6.

「未だ落ち込んでいるのかい?」



地下牢を出てからも心此処に在らずといった様子の爽子を見て、太宰は彼女にそう声を掛けた。


「……中也には、会いたく無かったんです」


再会したら、屹度また会いたくなって仕舞うから。

眉尻を下げてそう云う爽子は、何時にも増して儚げな雰囲気を醸し出していた。


「……ふぅん」


―まァ私には関係無いけどね。

太宰は爽子の答えに唇を尖らせてそう返す。


「ところで、通信保管庫は……確か此処かな?」


話を切り換えた2人は、とある扉の前に立った。


「……暗証番号(パスコード)が要るみたいですね」

「嗚呼、其れは多分大丈夫。4年前と変わっていないだろうからね……っと」


太宰はそう云って軽やかな手付きで釦を押していく。
直ぐに鍵が解除される音がして、2人は暗証番号が正しかった事を察した。


「……マフィアの防犯事情は大丈夫なんですか?」

「其れ自体に問題は無いよ。相手が私だったのが問題なだけであって」

「……成る程」


此の人なら、譬え暗証番号が4年前と変わっていたとしても、直ぐに其れを解除して仕舞うのだろうな、と爽子は思った。


「却説―」


太宰と爽子は、通信保管庫の冊子(ファイル)を1つ1つ虱(しらみ)潰しに調べて行く。


「70億も支払(はら)って虎を購おうとしたのは何処の誰かなー?」


パラッ。

其の頁(ページ)を見つけた瞬間、太宰は小さく息を呑んだ。


「……太宰さん?見付かったんです……か……」


太宰の横から其の頁を覗き見た爽子は、其処に載せられた男の写真を見て言葉を失った。

鮮やかな金髪。
澄みきった空色の瞳。
薄卵色のスーツを観に纏った、30代位の男。


「……何で?」



爽子は震える声でそう呟いた。

フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルド。

彼女の嘗ての上司である。


「……爽、此奴の事、知ってるの?」

「ッ、」


爽子は少し顔を歪めた。
そう云えば、自分が異能力者集団に属していた事は話したが、其れが《組合》だった事は、鏡花以外には話していなかったような気がする。

諦めたように小さく頷く爽子を見て、太宰は「矢っ張りね」と悟ったように呟いた。


「昔調べて知ったのだよ。君が昔組合の暗殺者だったって事、そして、此の男に非道く気に入られていたって事をね」

「知っていたなら、如何してそう云って呉れなかったンですか?」

「教える必要性を感じなかったから。其れに、云った処で如何しようも無い事だと判断したから、かな。過去は変えられるモノじゃ無いからね」

「……そうですか」


爽子は小さな声でそう答えると拳をぎゅっと握り締めて下を向いた。


「……私が組合に所属していた時は、未だ此の男は団長ではありませんでした。でも今は其の座に着いて仕舞っている……」

「詰まり、今の彼は以前よりも自由に動き易くなっている、という訳か。とすると……当然、君の事も必死で探しに来るだろうね」

「太宰さん……私……如何したら……」


爽子が青白い顔で太宰を見上げる。
其の表情を見て、彼女にとってフィッツジェラルドという男は相当な心的外傷(トラウマ)なのだと太宰は悟った。


「落ち着いて、爽。彼等は未だ爽が日本に居る事を知らない筈だ。……まァ、敦君の件で近い内に日本にはやって来るんだろうけどね」

「それ、全然安心出来ないじゃないですか」

「でも組合にとって現時点での最優先事項は恐らく君じゃない。其れに、私だって友人が危機に瀕しているのを放っておく程非情な人間では無いよ。組合が此の地に来る迄に、外部に爽の情報が漏れにくいように対処する事は出来る」

「え……でも其処迄御迷惑を掛ける訳には」

「迷惑なんかじゃ無いさ。私は私のやりたいように動くだけだよ」


太宰の言葉に、強ばっていた爽子の顔が少しだけ緩む。
そして彼女はフッと微笑んで「有難う御座います」と小さく呟いた。


「じゃあ、必要な情報も手に入った事だし……さっさと帰ろうか」

「はい」


爽子は頷いて太宰の後に続く。
太宰は一度だけ後ろを振り向いてからポンと爽子の頭に手を乗せると、それ以降は何も云わずに部屋を出て行った。
太宰に触れられた処が温かくて、爽子は漸く凍てついた心が完全に溶け切った事を実感したのだった。


因みに。
芥川に捕らわれた敦は、一先ず彼を倒す事に成功し、無事鏡花を扶けて探偵社に戻って来られたようだ。
そして、敦から聞いた話に寄ると、太宰はポートマフィアの本拠地から逃げた次の日、探偵社に出勤しなかったらしい。
恐らく、実際に逃げた日の翌日迄マフィアに捕まっていた事にして、その日は1日仕事をサボろうと考えたのだろう。
「爽さん、太宰さんの事助けに行ったんですよね?何か知りませんか?」と敦に詰め寄られたが、面倒事に巻き込まれたくないと思った爽子は、苦笑いを浮かべて答えを誤魔化したのだった。


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