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32時間目
翌日、早朝7:00。
浅野が登校すると、旧校舎にいる筈の赤髪の好敵手が、昇降口で腕を組んでこちらを睨み付けていた。
「……E組の校舎は山の上にある筈だが?」
「知ってるよ、その位。
今日はアンタに用が会って来たんだ、浅野クン」
「へえ?それは楽しみだ。で、用件は?」
にこり、と人の良い笑みを浮かべて見せる浅野に対して、男―赤羽業はほんの少しだけ苛立ちを見せた。
「単刀直入に聞くけどさぁ―浅野クン、花澄に何したの?」
「さぁ?何の話かな。僕は何もしてないよ」
「ふぅん?生徒会長サンは嘘を吐くのもお得意って訳ね」
両者共に、口を開けば出てくるのは毒のような言葉の羅列ばかり。
だが、そんなやり取りに杭を打ったのは浅野の方だった。
「君もしつこい男だな。そんなに気になるなら、僕ではなく本人に直接聞いたらどうなんだ?」
「っ、」
その言葉に、カルマは露骨に顔を歪める。
良い気味だ、浅野はにんまりと笑みを浮かべた。
「1つ忠告しよう、赤羽」
そして浅野は、カルマに一歩近付く。
「自分が1番若山さんに近い存在だなんて思わない事だ。僕は彼女の秘密を握っているのだからね」
「!」
目を見開くカルマを横目で見た浅野は、くるりと向き直ると、満足げな笑みを浮かべて本校舎へと入って行った。
―秘密って、何だよ。
一方のカルマは、その場でただ立ち尽くす事しか出来なかった。
その日の全校集会が終わり、竹林がE組に再び戻って来ても、花澄とカルマの仲は戻らぬままだった。
というよりも、花澄が一方的にカルマを避けている、と言った方が正しいかもしれない。
2,3日程度なら我慢できていたカルマだったが、1週間が経過する頃には不機嫌そうに眉間に皺を寄せている事が多くなった。
元より彼はあまり気が長い方ではないのだ。
「何で避けるの」
そして、暗殺ケイドロが終わった日の放課後、カルマは1人で昇降口に向かった花澄を下駄箱に押し付けて唐突にそう尋ねた。
「……」
花澄はカルマと視線すら合わせようとせず、ひたすら沈黙を貫いている。
彼女のその態度に余計に腹が立ったカルマは、花澄の肩を掴む手に無意識に力が籠ってしまった。
「……痛い。離して、カルマ」
「人の話聞いてた?ねえ、こっち見なよ」
「……」
「花澄」
声を荒らげて名前を呼ぶも、彼女は全く視線を合わせようとはしない。
いよいよ頭に来たカルマが口を開きかけた時だった。
「何してるの、2人共」
現れたのは渚だった。
いつもは茅野や杉野と下校する彼が1人で帰るのは珍しい。
早々に教室を出た自分達を心配して来たのだろう、とカルマは察した。
「別に何もしてないよ」
帰ろう渚、と言って、花澄はカルマに見向きもせずに渚の手を引っ張る。
「ちょっと、花澄」
渚は手を引かれながらチラリとカルマを見遣る。
彼は苦々しい顔を浮かべていたが、去りゆく2人に何も言わなかった。
「ごめんね、渚。いきなり巻き込んじゃって」
坂を下った辺りでそう言った花澄は、渚の手をパッと離す。
「いや、それは別に良いんだけど。ねえ花澄、カルマ君と何かあったの?」
渚は恐る恐る彼女にそう尋ねてみる。
「うーん……喧嘩、と言うか、私が一方的にカルマの事を避けちゃってるんだよね」
「どうして?」
「自分の事しか考えてないから」
花澄は大きく溜息を吐く。
「どうしてあんなに自分勝手なんだろう。浅野君も……カルマも」
そう呟く花澄は何処となく寂しそうな表情を浮かべていて、渚はそれ以上何も言えなかった。
堀部イトナが3年E組の仲間に加わった。
捨て駒のようにシロに見限られたイトナを殺せんせーは生徒として受け止める事にしたのだ。
激痛を伴う触手を抜く為にイトナの心のケアをしたのは寺坂達だった。
無計画ではあったが、彼らは結果的にイトナに肩の力の抜き方というものを教える事に成功したのだ。
こうしてイトナは、めでたく寺坂グループの一員になったのである。
「あ、イトナ君。おはよう」
イトナが本格的にE組に加入してから3日目。
いつも通り登校してきた彼に対して花澄が挨拶をすると、イトナはそれには反応を示さず、代わりに彼女の事を暫しの間見つめて来た。
「あの、イトナ君?」
「お前、アイツと別れたのか」
『アイツ』と言ったタイミングでまだ登校していない赤羽業の机を指差しながら、イトナは無表情で花澄にそう訪ねた。
「は?え?別れたも何も、私達別に付き合ってないし」
「そうか。ならどうしてアイツと一言も話さないんだ」
「それは……私がカルマを避けてるから」
「……」
イトナは暫く黙り込んだ後、口を開く。
「お前、結構馬鹿だな」
「……は?」
唐突に爆弾を秘めた悪口を投下したイトナに、花澄はぴくりと眉を釣り上げた。
「俺はお前達の間に何があったのかは知らないし知りたくもない。でも、もしお前が自分の言い分を相手に伝えていない状態で一方的にアイツを避けているのなら、お前は真の馬鹿だと思う。それは、ただアイツと向き合うのが怖くて逃げてるだけだ。そういうのは狡いと思う」
「!」
イトナのその言葉は毒舌ではあったが的を射ている部分もあって、花澄は小さく息を飲み込んだ。
―確かにその通りだ。
―自分は悪くないって思い込んでたけど、私、カルマに何も伝えてない。
その時、ガラリと扉が開いて、今正に話題の中心に上がっていた人物が教室に入って来る。
「……!」
目が合った。
が、思い切り反らしてしまった。
横目でこっそりと彼を見ると、カルマが小さく溜息を吐いたのが解る。
多少なりとも罪悪感が湧き出て来て、花澄の胸はチクチクと痛んだ。
チラリ、とイトナを見遣ると、彼は自分達の事は綺麗に無視して寺坂に毒舌を振るっている。
カルマに謝るなら今しかない、そう思って立ち上がった瞬間に、朝礼を告げるベルが鳴った。
これが終わったら謝ろう。
花澄はぎゅっと拳を握り締めた。
結局、何も伝えられないまま4時間目まで終わってしまった。
花澄は1人で裏山で弁当を広げながら大きな溜息を吐いた。
―どうして、こんなに臆病になってしまうんだろう。
「花澄」
ふわり、と空気が揺らいだ。
仄かに香る独特の香り。
ゆっくりと顔を上げると、赤羽業が此方を見下ろしていた。
「……カルマ」
小さくその名を呼べば、彼は僅かに目を見開いた。
「……へえ?今日は避けないんだね、俺の事」
「うん。今日は逃げないよ」
皮肉混じりに言われたその言葉に、花澄は真っ直ぐ目を見て答えてみせた。
カルマは不意打ちを食らったようで、完全に戸惑った表情を浮かべている。
いつも年齢の割に大人びている彼のあどけない姿を見られたのは久し振りで、可愛い所もあるんだな、と花澄は思った。
怒りに触れそうなので、本人には口が裂けても絶対に言えないが。
「ごめんなさい」
そして彼女は、頭を深々と下げて謝った。
「もう知ってると思うけど、私、カルマの事避けてた。勝手にこんな事されて意味分かんなかったよね。ごめんなさい」
「……」
カルマは困惑していた。
確かに、花澄が浅野と会った事を知り、彼女に苛立ちをぶつけてしまったのは事実だ。
だが、何故それによって自分が避けられているのか、その理由は解らなかった。だからこそ余計に彼女に苛立ち、関係が拗れてしまった。
それが、今日はどうだ。
昨日までとは一変し、寧ろ彼女が自分に対して積極的に距離を縮めようとしている。
「……何で俺の事避けてたの?」
取り敢えず、1番聞きたかったのはそれだった。
カルマの問いに、花澄はゆっくりと答える。
「私が本校舎に行ったあの日、カルマは私の意見をちゃんと聞こうともしなかった。私はそれが悲しかったし、イラついた。何で私の話を聞いてくれないんだろう、どうして自分の事ばっかりなんだろう、って。だから、勝手に避けてた」
ごめん、と彼女は再び謝る。
「俺の方こそごめん。アンタの話、信じてあげられなくて。多分俺、あの時余裕無くなってたんだと思う」
カルマは自嘲めいた笑みを浮かべてから頭を下げた。
花澄はそれを見て、ほっと安堵したかのように微笑む。
「良かった……。私、もうカルマとは話せないまま卒業迎えちゃうのかなって、ちょっと不安に思ってた」
「えー、本トは花澄は俺なんかと話せなくてもヘーキなんじゃないの?寧ろそっちが俺の事避けてた訳だし」
「平気じゃないよ」
揶揄うような口調のカルマに、彼女は真剣にそう答えた。
「私は、全然平気じゃない」
そう答える花澄の姿が、あまりにも眩しくて。
「……そっか」
カルマの口許も、自然と緩んでいた。
―浅野クンが花澄の秘密を抱えていようが、何をほざこうが構わない。
―俺は、今の彼女の言葉を聞けただけでもう充分満足だ。
彼ら2人の様子を、こっそり覗いていた人物がいた。
潮田渚と茅野カエデだ。
「……あの2人、漸く仲直りしたみたいだね」
「うん。私、すっごくヒヤヒヤしたよ〜。今回割と険悪ムード長かったし、巨大プリン作ってる時も2人共一切喋らないんだもん」
「あはは……確かにそうだったね」
茅野らしい返答に、渚は苦笑いを浮かべるのだった。