5.

中也が思い切り踏み込み体勢を低くした。
太宰は中也から繰り出される鮮やかな打拳を次々と躱していく。
そして、太宰が初めて中也に攻撃を仕掛けた。
自分に向かって真っ直ぐに伸ばされた中也の手首をぎゅっと掴むと、もう片方の手で中也の腹に容赦無く拳を入れる。

だが。


「……何だその打拳はァ!」

「うっ!!」


マフィアきっての体術使いの中也には効いていなかったようで、彼は逆に太宰を壁にのめり込ませる。


「太宰さん!」


そう叫んで駆け寄ろうとした爽子に対して太宰は静かに首を振った。
大丈夫、という事なのだろう。
それを証明するかのように、太宰は自分が中也に殴られる寸前で腕を掲げて防御した事を告げた。


「君とは長い付き合いだ。手筋も間合いも動きの癖も完全に把握してる。でなきゃ相棒は務まらない、だろ?」


勝ち誇ったような笑みでそう話す太宰に、中也の苛立ちは更に増した。

何時もそうだ。
俺の事なんてお見通しだとでもいうようにムカつく笑み浮かべやがって。


「……止めンなよ、爽」

「え?」


中也は低い声で爽子に告げると、先刻とは比べ物にならない位の疾さで太宰に向かって行った。


「だったらこの攻撃も、読まれてるンだろう、なあ!」


中也が太宰を殴る。
太宰は対処し切れずに思わず蹌踉めいた。


「打拳ってのはなあ!こうやって打つンだよ!」

「ぐ、はッ!」


此の機会(チャンス)を逃す中也では無い。
彼は不敵な笑みを浮かべて太宰の腹に重い拳を浴びせ掛けた。
打拳を諸に受けた太宰は、口から大量の血を吐き出して再び壁に打ち付けられる。


「動きが読める程度で勝てる相手と思ったか?」


中也は容赦無く太宰の頸を掴んだ。


「終いだ」


何時の間にやら中也の片手には鋭く光る短刀が握られている。
彼が瞳孔を開き、歪な微笑みで短刀を振りかぶった時だった。
突如背後から『何か』が中也の肩口に突き刺さる。


「……」


振り返ると、爽子が此方に向かって手を突き出していた。
恐らく異能力を使って刃で中也を攻撃したのだろう。


「……『止めンな』って云っただろ」

「殺さないで。殺したら屹度中也が後悔する羽目になる」

「悪いがその頼みは聞けそうにねェな」


中也は此方に伸ばされた爽子の手を掴んで異能力を発動した。
途端に躰に重力が襲い掛かり、爽子はその場に倒れ込んで仕舞う。


「ちゅう、や……!」


全身が重い。
口を開くのもやっとだ。
中也は爽子を一瞥すると、目の前の男に向かって短刀を突き付けた。


「最後に教えろ。態と捕まったのは何故だ。獄舎(ここ)で何を待っていた」

「……今直ぐ爽を解放しなよ。そしたら話す」

「嘘吐くな。俺が異能を解いたら爽と逃げる心算だろ」

「……」

「ハッ、図星か。残念だったな」


中也は鼻で笑うと、いよいよ太宰の喉元に短刀を宛がった。
爽子はヒュッと息を呑み込む。
それでも尚口を開かない太宰を見て、中也は拷問の楽しみが増えるだけだと呟いて愉しそうに笑った。


「……一番は、敦君についてだ」

「敦ィ?」


太宰が漸く口を開く。
聞き慣れない名前に、中也は訝しげな表情でそう聞き返した。
曰く、敦に賞典70億を懸けたのが誰だったのかを知る為に、態々此処まで来たのだと云う。
其れを聞いた中也は、莫迦にしたように太宰に次々と言葉を浴びせる。
太宰は黙りこくって一通り其れを聞くと、唐突に小さく笑い声を溢した。

「何が可笑しい」

「いい事を教えよう。明日『五大幹部会』がある」


その言葉を聞いた中也の顔色が変わった。

−嗚呼、此処迄来れば太宰さんの勝ちだ。

先刻の森鴎外との遣り取りを思い出し乍ら、爽子はホッと息を吐いた。

……真逆二番目の目的が中也への厭がらせだったとは思ってもみなかったが。

厭がらせには決して手を抜かない太宰を見て、爽子は密かに中也に同情したのだった。


◇◆◇


異能力を解かれた爽子は、ぐったりとしてその場に寝転んでいた。


「……悪かったな」


中也が申し訳なさそうに頬を掻いて謝る。
仕方の無いことだ。
中也はマフィアの人間で、太宰は探偵社の人間で。
太宰を助けようと動いた爽子は当然、マフィアの敵に当たる存在なのだから。

−もう、前みたいに純粋な『友達』には戻れないんだろうな。


4年振りに会った重力使いの男の顔を見つめ乍ら、爽子はふとそう思った。
マフィアから抜け出した太宰なら兎も角、中也とは完全に交わらない道を選んで仕舞ったのだ。
彼と友達でいたいという思いは強いが、以前のような関係には戻れないだろう。
そう思うと、少し淋しかった。


「なァ、」


中也が屈んで口を開く。
此方をじっと見つめる瞳は少し不安そうに揺れていた。


「俺は爽が今迄何をしてたかも今何をしてるのかも知らねェ。若しかしたら今の手前は俺とは全く違った道を歩いてンのかも知れねェが……其れでも、また俺と会って他愛も無い話をして呉れるか?」

「ッ……」


爽子は眉尻を下げて唇を噛む。
私だって出来たらそうしたい。

でも−


「……中也、其れは屹度、無理な話だ」


太宰が静かに口を開いた。


「何でだよ?俺は別に爽がマフィアに入る心算が無くとも……」

「爽は警察官なんだ」

「……は?」


静寂が空間を支配する。
呆然と目を見開いていた中也だったが、ゆっくりと顔を此方に向けると、「そうなのか?」と震える声で呟いた。
爽子は躰を起こして中也に向き合い、コクリ、と小さく頷く。


「……御免なさい」


其処で中也は理解した。
何故久し振りに顔を会わせた時、彼女が自分と頑なに目を合わせようとしなかったのか。
其れは屹度、立場上では中也が完全に爽子の敵に値するからだ。
警察官とポートマフィア。
幾ら嘗ての友達であったとしても、相容れない2つの組織に属する2人が、4年前と同じように会ったり呑んだり話をしたりする事はもう叶わない。


「……ははっ」


中也は顔に手を当てて自嘲気味に笑った。


「何で……何でこうなるンだよ。折角……4年振りに会えたっつーのに……」


何時もは勝ち気な中也が弱音を吐いている。
爽子は思わず何か云おうと口を開いたが、結局何と声を掛けたらいいのか判らず口を閉ざして仕舞った。


「なァ、爽」


顔から手を退けた中也がそっと爽子の頬に触れる。
彼はその儘暫く彼女の頬に指を滑らせていたが、フッと儚げに笑ってから手を離した。


「……矢っ張り、佳い。何でもねェ」


そして中也は何事も無かったかのように立ち上がった。
そして一瞬だけ太宰と視線を合わせると、舌打ちをして顔を背ける。


「……用を済ませて消えろ」


踵を返す中也に太宰は容赦しなかった。
何時も通りに揶揄の言葉を浴びせ、愉しそうにケラケラと笑っている。
だが爽子は、中也のお嬢様口調も内股歩きも目に入らなかった。

只、彼が最後に自分に見せた、何とも哀しげで苦しそうな表情だけが、目に、頭に焼き付いて離れなかった。


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