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34時間目
焦りの10月。
殺せんせーの暗殺期限まであと5ヶ月に迫ったある日の事だ。
一部の生徒達が帰り道にフリーランニングを使った際、保育センター『わかばパーク』の園長、松方さんとぶつかってしまい、彼に怪我を負わせてしまった。
松方さんは2週間入院する事になり、E組生徒達は過失の責任を負うべく、テスト勉強を禁止して、わかばパークの業務の手伝いをする事になった。
「勉強なんて家でこっそりやればいい」、竹林のその言葉に花澄は納得する。
人見知りが激しい花澄は、子供ウケのいい茅野と共に行動し、子供達の心を掴みに掛かる事にした。


「疲れたー……」


家に着くと、花澄はゴロリとベッドに横たわる。
わかばパークに通い始めてから1週間、彼女は仕事を終えてから直帰して勉強に没頭する日々を送っていた。
此処に来て流石に疲れが表れてきて、今日はもうこのまま寝てしまおうと重い、花澄はゆっくりと目を閉じる。

ブーッ、ブーッ。

微睡みに落ちかけたところでスマホのバイブ音が鳴り、花澄は慌てて飛び起きた。
寝ぼけ眼でスマホを手に取り、相手の名前を確認しないまま「もしもし」と電話に応じる。


『……ごめん。寝てた?』

「……え、カルマ?」

『うん、そうだけど。え、何、寝ぼけてる?』


電話越しでもカルマが苦笑いをしたのが分かった。


『最近子供達の面倒ばっか見ててろくに話せてないじゃん?花澄人見知り激しいし、大丈夫かなーって思ってさ』

「ああ、うん。大丈夫……」

『うん、その様子だとだいぶ疲れてるみたいだね』


花澄の答えを聞いたカルマは呆れたようにそう言った。
『今日はもう切るね〜』、そう言って彼があっさりと電話を切った直後、花澄は今度こそ深い眠りに落ちていった。

……彼女が風邪をひいたと自覚するのはその翌日の事である。





熱を計ったら39度台だったので、花澄は大人しくベッドで寝ている事にした。
両親は花澄の体調不良を学校に連絡してからいつも通り仕事に行っている。
「なるべく早く帰ってくるね」、母はそう言ってはいたが、それでも帰りは夜になるだろう。
身体が弱ると寂しくなるとよく耳にするが、彼女もその典型で、1人で家に籠っていると何となく心もとなくなってきてしまった。

―早く、みんなに会いたいな。

そう思った瞬間脳裏に1番最初に思い浮かんだのは、自分と親しくしてくれている赤髪の少年の顔だった。
目を閉じると、次々と浮かんでくるのはカルマの笑っている顔や好戦的な表情、悪戯っ子のようなしたり顔ばかりで。


「カルマ……」


その名前を呼ぶだけで、きゅっ、と胸が締め付けられたような気持ちになった。

―何で、こんな気持ちになるんだろう。


「……好き、なのかな」


声に出して呟いてみる。
小さな声を出したつもりだったが、静かな部屋では思いの外自分の声がよく響いて、花澄はカァッ、と顔に熱が集まるのを感じた。
今思えば、自覚はしていなかったものの、以前から彼を見ていると胸が苦しくなる事が多々あった。
……否、本当は自分の気持ちに気が付いていたのかもしれない。
素直に認めるのが、怖かっただけで。

―胸が苦しい。

片方の手で口元を押さえ、もう片方の手をそっと左胸に添える。
いつもよりも心臓が忙(せわ)しく動いているような気がして、花澄はバッと布団を頭から被った。

全部熱のせいだ。

そう決め込む事にして、彼女は一旦眠って心を落ち着ける事にした。





インターフォンの音で目が覚めた。
突然起き上がった為に痛む頭を押さえつつ玄関の扉を開けると、ビッグテールの幼馴染と見慣れた赤髪の青年がそこに立っていて、花澄は一気に眠気が吹き飛ぶ。


「え、え!?渚はともかく……カルマ!?え、なんで!?」

「あはは、花澄寝起き?てか部屋着とか新鮮なんだけど」

「〜〜〜ッ!」

「あ、照れた。かーわいっ」

「カルマ君、花澄一応病人だから……」

「あ、そっか。ごめんごめん」


そう言ってカルマは悪びれもなくペロリと舌を出す。
その態度に、渚は呆れたように乾いた笑みを浮かべ、花澄はと言うと、カルマを直視できずに俯いていた。


「渚君が、殺せんせーから花澄のお見舞い行くように頼まれててさ。花澄昨日から何か調子悪そうだったし、心配だったから俺も来ちゃった」

「あ……そう、なんだ」

「顔赤いねー。まだ熱あるの?」

「た、多分、まだある。朝よりは下がったと思うけど」

「ふぅん」

「……花澄、中入ってもいい?」


キリのいいタイミングを見計らって、渚が花澄に声を掛ける。


「あ、うん。上がって」


その声に渚は頷き、「お邪魔します」と言って中に入っていく。
カルマもきょろきょろと辺りを見回しながら渚の後に続いた。


「そーいや俺、花澄ん家来るの何気に初めてなんだよね」

「そっか、そうだね。前は私がカルマのとこにお邪魔したから」

「渚君は結構此処には来るの?」

「うーん……僕は最近は来てなかったけど、小さい頃はよく遊びに来てたよ」

「ふぅん」


自分から尋ねておいたにも関わらず、カルマは興味なさげにそう答えを返す。
リビングに入ってから、花澄が2人にお茶とお菓子を出そうとすると、渚は「僕がやるよ」と言って彼女に椅子に座って待つように促した。
そして彼は、流れるような手付きでお茶とお菓子、グラス等を用意していく。


「……渚君、随分手際がいいね。ここ、自分の家じゃないのに」

「うん、まあ……幼馴染だからね。小さい頃はよく花澄の家にお世話になってたし」

「へえ……」


カルマは低い声でそう答える。

―もしかして俺、来ない方が良かったんじゃないの。

改めて花澄と渚の特別な間柄を見せつけられたような気がして、カルマは内心少し苛立っていた。

ここにいても虚しくなるだけだ。

そう思ったカルマは、今日はもう帰ろうと思い、いつもと同じ飄々とした調子で「俺もう帰るね〜」と言い、玄関に向かおうとする。


「カルマ、待って」


靴を履こうとしゃがみ込んだ時、彼は後ろから声を掛けられた。


「……花澄?駄目だよ、病人なんだか―」

「今日、カルマが来てくれて、すっごく嬉しかった」


カルマの言葉を遮って、花澄は彼にそう伝える。
カルマは彼女の言葉に一瞬呆けたような表情を見せたが、すぐに「……え、何、どーしたの?」といつも通りの飄々とした笑みを浮かべた。


「なんか……私、体調崩してちょっとナイーブになってたみたいで、」

「?」

「その……だから、今日カルマに会いたいなって、ちょっと考えてたの……」

「……」

「あ、ごめん私変な事言った!特に深い意味はないからね!?」


両手を前に突き出して慌てたように弁解する花澄を見て、カルマは思わず吹き出してしまう。


「な、何で笑うの」

「んーん、別に」


そう言いながらもクスクスと笑う彼を見て、花澄はムスッとした表情を浮かべた。


「ありがと」


カルマはそう言って目を細めて笑うと、クシャリ、と花澄の頭を撫でた。
それから彼女に背を向けて玄関から外に出て行く。


「〜〜〜ッ」


ドッドッ、と花澄の心臓が一生懸命動いている。
今まで頭を撫でられても何とも思わなかったのに、気持ちを自覚し始めた途端もう駄目だった。

―どうしよう。
―好き、好き、好き。

それしか考えられなくなって、花澄は両頬を押さえてその場に蹲(うずくま)る。


「花澄ー、大丈夫?」


花澄がなかなか帰って来ないのを見かねてか、玄関に入ってきた渚が彼女に声を掛けた。


「……渚ぁ」

「ん?」

「……どうしよう、私、胸が苦しい」

「えええ!?風邪悪化したの?」

「ううん、違う。そうじゃないよ……」


渚は花澄のもとに駆け寄ってその場にしゃがみ込み、じっと彼女の様子を見守る。

そして、気が付いてしまった。


「……もしかして、カルマ君?」

「!」


花澄は渚の言葉に凍りついたが、すぐにコクコクと何度も頷いた。

―そっか。やっと自覚したんだ。

渚は内心ほっとしていた。
カルマとも花澄とも仲が良い彼は、以前から花澄とカルマが両思いだという事を薄々感じていたのだ。
そして、花澄が早く自分の思いに気が付けばいいのにと、内心では焦れったく思っていたのだった。
まあ尤も、カルマの片思いに関しては、殆どのクラスメイトは察知していたのだが。

―カルマ君、あと少しだよ。

渚は心の中で彼にそうエールを送ると、目の前にいる幼馴染に「とりあえず中に入ろう」と促したのだった。





それから数日後、花澄の風邪は完治したが、その後行われたテストの成績は散々だった。
花澄は浅野学秀には勿論五英傑にすら及ばず、総合7位という結果になってしまったのである。
テスト明けの帰り道、花澄達が五英傑に絡まれていたところを救ってくれたのは、今回総合成績2位の赤羽業だった。


「2ヶ月後の2学期期末、そこで『全て』の決着着けようよ」


五英傑に向かってそう言ったカルマだったが、その視線は主に浅野に向けられている。
浅野は一瞬花澄に視線をやってからすぐにカルマに視線を戻し、彼を睨み付けた。
カルマはそれを見て不敵に笑うと、「行こーぜー」と言って花澄の肩に腕を回す。
花澄はビクリと肩が跳ね上がりそうになるのを必死で堪えながら浅野達に背を向けた。


「カルマ、ありがと」


花澄が小声でそう呟くと、彼は小さく笑って「いーえ」と答えたのだった。



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