろうと考えていたのかも知れないが、抑も此の機体ではそんな事は不可能なんだよ。白鯨は、此の端末でしか制御が出来ないのだからな」


組合の長は片手で端末を弄び乍らそう呟く。


「少年。端末を奪い合うなら簡潔シンプルに行こう」


そして彼は、制御端末を座椅子の上に置き、唐突に敦にそう告げた。
フランシスの提案した規約ルールは至って単純だ。
3つ数えたら同時に走り、先に端末を手にした方が勝者。
敦が勝てば白鯨を好きに動かせる。だが若しフランシスが勝てば、敦はフランシスに服従しなければならない。


「敦君、駄目!そんな誘いに乗らな―」

「悪いな、爽」


フランシスは、敦に対して何かを云いかけた爽子の腹を蹴り上げた。
床に転がり込んだ彼女は、腹を押さえてゲホゲホと咳き込んでいる。


「爽さん!」

1ワン


敦が爽子の元に駆け寄ろうと一歩動き出した途端に、フランシスは数字を数え始めた。
少年の顔に、一気に焦りの表情が浮かび上がる。
結局、敦はフランシスが3秒数え終る前に走り出して仕舞った。
フランシスは爽子と同じように敦の腹にも強烈な足蹴キックを浴びせ掛けると、血と涎を垂らして咳き込む敦を見つめ乍らニヤリと微笑む。
だが―


「……ほう、今の蹴りでも倒れんか」


蹌踉めき乍らも何とか立ち上がった敦の姿を見て、彼は感心したようにそう呟いた。


「いいだろう、一万では失礼だったな」


フランシスはそう云って、自身の所有する有価証券を手に取った。
そして、彼は自分の異能力《華麗なるフィッツジェラルドThe Great Fitzgerald》を発動する。
この異能は、『消費した金額に比例して身体能力を強化させる』というもの。
敦が気付いた時には既に彼の身体は宙に浮いていて、次の瞬間彼は蹴り飛ばされた先の扉と一緒に地面に叩き付けられていた。


「あつ、し、くん……!」


爽子が立ち上がって敦の元に駆け寄ろうとすると、身体強化した男の手がにゅるりと伸びて彼女の手首を掴む。


「いっ……!」

「おいおい、暫く見ない内に飛んだじゃじゃ馬娘に成長したものだな」


関節が外れそうな程に腕を持ち上げられ、更にその状態で捻り上げられる。
異能力《芝桜》を使って、彼の手を刃で抉る事で脱出をしようと試みるも、それが完全に発動するよりも前にもう片方の手で首を締め上げられ、強制的に異能が解けて仕舞った。
爽子の意識が朦朧としてきたのを確認すると、フランシスはにこりと微笑んで彼女の首から手を離す。
ドサリ、という音と共に、爽子はその場に崩れ落ちた。
フランシスはそんな彼女の頭を一撫ですると、次は愈々敦に向き直る。


「誇っていいぞ、少年。10万も使うのは数年ぶりだ……」


敦と爽子の捕獲と白鯨の落下という予定を全て終えたフランシスは、床に転げ落ちる敦の手足を外して満足気に一息吐いた。
すると、彼は回廊から『珍しい客人』がやって来た事に気が付く。


「おや、道にでも迷ったか?……えー……ミスタ・アグラ……アクラーヴァ……」

「……芥川」


コツコツと靴音を鳴らし乍ら部屋に近付いて来たのは、ポートマフィアの禍狗、芥川龍之介だった。


ALICE+