■ ■ ■


30時間目
いよいよ、残るは最上階のみとなった。
烏間の指示に従い、生徒達はナンバで気配を消して最後の敵の背後に忍び寄る。
皆で一斉に襲いかかろうとしたその瞬間−


「かゆい」


目の前の男がそう言った。
男は続ける。
リモコンは1つではなく、自分がうっかり倒れ込んでも押すくらい、大量に作っているという事を。

聞き覚えのある声だった。
しかも、前よりずっと邪気を孕んで。

その声の主とは−烏間先生の元同僚、鷹岡明だったのである。
鷹岡は全員を屋上に連れて行き、そこで渚を指名した。
彼は忘れていなかったのだ。
渚にナイフを当てられた時の敗北を。
顔色を悪くする渚を庇うように、カルマや寺坂達が鷹岡に反論するも、彼は一切聞く耳を持たない。
それどころか、爆薬のリモコンを片手に脅してくる。
そして、渚に向かって、1人でヘリポートまで登ってくるように言った。
どうやら鷹岡は、そこでナイフを使ったリベンジマッチを行うつもりらしい。

何て卑怯な……!

花澄は鷹岡を今にも殺さんとばかりに睨みつけた。

−また、この殺気……

カルマはチラリと花澄に目をやる。


「花澄−」

「渚。ダメ、行ったら」


カルマが小声で花澄の名前を呼ぶ声と茅野が渚に向かって掛けた声が同時に重なった。
そのお陰か、花澄は我に帰り、それに合わせて彼女が纏っていた殺気もフッと消える。


「カルマ、私……」

「大丈夫?」


カルマが声を掛けると、花澄はパチパチと目を瞬かせてから、「うん……」と曖昧な答えを返す。

−今、私……
−アイツを本気で殺そうと考えてた……
−それ以外の事なんて何も見えてなくて……

花澄は改めてそう認識し、自分の考えに背筋が凍りついた。

落ち着け、落ち着け。
今はそれどころじゃない。
1人で立ち向かおうとしてる渚を見ていなきゃ。

冷静さを取り戻して花澄がヘリポートを見つめると、丁度渚が上まで登りきった所だった。
鷹岡は渚に土下座をさせると、満足気ににんまりと笑う。
そして鷹岡は、何の躊躇いもなく治療薬入りのスーツケースを爆発させた。
一瞬絶望に満ちた表情を浮かべた渚だったが、目の前のナイフを握り締めて鷹岡に向かって怒りを顕わにする。

−いつも温厚な渚君がこんなに怒るなんて、かなりやばいんじゃ……
−っていうか、こっちも……

カルマはチラリと隣に佇む少女に目をやる。
先程一瞬我に返った花澄だったが、鷹岡が治療薬を爆破した事によって、彼女が纏う冷たい殺気はこれまでよりも凄まじいものになっていた。
そして、無言で渚に向かって一歩踏み出し始めた少女を見て、カルマは咄嗟に彼女の手首を引っ張って自分の方に引き寄せる。
花澄はカルマから離れようとするも、クラスで1番喧嘩の強い彼の腕力に敵う訳もなく、ピクリとも動けなかった。


「っ、」

「落ち着きなよ花澄」

「離、して!」

「花澄」


カルマが鋭い声を出す。
その声に、花澄は怯えたようにびくりと体を震わせた。


「さっきから黙って見てればいい加減にしなよ。花澄が今動いて何になるの?確かに鷹岡のやり方はムカつくけど、だからって花澄のそーいう態度は身を滅ぼすよ。
ほら、寺坂見てみなよ」


カルマに言われて花澄が寺坂に目をやると、渚に向かって寺坂がスタンガンを投げたところだった。
一瞬宙を舞ったスタンガンは、すぐに渚の後頭部に激突する。
寺坂は肩で息をしながら、大声で渚を叱咤していた。


「アイツは馬鹿でうるさいけど、今の花澄よりは冷静だよ。今この状況で何を1番大切にすべきなのか、ちゃんと解ってる」

「……」


その時、ドサリという音と共に、寺坂が床に崩れ落ちた。
どうやら彼はウイルスに感染していた状態で、此処までついてきたらしい。
心配する一同を余所に、寺坂は渚に向かって人差し指を突き出した。


「……やれ渚。
死なねぇ範囲でブッ殺せ」


小さく呟かれたその言葉には確かな重みがあった。
渚と花澄はそれぞれ僅かに目を見開く。

私……間違ってた。
大好きな友達が傷つくと、我を忘れて傷つけた相手を本気で殺そうとしてしまおうと暴走する事がある。
でも、そんなのダメだ。
そんな事の為に、この教室で暗殺のスキルを学んでいる訳じゃない。
そんな事したら……只の殺人犯とおんなじだ。


「……カルマ、ありがとう。もう大丈夫」


小声でカルマにそう言うと、彼は小さく頷いて掴んでいた手を離した。
解放された花澄は、皆と一緒に大人しく渚を見守る事にする。
渚はスタンガンを拾うと、それを腰に刺してナイフを片手に持った。

−何をする……つもりなんだろう。

不安げに見つめる中、渚と鷹岡の戦闘が始まる。
心が狂気で満たされているとは言え、鷹岡は仮にも精鋭軍人。
体格も技術も経験も劣っている渚が敵う訳もなく、彼は一方的にやられてばかりだった。
鷹岡がいよいよナイフを片手に持ち、思わず花澄が目を背けようとした瞬間−
渚が纏う空気が変わった。
それまで成す術もなかった小さな少年が、不敵な笑みを浮かべたのだ。
渚は以前と同じように、ナイフを片手に笑顔で鷹岡に向かって歩いていく。
だが、以前と違ったのは、渚が鷹岡に極限まで近づいた時、ナイフを空中に置くように捨てた事だった。
そしてそのまま−

パァンッ

乾いた音と共に、渚が両の手を思い切り叩く。

これが、渚がロヴロから教わった必殺技『猫騙し』だった。


「!」


全員が息を呑む中、渚は呆気にとられる鷹岡に向かって2本目の刃−スタンガンを浴びせかける。
そして−彼は最後に、笑顔で礼を告げながら、鷹岡の首筋に電流を流し込んだ。


「よっしゃああ元凶(ボス)撃破!!」


E組の生徒達からドッと歓声が沸き起こる。


「渚ッ!!」


花澄は一目散に渚の元へ駆け付けると、思わず彼に抱き着いた。


「ちょ、花澄!?!?」


渚は頬を赤く染め、焦ったように声を上げる。


「渚、ホントに凄かった!格好良かったよ!」

「うん、ありがとう花澄。取り敢えず離れてもらって良いかな?」


カルマ君の目が据わってるからさ、とは流石に言えなかったが、渚はやんわりと花澄の腕を外す。


「あ、ご、ごめん!」


花澄は慌てて渚から離れた。
それと同時に、茅野の掌にいる殺せんせーが彼に声を掛ける。


「よくやってくれました渚君。今回ばかりはどうなるかと思いましたが……怪我も軽そうで安心しました」

「……うん、僕は平気だけど……でも、」


どうしよう、皆への薬が。


その一言で、皆は再び静まり返る。
鷹岡を倒したは良いが、だからと言って壊された治療薬が元に戻ると言う訳ではい。
ひとまずは待機だ、という烏間先生の指示があったその時、後方から声が聞こえた。
そこにいたのは、先程倒した暗殺者の3人組で。
また戦闘になるか、と思いきや、彼らはもう闘うつもりはないようだった。
更に、生徒達に盛ったのはウイルスではなく食中毒菌を改良したものだから命の危険は無いというおまけ付きだ。

こうして、3年E組の大規模侵入ミッションは、ホテル側の誰1人気がつく事も死人が出ることもなく、無事に終了したのである。


その日の夜は皆泥のように眠り、目が覚めたのは翌日の夕方だった。
烏間先生を中心に、防衛省の人間でダメ元で殺せんせーを殺す装備を行ったものの、やはり上手くは行かず。
殺せんせーには再び触手が生え、通常通りの身体に戻っていた。
とは言え、今はもう夜で、明日はただ帰るだけ。
そこで殺せんせーがクラスに提案したのが『暗殺肝試し』だ。
お化け役は殺せんせーが分身して務め、途中で殺せんせーを殺してもOKということらしい。
場所は島の海底洞窟。
男女ペアで300m先の出口まで抜ける。

−ペア、どうしよう。


「か、カルマッ」


真っ先に頭に思い浮かんだ人物の元に駆け寄り思い切って少女が発した声は、緊張のあまり裏返る。


「よ、良かったら、私とペア、組みませんかッ」


言った。言えた。

ぎゅっと目を瞑って俯き、生唾をゴクリと飲み込んで返事を待つ。


「あはは、何で敬語なの」

「へ?いや、あの……」


予想外の返答に、花澄は困惑した表情を浮かべる。


「いいよ。ペア組も」


カルマはにこりと笑うと、ポンッと花澄の頭に手を乗せた。


「! うんっ」


少女は顔を綻ばせた。





殺せんせーは、何を考えているんだろう。

設定はある程度怖い割に全く怖くない様々な仕掛けを突破しながら、花澄は思わず苦笑いを浮かべた。


「花澄はさ、」

「ん?」

「昨日の渚君見て、どう思った?」


前を行くカルマが、唐突にそう尋ねてくる。


「どうって……度胸あるなって思ったよ。
カルマは?」

「俺は……。
やっぱ良いや、何でもない」

「え、何で?最後まで言ってよ。気になるじゃん」


カルマは珍しく少し困ったように頬を掻いていたが、


「……怖いなって、思った」


小さな声で、そう呟いた。


「……怖い?」


何で?どこが?

花澄は想像もしなかった答えに唖然とする。
詳細を尋ねると、鷹岡を倒した渚が、その後少しも警戒される事無く普通に皆の中に溶け込んでいった事が『怖い』らしい。


「警戒できない、怖くないって実は1番怖いんだなって初めて思った」

「……」

「……でも、負けないけどね」

「え?」

「先生の命を頂くのはこの俺だよ」


カルマがそう言って真っ直ぐ花澄を見つめる。

−良かった、いつものカルマだ。

花澄は小さく笑みを浮かべて「うん」と頷いた。


「ところで……怖がらせて下らねー事たくらんでるみたいだけど」


カルマと同じ方向に目をやると、そこには殺せんせーが仕掛けたと思われるツイスターゲームが置かれている。


「なーに考えてるのかねえ、あのタコ」


カルマは小さく溜息を吐いて「行こう」と花澄を促す。
だが、彼女は無言でカルマのジャージの裾を掴んだ。


「……花澄?」

「……やりたい」

「は?」

「私、ツイスターゲームやりたい!」


コレ、昔から大好きなの。

パッと瞳を輝かせる花澄を見て、カルマは顔を引き攣らせた。


「……あのさ、本気?」

「え?うん、本気だけど」

「俺と、やるの?」

「うん、そうだよ」


さも当然だと言いたげな表情で、花澄はカルマを見つめる。

−冗談じゃないよ自分が気になってる娘とそんな拷問みたいな仕打ち俺が死ぬんだけど。
……その、精神的に。

カルマはなるべく焦りを表に出さないようにしながら、ゆっくりと花澄を諭すように語り出す。


「ねえ花澄、よく考えてみなよ。この仕掛け、あの下世話な殺せんせーが用意したんだよ?だから、あのタコに俺と花澄がツイスターゲームやってるのなんて見られたら、変な恋愛(スキャンダル)のネタにされるに決まってると思うんだけど」

「え、大丈夫だよ。だってカルマは私に変な事しないでしょ?」

「……」


−その保証はできないんだよねぇ。

カルマは微妙な表情を浮かべる。
だが彼も思春期真っ盛りの少年だ。頭では良くない事だと解っていても、気になる娘にそんな風に誘われたら決意も揺らいでしまうというもので。


「……じゃあ、1回だけ」


−惚れた弱み、ってヤツかな。

小さくガッツポーズをする花澄を見ながら、カルマは自分自身の態度に対して肩を竦めた。





「次、右手で青だよ花澄」

「解ってるけど……うーん、届かない……」

「俺の脚の下から腕通せば良いじゃん」

「あ……そっか。はい」

「ん、じゃあ次、俺ね。花澄ちょっと屈んで」

「……こう?」

「んー、もうちょっと」


カルマが花澄に覆い被さるような体勢になる。

……なんと言うか、近い。
どうしよう、心臓がバクバクしてる。

花澄は思わず身を固くした。
カルマの吐息が耳に掛かって擽ったい。
さり気なく顔の向きをずらすものの、今度はカルマの端正な顔が思い切り目の前を覆うので、それはそれで恥ずかしい。

−もうこれどうすれば良いの。


「次、花澄だよ」

「ひっ!み、耳元で話さないで!」

「無理だって。俺も今動ける状況じゃないし」

「う……」


私の馬鹿!

花澄が半べそをかきながら次の場所に手を伸ばそうと身体を捻った時だった。


「う、わっ!?」


バランスを崩し、とうとうその場に倒れ込む。


「……大丈夫?」

「あ、うん。大丈−」


カルマと目を合わせた花澄は、その言葉を最後まで言い切ることが出来なかった。
と言うのも、カルマの顔が思ったよりも近くにあったことに吃驚したからである。

て言うか、この体勢……!

花澄は改めて自分の置かれている状況を把握して顔を赤くした。

−こんなの、まるで私がカルマに押し倒されてるみたいじゃん!


「カルマ。顔、近すぎ」

「ああ、ごめんごめん」


謝ったものの、カルマは一向に動く気配がない。


「あの……カルマ?」

「んー?」

「カルマがどいてくれないと、私動けないんだけど……」


もしかして、私の顔に何かついてるとか?

ヤケになってそう尋ねてみると、カルマは「ううん」と首を横に振った。


「なんか……俺もそろそろ、限界だなって思って」


カルマは真顔でそう答えると、立ち上がって先に進んでしまった。


「……へ」


何、どういう事?

1人取り残された少女は唖然としていたが、ハッと我に返ると慌ててカルマの後を追った。


(ホント、無防備過ぎなんだけど)

ポーカーフェイスを気取った少年は、暫く手で口元を押さえながら歩いていたとか。



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