3.

「太宰さんが行方不明?」


爽子が太宰と再会してから数日後。
彼女は中島敦からの電話に応じていた。
敦が云うには、昨夜から太宰と全く連絡が取れなくなって仕舞ったようだ。
電話にも出ず、寮にも帰って来なかったらしい。
其れを他の上司に報告した処、誰一人として太宰の安否を心配する者は居らず、皆能天気な事ばかり口にする始末。
そこで敦は念の為、爽子に連絡を取ってみる事に決めたようだ。


「そっか、有難う敦君。此方でも一応調べてみるね」

『……あの、流石に爽さんのお宅には居ませんよね?』

「……敦君其れ真面目に聞いてる?」

『え!?あ、御免なさい居る訳有りませんよね!』


慌てふためく様子の敦に、爽子は電話越しで苦笑いを浮かべる。


『あ、済みません、与謝野女医が戻って来たのでそろそろ切りますね』

「うん、買い物楽しんでね」


敦は現在与謝野の買い物に付き合わされている真っ最中で、彼女が御手洗いで席を外した際に此方に電話を掛けてきたらしい。


「……太宰さん、ねぇ」


電話を切った爽子は、頬杖をついて窓の外を見遣る。

−変な事に巻き込まれていないと善いけど……


「有吉、如何した?手が止まってるぞ」

「あっ、済みません」


上司にそう指摘された爽子は、小声で謝ってから報告書の仕上げに取り掛かるのだった。


◇◆◇


数時間後。
横浜市内の或る電車の中で爆発事件が発生し、爽子含む捜査員は其の対応に追われていた。
犯人はポートマフィア構成員、梶井基次郎。
だが捜査員が現場に着いた時には既に彼の姿は無かったらしい。
爽子が被害者に事情聴取をしたり怪我人を救急隊に誘導したりしていると、ポケットの中で携帯電話が震えている事に気が付いた。
画面に表示された名前は、つい先刻電話を呉れた白髪の少年のもの。


「もしもし敦君?太宰さんの事なら未だ−」

『いえ、太宰さんの事とは別件で相談したい事があるんです』

「其れ急ぎの用事?私も今、爆弾事件の対応に追われてて−」

『え……若しかして其れ、電車内で起きた爆発の件ですか?』

「え、何で知ってるの?」


爽子は敦の返事に思わずそう聞き返す。


『実は僕も先刻迄其の電車に乗ってたんです。ポートマフィアが懸賞金70億の僕を狙って企てた犯行だったみたいで』

「え、そうなの?」

『取り敢えず、今から会えませんか?僕の相談したい事と事件とは少し関係がある事なので、爽さんにも少なからず協力出来ると思います』

「うん、判った」


爽子は電話を切ってから上司に敦と話した内容を報告し、その場を離れた。

向かった先は港の見える丘公園である。


◇◆◇


「敦君」


爽子が敦にそう呼び掛けると、彼の傍に一人の少女がいる事に気が付いた。


「其の子は?」

「彼女は泉鏡花ちゃんです。話せば長くなるんですけど……」


敦曰く、彼女はポートマフィアの一構成員で、上司である芥川龍之介の指示で先刻事件があった列車に乗り込んでいたらしい。
芥川については爽子も知っていた。
ポートマフィアの中でも殺戮に特化した異能力を持っており、軍警も手に負えぬ程の要注意人物である。
敦が列車内で鏡花に会った時、彼女は自身の躰に爆弾を纏っていた。

『六ヶ月(むつき)で35人殺した。もうこれ以上一人だって殺したくない』。

そう叫んだ鏡花は、自ら列車から外に飛び出して自爆を図ったが、敦がギリギリのタイミングで彼女の躰から爆弾を引き剥がし、2人は無事扶かったようだ。


「成る程、話は判った。で、敦君は何に悩んでいるの?」


爽子が敦にそう尋ねると、彼は先ず鏡花に向かって「御免、一寸だけ席を外して呉れないかな?」と声を掛けた。
鏡花は軽く頷いて其の場を離れる。


「彼の娘には聞かれたく無い話なの?」

「……はい」


敦は困ったような顔で頷いた。
彼は鏡花を助けてから、彼女が暗殺者になった経緯を本人の口から聞いたらしい。
共に話を聞いていた国木田は、敦に「鏡花を軍警の屯所に連れて行け」と伝えたそうだ。
彼女は35人殺しの殺人犯。当然、軍警に連れて行けば死罪である。
だがマフィアに戻しても鏡花は裏切り者として処刑される。
かと言って敦に彼女を扶ける程の力量と覚悟があるのかと言われれば、其れも余り自信が無い。
然し彼としては、鏡花を軍警に連れて行きたくは無いのだ。
もう人を殺したくない、そう云った彼女の顔が忘れられないから。


「……ねぇ敦君。一寸鏡花ちゃんと2人で話しても善いかな?」

「え?」


爽子の言葉に敦は不思議そうに首を傾げていたが、直ぐにコクリと頷いた。
爽子は彼に礼を告げ、鏡花の元に近付いて彼女に声を掛ける。


「初めまして鏡花ちゃん。私は爽子。人を扶ける仕事をしています」

「……」


鏡花は何も云わぬ儘ぼんやりと爽子を見つめている。


「今の仕事に就く前は、外国(とつくに)にある異能力者集団で人を殺す仕事をしていました。……《組合》って云えば判るかな?」

「!」

「私も貴女と同じだった。人を殺したくないから組織を抜け出した。……今も、組合に追われている身なの」

「……如何して、人を扶ける道を選んだの?」


鏡花はそう尋ねて大きな瞳で真っ直ぐに爽子を見つめた。


「暗殺に向いている自分の異能を、今度は人を扶ける為に使いたいと思ったから」


爽子はそう云ってニコリと微笑む。


「異能力者は異能力と向き合って生きていかなくちゃいけない。だったら、此の力を善い事の為に使いたいと思ったの」

「善い事の、為?」

「そう」

「……私にも、出来る?」


鏡花の瞳が不安げに揺れる。


「出来るよ」


爽子は脳裏に太宰の顔を思い浮かべてそう云った。


「人は誰だって、変わろうと思えば変われるから」


爽子の言葉を聞いた鏡花は、少しだけ顔に笑みを浮かべる。


「……私、頑張る」


鏡花の答えに、爽子は力強く頷いた。
そして2人は揃って敦の元に行こうとしたが、不意に爽子が鏡花に声を掛ける。


「ねェ鏡花ちゃん、中原中也って知ってる?」

「……余り知らない。でも、一度だけ見掛けた事がある。多分、今日、西方から横浜に戻って来る筈」


鏡花はそう云ってから、爽子の方に向き直った。
そして再び口を開く。


「貴女は、ポートマフィアの事、詳しいの?」

「ううん。でも昔、中也と太宰さんとは友達だったから」

「……」


鏡花は暫く考え込んでいる様子だったが、何かを決心したかのように口を開いた。


「太宰治は、ポートマフィアの地下牢にいる」

「え?」

「昨日の夜、私が捕らえた。未だ、処刑はされていない筈」


鏡花は爽子の袖口をぎゅっと掴む。


「彼の人の事、扶けてあげて」


そう云って、強く唇を噛む齢14歳の少女。
爽子はそんな彼女の手にそっと触れた。


「教えて呉れて有難う。絶対扶ける」


其の答えを聞いた鏡花は一瞬だけ泣きそうな顔を見せたが、直ぐにコクリと小さく頷いた。


「敦君、お待たせ」


鏡花を連れて敦の元へ戻った爽子は、ぼんやりと空を見上げていた彼にそう呼び掛けた。


「御免ね、時間取らせちゃって」

「いえ。……何の話をしてたんですか?」

「んー……内緒」


爽子はそう云って、茶目っ気たっぷりに人差し指を唇に添える。
敦は其の仕草に思わずどきりとしたが、咳払いをして何とか誤魔化した。
爽子は彼の不審な動きを見ても何とも思わなかったのか、何事も無かったかのように口を開く。


「敦君。鏡花ちゃんの事、探偵社に連れて行ってあげて」

「え?でも……」

「大丈夫。私を探偵社に連れて行って」


戸惑う敦に、鏡花は頭を下げてそう告げる。


「え、あ、あの!顔を上げて鏡花ちゃん!」


敦はバタバタと手を大きく振って鏡花にそう云った。
爽子は其れを見て一頻(ひとしき)りクスクスと笑った後、2人に向かって口を開く。


「じゃあ、私は仕事に戻るね」

「え?爽さんは一緒に行かないんですか?」

「私は太宰さんを捜すから。其方は頼んだよ、敦君」


じゃあね、と云って爽子は走り出す。
後ろから敦の声がしたが、今は其れに構っている余裕は無かった。
彼女が今から向かうのは、ポートマフィアの本拠地なのだから。
そして彼女は知る由も無い。
此の後、敦が芥川に襲われる事を。
一度希望を抱いた鏡花が、芥川によって再びマフィアに連れ戻されて仕舞う事を。


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