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4時間目
あの日から1ヶ月が経過した。
渚はもう本校舎には来ていない。
花澄はあの日以来、今迄になく勉強に打ち込むようになった。
それに、ほんの少しずつではあるが、本校舎の生徒とも関わりを持ち始め、友好的な関係を築けるようにもなって来た。
しかし、やはり花澄は本校舎の大抵の生徒達を心からは信用出来ず、所詮上辺だけの関係になってしまっていた。
「花澄〜」
「うわっ!?あ、赤羽君!ビックリした……」
期末テスト直前の帰り道、突然後ろから軽く小突いて来たカルマに花澄は驚きの声を上げる。
あの日以来、何故かカルマは花澄の事を呼び捨てで呼ぶようになった。
渚以外の友達からはそんな風に親しげに呼ばれた事がなかった花澄には、それが嬉しくもあり若干恥ずかしくもある。
「花澄は今帰り?」
「うん。赤羽君も?」
「まーね。流石にテスト明日からだし、多少はやんなきゃやばいっしょー」
「そうだねー……私も今回はいつも以上に気合入ってるし、絶対赤羽君には勝つつもりだよ」
「うわっ、言ったね花澄。俺だって花澄には負けないよ」
バチバチと火花を散らす2人だったが、花澄が堪え切れずにクスクスと笑い始めると、カルマの表情も綻び始めた。
「赤羽君は、確か数学が得意なんだよね」
「ま、そーだね。花澄は得意教科何だったっけ?」
「うーん……私、特に無いんだよね、そういうの。テストによっていつも点数高い教科違うし……」
「げっ、それってオールマイティに何でも出来るって事じゃん。すげー」
「えー、そんな事ないよ。私は応用は苦手だし、テストによって右往左往される位じゃ全然駄目だしさ」
少女は肩を竦めてちょっと笑う。
「きっとこのまま行けば赤羽君もA組でしょ?もし同じクラスになれたら、改めて宜しくね」
「A組ねぇ……浅野とかとも一緒になるんでしょ、それって。アイツ気に食わないんだよなー……」
「……確かに浅野君はあの理事長の息子だし、E組の事は他の誰よりも見下してるかもしれないけど……でもまあ、成績がうちの学年トップっていうのは紛れもない事実だからねー……しょうがないよ」
「まー良いや、クラスメイトとかぶっちゃけカンケーないし。俺は花澄が今までどーり接してくれればそれで充分」
「はぁ?何それ意味わかんないよ」
そして2人はまた笑った。
「じゃあ、またね赤羽君。テスト頑張ろ!」
「ん、じゃーまた」
相も変わらずのらりくらりと歩くカルマの後ろ姿を見て、花澄は自然と口元が緩む。
そして、自分も家に向かって颯爽と歩き始めた。
期末テストが終わった。
ー今回はいつもより手応えあるかも。
花澄はそう思い、満足げに帰路についていた。
5分程歩いた時、少女はふと通りすがりの路地裏で見覚えのある制服を視界に入れる。
あれって……うちの学校の制服?
じっと見つめてみると、1人の男子生徒が複数人の男子生徒達に虐められているのが目に入った。
「……」
一瞬、見て見ぬ振りをしようかと思った。
だが彼女は思い出す。
先日赤羽業に言われた事を。
『人付き合いの悩みなら、幾らでも力貸すから。だからやってみるだけやってみりゃいーじゃん』
そうだ、そうだよ。
逃げちゃ駄目だよ。
助けなきゃ。
花澄はズンズンと現場に近付いて行った。
「……何してるんですか?」
そして、虐められている方の男子に背を向けて、虐めている側の男子生徒達を睨み付ける。
「何って……君も僕らと同じあそこの生徒なら解るだろう?E組虐めだよ」
「! E組……」
「そ。だってコイツは落ちこぼれのE組だよ?僕ら選ばれし3年A組の生徒達は、このクズに何をしても良い権利がある」
「っそんな権利ありません!私の友達もE組にいますけど、私は先輩達みたいにE組の生徒を見下したりなんかしませんから」
「はぁ?何なの君。頭おかしいの?っていうか馬鹿でしょ。こんな奴を庇うなんて」
「だって同じ人間じゃないですか」
彼女がそう言うと、3年A組の男子生徒達は一瞬呆れたような顔をしたが、すぐに顔を見合わせて嫌らしい笑みを浮かべる。
「良いよ。そんなにこの落ちこぼれを守りたいなら、君も一緒に巻き込んであげる」
「! E組の先輩、逃げてくださ……」
「逃がさないよ」
その声と共に、E組の男子生徒は突き飛ばされる。
「先輩!」
駆け寄ろうとした途端、花澄は腕を掴まれてE組の生徒とは反対方向に吹っ飛ばされた。
「ぐっ……!」
全身が悲鳴を上げている。
それでも立ち上がろうとすると、腹を蹴られて花澄は再び地面に倒れこんだ。
何でこんな事になっちゃったんだろうなあ。
私、やっぱり駄目だなあ……
こんな状況なのに、何故か少女はそんな事を考えていて、気が付いた時にはA組男子が花澄の頭に向かって今にも英語の辞書を振り下ろそうとしていた。
え、これってかなりヤバイんじゃないの。
寸前になってもやっぱり何処か他人事のようにしか考えられなくて、それでも花澄は咄嗟にぎゅっと目を瞑った。
その時ー
「駄目だよせんぱーい。喧嘩するなら場所を選ばなきゃ」
聞こえて来たのは、懐かしい声。
見えて来たのは、赤髪の頭。
「赤羽……君……」
花澄はぼんやりとその名を呟いていた。
それからは呆気なかった。
喧嘩慣れしているカルマと唯のエリート中学生。
誰の目から見ても、どちらが勝つかなんて目に見えている。
「大丈夫、先輩?」
カルマはA組の生徒達を散々殴ると、茫然と座り込むE組の生徒に声を掛けた。
「3-E……あのE組?
大変だね、そんな事で因縁つけられて」
それから彼は花澄の元へ向かい、彼女に手を差し出しす。
「……ありがとう」
少女はその手を取り、ゆっくりと立ち上がった。
「赤羽君……ごめんね」
「え?何で?」
「だって……巻き込んじゃったから」
「なぁんだ、そんな事?良いよ、気にしなくて」
「でも……」
―もしかしたら私達、E組行きになるかもしれないよ。
花澄はそう言い掛けた言葉をぐっと飲み込み下を向いた。
そんな彼女の心情を知ってか知らずか、赤羽業はこう告げる。
「……俺達は正しいよ」
「え?」
「だってさ……虐められてた先輩助けて何が悪いの?」
「……ううん。悪くない」
「でしょ?
それに……きっと大丈夫だよ。
俺の担任の大野は、いつでも俺の味方だって言ってくれたし」
「……」
大野のその言葉を、本当に信じても良いのだろうか。
渚をE組送りにした張本人の、あの大野の言葉を。
「英語の辞書で人の事殴ろうとするとか流石だよねー」と言って能天気にケラケラと笑うカルマを見つめながら、花澄は1人そんな不安を抱えていた。
翌日、登校するや否や、花澄は担任にこう告げられた。
「今日から停学、来年度以降はE組行きだ」
と。
覚悟していた事だったので、花澄はそれをすんなりと受け入れた。
不思議な事に担任からは何の嫌味も飛んでは来ず、代わりに渡されたのは今回のテストとその結果だった。
広げてみると、結果は2位。
―私……2位、だったんだ。
嬉しいような、悔しいような、そんな複雑な思いを抱えたまま、少女は黙って教室を去る。
周りのクラスメイト達は、一体何が起こったのだろうという視線を送ってきたが、花澄はそれらを全て無視して、真っ先にカルマの教室へと向かった。
そんな少女の後ろ姿を、学年1位の浅野学秀がじっと見つめていた事など、誰も知る由はない。
カルマも大野もクラスにはいなかった。
―もしかして赤羽君、まだ学校に来てないのかな。
焦る気持ちだけが空回りするが、彼等が今何処にいるのか解らない。
「ねえ、聞いた?赤羽業」
「あー、聞いた。大野に職員室に呼び出されたらしいよ」
「とうとうあの赤羽もE組行き決定かー」
万事休す、と思われたその時、偶然すれ違い様に女子生徒達がそう話しているのを耳にした。
―職員室!
解った途端、花澄は目の色を変えて駆け出し始める。
お願い、どうか、間に合って。
赤羽君が壊れちゃう。
「赤羽君!」
花澄が職員室に入ると、すぐに目に入ったのは怯える大野の姿。
次に見えたのは、無残に壊された机、椅子、ボロボロの室内だった。
そして、最後に見たものは―
瞳に暗い光を宿した、赤羽業の姿。
「あ……かばね、君」
間に合わなかった。
少女は一瞬でそう悟った。
カルマは花澄を一瞥したが、すぐに視線を逸らして職員室から出て行ってしまう。
一方花澄は、暫くその場で立ち尽くす事しか出来なかった。