2.
彼の名前は中島敦。
故あって孤児院を追い出され、探偵社の仲間入りを果たした謂わば新人だ。
入社試験に合格してから早数日、彼は自殺癖のある上司の分まで報告書を纏めていた。
「おい小僧、太宰は如何した」
敦に話し掛けたのは国木田独歩である。
「太宰さんですか?今日は見かけていませんけど……」
「……彼の唐変木、今日は一体何処で油を売っているんだ」
国木田が苛立たしげに悪態を吐いたと同時に、探偵社のドアがガチャリと開いた。
「やあ、国木田君。お早う」
「漸く来たか此の包帯無駄遣い装置!規律を守れと何度云えば−」
「国木田君、其処退いて」
「人の話を聞け!」
太宰に噛み付いた国木田は、彼の後ろにもう一人誰かいる事に気が付いた。
「……依頼人の方か?」
「ううん、此の娘は私の旧(ふる)くからの友人……かな?」
「「「……え?」」」
太宰の言葉に、其の場にいた全員が一斉に此方を向く。
彼の前職は誰も知らない。
故に、太宰にどんな知り合いがいるのか知っている者もいない。
皆が興味を示すのは当然の反応だった。
「えっ、と……横浜中央署の有吉爽子と申します」
「……警察?太宰さん、若しかして警察官だったンですか!?」
「真逆。そンな規則に縛られた職業が私に務まるとでも?」
爽子の自己紹介を聞いてから、茶髪にヘアピンを留めた男性−谷崎潤一郎が発した言葉に、太宰は肩を竦めてそう返した。
「今日は此の娘に紹介したい人がいて連れて来たのだよ。爽、こっち」
そして太宰は、爽子を敦の元へと引っ張って行く。
「中島敦君。君が知りたがってた人喰い虎の犯人だよ」
「……へ?」
「だだだだだだ太宰さん!?」
太宰が投下した爆弾発言に、敦も爽子も文字通り綺麗に固まった。
「えっ、と……詰まり?」
「敦君は虎の異能力者だ」
太宰の言葉に、社の面々は皆息を呑む。
敦は区の災害指定猛獣だ。軍警とも深く関わりのある一警察官の彼女に、敦の事をそんなに呆気なく話しても善いものなのか。
太宰以外の社員が固唾を呑んで見守る中、爽子は少しの間呆気にとられたような顔をしていたが、直ぐにニコリと小さく微笑んだ。
「そっか、異能力者だったンですね。其れは災難でした。実は私も異能力を持っているんです」
「え!?そ、そうなんですか!?」
敦が素っ頓狂な声を上げる。
「探偵社や異能特務課を仕事場に選ぶ事も一時期は考えたんですけど……矢っ張り一番市民の生活に身近な処で人扶けが出来るのは警察官かなって思ったから此方を選んじゃいました。其れに、一人位は軍警に最も近い位置に異能力者がいても善いかなァって」
「な、成程……。其れで、あの……僕って警察に連れて行かれたりするんですか?」
「飛んでも無い!虎化が異能力の暴走だったと云う事と、其の異能力者が此処に居ると云う事が判った時点で横浜市民の安全は保障されたようなモノですから」
「善かった……」
爽子の答えに、敦は安心したように溜息を吐く。
爽子はそんな敦を見て小さく笑みを浮かべると、くるりと太宰の方に向き直った。
「太宰さん、私そろそろ帰ります」
「え、もう帰るの?折角探偵社に来たのだから、もう少しゆっくりして行きなよ」
「え、でも御迷惑じゃ……」
「大丈夫大丈夫。若し横浜で異能力者の大きな事件が起きた時は警察に頼る事も有るかも知れないからね。今の内に交流を持っていて損は無い筈だよ」
「まあ、確かに……」
爽子がそう呟いて納得した直後、外側から扉が勢い善く開かれる。
「たっだいまー!」
「只今帰りました〜」
「おや、取り込み中かい?」
入口から入ってきたのは2人の男と1人の女だ。
「ほら、丁度他の皆も帰って来た」
太宰は爽子にそう云ってから帰ってきた3人に呼び掛ける。
「乱歩さん、賢治君、与謝野女医(せんせい)、紹介するよ。此方は私の旧くからの友人で今は刑事をしている有吉爽子ちゃんだ。此の娘も異能力者だよ」
「は、初めまして」
太宰の言葉に続けてそう挨拶をした爽子は、少し緊張しつつも頭を下げる。
乱歩、賢治、与謝野はそんな彼女に各々自己紹介をした。
「其れにしても、太宰が昔の知り合いを連れて来るだなンて珍しいじゃないか。若しかして前職が一緒だったのかい?」
「厭、違いますよ与謝野女医。彼女とは嘗て呑み友達みたいなものだっただけです」
ねっ爽、と云われ、爽子はコクリと頷く。
「なンだ、漸く太宰の昔話が聞けると思ったのに……残念だねェ」
与謝野の心底残念そうな口調に、太宰は苦笑いを浮かべる。
「まァまァ、善いじゃないか与謝野さん!其れより君、警察官なんだよね?難事件に遭遇したら何時でも僕に連絡してよ!名探偵の僕に解けない謎は無いからね!」
次に口を開いたのは乱歩で、彼はズカズカと爽子の前まで歩み寄ってそう云った。
彼女はそんな乱歩に対して「有難うございます」と礼を告げる。
其の後、爽子は暫く探偵社員達と様々な話をし、探偵社の業務を少しだけ覗いて、漸く帰路に着く事にした。
「送って行くよ」
太宰はそう云って扉を開ける。
「あの、今日は楽しかったです。またお会いしたいです!」
お邪魔しました、と云って、爽子は慌てて頭を下げ、部屋から外に出て行った。
「……一体太宰は何処であンな娘と出逢ったンだろうねェ」
「……さぁ?」
与謝野と谷崎は、2人が去った後の扉を見つめてそう呟くのだった。