短編
臆病者は世界を嗤う

太宰治は最低な男だ。

彼は私の同僚である。
黒外套に黒いスーツ、全身包帯だらけの男で、趣味は『清く明るく元気な自殺』。
趣味が自殺だなんて此奴莫迦なんじゃないのと思うのだが、そんな男が泣く子も黙るポートマフィアの最年少幹部だというのだから、世の中何が起きているか判らないものだ。
そんな彼には、もう1つ欠かせない趣味があった。


「だ、ざい……」

「何だい、なまえ」

「ちゅうやが……中也が、また私を庇って大怪我したの」

「……そうかい。それは辛かったね。大丈夫、なまえ?」


太宰は首を傾げ、途端に心配したような表情を浮かべる。
そんな顔をしないでほしい。
私は知っている。今回も前回も−否、何時もこうやって中也が私を庇うように仕組んでいるのは、紛れも無くこの男なのだから。


「ねえ如何して?如何してこんな事するの?もう止めてよ。もう中也を……中也を傷つけないでよ……!」


私は半ば叫ぶようにそう云うと、太宰の胸板をどん、と叩く。
太宰は返事をする代わりに私を自分の方に引き寄せると、幼子をあやすかのように私の背中をぽんぽんと優しく叩いた。
其れにどうしようも無く腹が立って、でも自分では如何する事も出来なくて、無力な私は今日も自分の居たたまれなさに唇を噛み締める。


「そんなに強く噛んだら傷ついてしまうよ。なまえはもう我慢しなくて良いんだ。辛かっただろう?私の前では素直に泣いても良いんだよ」

「ッ……」


優しいテノールボイスが毒のようにじわじわと私を浸食していく。
惑わされちゃ駄目だ。
こうやってアメを与えて思う存分甘やかせるのが、此の狡賢い男の手口なのだから。


「なまえ」


太宰はそう云って、親指の腹で私の目元を優しく撫でた。
それはまるで、今にも私の目から零れ落ちようとする涙を誘い出しているようで。
ぽたり、ぽたりと私の目から雫が落ちる様子を見て、太宰は憎らしいほど綺麗に笑ってみせた。


「嗚呼、また君の敗けだね」


もう1つの、此の男の趣味。
其れは、私を泣かせて、其の泣き顔を堪能する事だ。
太宰は私が中也を好きだという事を知っていた。
だからこそ、態と中也を傷つけて、私を精神的に追い詰めた上で、こうやって私を甘やかす素振りを見せるのだ。
私が、自分が痛めつけられる事よりも、自分の好きな人を犠牲にされる方が辛いと云う事を知っているから。
そして、中也が実は義理人情に熱い男だと云う事を知っているから。
だから太宰は、中原中也という男を利用する。
ただ私の泣き顔を見たいからという、其れだけの理由で。


悔しくて哀しくて苦しくて、そして中也に申し訳なくて、私の涙が止まる気配は一向に無い。
自分が嫌いだ。
何も反抗出来ず、中也に好意を伝える事も出来ず、ただこうして泣く事しか出来ない、臆病で卑怯者の自分が。
せめて太宰に見られないようにと顔を覆っていた手は、張本人によって簡単に掴まれてしまった。
太宰はそんな非力な私を見て満足そうに微笑むと、私の額に口付けを落としてこう囁くのだ。


「うん、矢っ張り泣いてる顔が一番可愛いね」





Titled by ポケットに拳銃

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