短編
うまとしか

「太宰治!」


その少女は、派手な音を鳴らしてドアを開け乍ら彼の名前を呼んだ。
此処は喫茶処『うずまき』。
武装探偵社の階下にあるこじんまりとした喫茶店である。
突然の見知らぬ少女の襲来に、其の日此の場所を訪れていた太宰以外の探偵社の面子−敦、谷崎、ナオミは目をぱちくりと瞬かせた。


「えっと……誰、ですか?」

「さァ?知らないなァ」

「でもあの様子だと、如何やら太宰さんの知り合い、って感じですわよね」


3人がヒソヒソと話す中、太宰は涼しい顔をして珈琲を啜っている。
それに腹が立ったのか、其の少女は敦達が座っているテーブルの方まで近づいて来ると、ダンッ!と勢い善く机を叩いた。


「一寸!何で無視するんですか!馬の耳にも念仏ですか莫迦なンですか最早馬と掛けて馬鹿なんですか!」

「ねェ敦君、最近蝉が五月蝿くないかい?」

「否、今真冬じゃないですか太宰さん。て云うか其の娘の事は完全に無視−」

「ええ?じゃあ耳鳴りかなァ」

「否、話聞けし!」


なまえは手元にあったお冷を思い切り太宰に浴びせ掛ける。


「……」


其の場にいた者全員が唖然とする中、太宰は気の抜けたような声で「わー、屋内なのに雨が降って来た」と呟いた。


「……あの、えっと……何か浮気現場を取り押さえたみたいになってる気がするのは僕だけですかね?」

「真逆太宰さん彼の娘に何かしたンじゃ……」

「違いますそーいうんじゃありません死んでも有り得ません!」


敦と谷崎の小声の遣り取りに、其の女は噛み付くように云う。


「此奴……此の人は……善い加減延滞料金払えや無駄にイケメンな包帯野郎!!」

「「「……は?」」」


−延滞料金?

またもや皆は唖然とした。


「あ、なまえちゃん!何時の間に其処に立っていたんだい?御無沙汰だね!」

「なぁーにが御無沙汰ですか!然も『御免今気付いた』みたいな其の態度止めて下さい!腹立つ!そンな事よりDVD!もう半年以上も返してませンよね!?早く返せ今直ぐ返せそして延滞料金払え」

「ええ〜、厭だよ私未だ見終わって無いし」

「半年以上も見てないンだから最早見る気なンて有りませんよね!?」


なまえ、と呼ばれた少女と太宰の遣り取りを見乍ら、まるで主人に逆らう犬と其れをあやす飼い主のようだと敦は思った。


「太宰さん……その、僕達上に戻ってますね」

「えええ!?こんな幼気(いたいけ)な上司を見捨てると云うのかい敦君!?」

「あの……自業自得だと思います」


敦は控えめな口調とは裏腹にバッサリと太宰を切り捨てると、他の2人と共に店内から去って行った。
残された太宰は心無しかタラタラと汗をかいているように見える。


「却説、今日こそは年貢の納め時ですよ太宰治」

「ははは、何だい其の古臭い云い回しは」

「つべこべ云わずに早く金出せ金を」

「うーん、払いたいのは山々なンだけど、生憎と今無一文なのだよ」


太宰はそう云って仰々しく肩を竦める。
其れを聞いたなまえは再びお冷を手に取り振りかぶったので、太宰は慌てて机の下に隠れた。


「そンなの貴方の勝手な都合でしょう!私何故だか店長に貴方という厄介者の担当を完全に任された事で店でも使えない奴扱いされてるし遂に彼の店頸になるかも知れないんですよ!」

「えええ、其れこそなまえちゃんの勝手な都合じゃないか。私には関係の無い事だし」

「否、大アリだからね!?」


其の後も似たような遣り取りが暫く続いたが、不意に太宰がなまえの手に指を絡めた。


「なっ……!」

「そンなに返して欲しい?」


クスリ、と見蕩れるような笑みを浮かべて、太宰は優しくそう話し掛ける。
対するなまえは、突然の彼の行為に明からさまに狼狽えていた。


「当、たり前じゃないですか!それより手!離して下さい!」

「ふふふ、じゃあ其れっぽく、可愛くお強請(ねだ)りして御覧」

「っ、はぁ!?意味判んない!」


−てか何で私が立場悪くなってるの!?
−私なんも悪い事してないのに!

なまえが1人で混乱していると、太宰は其れを見て呆れたように溜息を吐いた。


「あのさぁなまえちゃん。何で私が未だ借りていたDVDを返さないと思う?」

「え?何でも何も、未だ見終わってないから、ですよね?」

「はぁ……まあ善いや。莫迦な子程可愛い、って云うしね」


太宰はそう云って目を弓なりにして微笑むと、なまえの頬を優しく撫でた。
一方の少女は、太宰に莫迦呼ばわりされた事が悔しかったのか、眉間に皺を寄せて唇をワナワナと震わせている。


「全く……如何してそう云う顔しか出来ないかなァ。今、なまえちゃんすっごく不細工な顔してるよ」

「悪かったですねどーせ私は貴方が愛して止まない綺麗なお姉さん達とは大違いですよ!其れに莫迦だし!」

「え、未だ気にしてたの其れ。……否、そう云う事じゃなくてさ、」


太宰は其処で言葉を切ると、立ち上がってなまえに近付き−

ちゅっ

小さくリップ音を響かせて、彼女の額へと口付けた。


「……へ」


始めは呆然としていたなまえだったが、現実を認識し始めると、額を押さえてへなへなとその場に座り込む。


「〜〜〜ッ!!」

「ほら、そう云う顔してれば可愛いのに。
……まァ、私以外の男にそンな顔見せたら許さないけど」


さりげ無く言葉に黒い雰囲気を漂わせ乍ら、太宰はケロリとした表情でそう云ってのける。


「な、な、なななんで」

「さぁ?何でだろうね?」


太宰はそう云って、なまえに向かって自らの砂色の外套を投げつけた。


「暫く其れで顔を隠していなよ。今度会う時返して呉れれば構わないから」

「こ、今度って……!私は今日、此処で全部終わらせる心算で」

「次はもっと可愛がってあげるね」


耳許でそう囁かれれば、彼女が彼に敵う筈も無くて。
太宰が鼻歌混じりにその場を去る一方で、残されたなまえは赤くなった顔を隠すように砂色の外套の下に顔を潜り込ませ、ぎゅっと其れを握り締めていた、とか。


(あーもう何なんだあの色気無駄遣い装置!)

(うふふ、早く私のものにならないかなァ)





実は店長が夢主を太宰専用の担当にしたのも、彼の策略通りだったりするかも知れない

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