小さな世界征服みょうじなまえは写真家である。とは言っても、彼女の仕事は世に自慢出来るような立派なものではない。彼女の仕事は至ってシンプル、所謂パパラッチに用いる写真やゴシップ写真、又はそれらに類似した写真の撮影をすることだった。
ある日彼女は、とある人物に依頼され、新宿の超高層ホテルの一室でカメラを構えていた。
今回の仕事は、情報屋、折原臨也の一日を監視し、弱味を握れるような証拠を掴むことである。
折原臨也の噂なら、なまえも軽く耳にしたことはあった。
黒のファーコートに黒のスキニー、全身に黒を纏った、眉目秀麗を具現化したような男。
依頼された仕事は確実に完璧に、尚且つ迅速にこなす為、まだ若くして情報屋としての実力は高いようだ。
……人間性には多少問題があるようだが。
この日の為、なまえは念入りに下準備を済ませてきた。
折原の事務所を一望でき、且つ彼に気付かれないような撮影場所を探すのには中々苦労したものだ。
30件以上の建物を回り、漸く探し当てたのが此処だった、という訳である。
その甲斐あってか、此処まで折原本人には全く気づかれずに、順調に事が運んでいる。
後は、彼の弱みを握るだけ。
「……あ」
すっかり日も暮れた頃、彼女は漸く声を上げた。
レンズ越しには、黒い長髪の女と濃厚な口付けを交わす折原臨也が写っている。
―あの女は確か、矢霧製薬の。
取り巻きの女との噂が絶えない折原だが、矢霧製薬の者となると話は別だ。
これは上々じゃないか、そう思ったなまえは夢中でシャッターを押した。
「……ふう」
終わった。
仕事さえ終われば、もうここに用はない。
なまえがそう思って伸びをした時だった。
コンコン、とノック音がして、「お客様、ちょっと宜しいですか」と外から声がする。
こんな時間になんだろう、なまえは不思議に思いながらドアを開けた。
「……え?」
「やあ、こんばんは」
目の前に現れたその男は、青空から降ってきたような声でそう言った。
どうして、え、だって。
その男は、先ほどまでレンズ越しに写っていたはずで。
その男は、先ほどまで女とよろしくしていたはずで。
呆然とするなまえを余所に、男は何の躊躇いもなく部屋に入り込んでくる。
そして彼はなまえの手を掴むと、ボスン、と彼女をベッドに放り投げた。
「!?」
我に返った頃には時既に遅し。
男はファーコートの胸ポケットから手枷を取り出し、それをなまえの手首に嵌めると、ベッドの柵に括り付けた。
「折原、臨也……!」
「あはは、初めましての相手にそんな反抗心剥き出しの態度はないんじゃない?」
臨也は咎めながらも楽しげな口調でそう言う。
それから彼は、部屋の隅にあったなまえのカメラを持って彼女の上に馬乗りになった。
「みょうじなまえちゃん、だっけ?中々良いカメラ使ってるね」
臨也はそう言うと、なまえに向かってカメラを構えた。
「何、して……!」
なまえの拒絶を無視して臨也は何枚も写真を撮っている。
嫌なのに逃げられない。
なまえはぎゅっと目を瞑って顔を逸らす事しかできなかった。
「ああ、そうだ」
臨也は何かを思い付いたようにそう言うと、カメラをテーブルの上に置いてから再びなまえに馬乗りになった。
「どうせだったら、もっとイイ写真を撮りたいよねえ?」
ニタリ、と笑う臨也に寒気がした。
「嫌、待ってください……!」
「待たないよ……っと」
ブチブチッ、と胸元から音がする。
とうとうなまえの目から涙が零れた。
「あーあ、泣いちゃった。
でもごめんね。俺、泣き顔の可愛い子はもっと泣かせたくなる主義なんだ」
目尻を拭う手つきは優しいのに、彼から紡がれる言葉は全くもって優しくない。
「さて、今から俺は、君を襲おうとしてる訳だけど」
臨也はぐっとなまえの耳元に唇を寄せる。
「条件次第では、このまま何もせずに解放してあげてもいい」
れろり、と熱いものが耳をなぞっていく。
それが臨也の舌だという事に途中で気付いて、なまえはぶるりと背中を震わせた。
「っ、条件……と、言うのは?」
「簡単な事さ。俺専用の写真屋になってよ」
「それ、って……」
「『俺の部下になれ』。要するにそういう事さ。
大丈夫、悪いようにはしないよ」
「……?」
―これはつまり、『私を雇いたい』という事なのだろうか。
―っていうか、そもそもこの人はどうして私の事を知っていたのだろう?
困惑するなまえを見兼ねたのか、臨也は彼女の疑問に答えるかのようにすらすらと語り始める。
「君、今回の仕事は、俺の事を良く思ってない奴からの依頼だったんだろう?君は頭が良い。だから、俺に対して何の恨みもきっかけも無いのに、個人的な興味で俺に近付くような馬鹿だとは思えない」
「依頼を承ってから君は慎重に探し回った。折原臨也のマンションがよく見えて、且つ俺に気付かれにくいような絶好の撮影場所を。そしてその結果、君はこのホテルに辿り着いた」
「俺は君が今日俺の部屋を監視する事を予め掴んでいたのさ。だから今日、初めから俺は自分の部屋にはいなかった。つまり、君が激写したあの男は折原臨也でも何でもない、只の偽物だよ。勿論、部下の女―波江の方もね」
「で、君を雇いたいと思った理由なんだけど。
昔から君の噂は聞いていてね、どんな子なのか興味はあったんだ。そんな君が、今度の標的を俺に定めたっていうじゃないか。だから俺は、君の策略に乗ったフリをして、君が撮影場所をどこに選ぶのかに注目していた。その結果、君はここを撮影場所に選んだ。俺が君の立場だったとしても、ここを選んだだろうね。というわけで、俺は君の能力―空間把握能力、頭脳、撮影技術全てを含んだ君の力が欲しい。君の事、個人的にも気に入っちゃったんだよね」
「……」
無駄に話が長かった気もするが、要は最後の言葉が彼の本音なのだろう。
なまえとしても、後半の言葉は嬉しいものだった。
臨也は自分の実力を認めてくれた上で、自分を雇いたいと言ってくれている。
だから、ほんの少しだけ、あの折原臨也と対等な位置に立てているような気がして。
「……折原さんって、案外マトモな方なんですね」
「は?」
面食らったような彼の顔を見られただけで、今日はもう満足だ、と彼女は思った。
「いいですよ。私、貴方の部下になります」
そう答えると、臨也は先ほどとは打って変わり、ニヤリと顔に笑みを浮かべた。
「宜しくね、なまえ」
「いえ、こちらこそ」
こうして、彼はまた新しい駒を盤上に配置したのだった。
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ポケットに拳銃