短編
彼は宛ら蛇のやう

「よお」


月明かりが横浜の街を照らす中、暗がりから唐突に声が響いた。
彼女−みょうじなまえが振り返ると、路地裏から1人の男が現れる。


「……また貴方ですか、中原さん。ポートマフィアの五大幹部様が私みたいな新米警察官に何の御用ですか?」

「相変わらず釣れねぇな手前は。何って、云わなくても解ってんだろ。勧誘だよ、勧誘」

「……貴方も相変わらずですね。何度もお断りしている筈ですが」


なまえの答えに、中也は大袈裟に溜息を吐いた。


「手前だって異能者だろ。探偵社でもマフィアでも無く、選(よ)りに選って何で軍警なんかに居るンだよ」

「異能者だからと云ってどちらかに所属しなければならないという決まりなんか在りません。其れに私は、警察官として市民の安全を護りたい。探偵社なら兎も角、人殺しもしているポートマフィアに入るだなんて、絶対にお断りです」

「……そうかよ」


中也はそう答えて俯いた。
漸く納得して貰えたのだとなまえが安心したのも束の間、彼は突然彼女の手首をガッと掴む。


「いッ……!!」


気がついたら、なまえは路地裏に連れ込まれ、壁に押さえ付けられていた。
次の瞬間、中也の顔で視界が埋め尽くされる。


「!? や、め……!?」


口を開いた瞬間、ぬるりと舌が割って入って来た。
咄嗟に離れようとするものの、何時の間にやら後頭部と腰に手を回されており、其れは敵わない。


「善いか、善く聞け国家の狗」


息吐く間も無いような濃厚な接吻の後、中也は荒い呼吸を繰り返すなまえに告げた。


「手前にどんな思いが在ろうが事情が在ろうが知ったこっちゃねぇ。俺はマフィアだ。欲しいと思ったモンはどんな手を使ってでも必ず手に入れる」


鋭い眼差しに、なまえは目を逸らす事も出来ない。
今迄もこうして勧誘された事はあったが、彼のマフィアらしい一面を見たのは此れが初めてだった。


「……如何して、そんなに私に拘るんですか」


蛇に睨まれた蛙に成る心算は無い。
中也の勢いに怯みそうになるのを必死で抑え込み、なまえは強気な態度で相手を睨み返した。


「ハッ、善いなァその生意気な面(つら)。そういう顔されると、思わず怯えさせて泣かせたくなる」


中也はそう云ってなまえの顎を掬った。


「やってみて下さいよ。やれるものなら」

「……チッ、あの貧弱包帯野郎みたいな事云いやがって。反吐が出る」


中也は思い切り顔を歪めると、バッと彼女から手を離した。


「こう見えて俺はしつこい男なんだ。俺に見付かった以上、手前はもう俺から逃げられねぇ」


覚悟しとけ、と云って、中原中也は不敵に笑う。

−なんだかんだで彼に追われるのが嫌じゃない私も、末期なのかもしれない。
−悔しいから、彼には絶対に云ってやらないけど。

月夜を背に立つ中也を見つめながら、なまえは果たして此の下らない遊戯(ゲヱム)に終止符を打つのはどちらなのだろうかとぼんやり思った。

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