短編今宵は貴方に、
※4年前設定
「中也、お待たせ」
カランカラン、と入口の鈴(ベル)を鳴らして、みょうじなまえは其の酒屋に足を踏み入れた。
彼女は中原中也が頻繁に通っている居酒屋で働いている非正規社員(アルバイト)だった。
ひょんな事から中原中也と話すようになったなまえは、時々こうして中原と食事に出掛けたり呑みに行ったりしているのだ。
この日は丁度、中也の誕生日だった。
なまえは中也からそれを直に聞かされた訳ではないのだが、勤め先の居酒屋の親爺さんがこっそりとなまえに教えて呉れたのだ。
どうせ祝うなら、少し位吃驚させてやろう、と思った。
「中也、誕生日おめでとう」
二人共に善い塩梅に酒が回ってきた頃、予め店の方にお願いしていた小さなパフェを用意してもらう。
中也は其れを見てぱちくりと綺麗な瞳を瞬かせた後、手套を嵌めた手で口元を覆った。
あ、可愛い。
何時もは男前で格好善い中也が、歳相応の邪気(あどけ)ない表情を浮かべて気恥ずかしそうに頬を染めている。
……そんなに、嬉しかったのかな。
「……中也?如何したの?」
「っ、悪ィ、その……今迄誕生日なンて真面に祝われた事が無かったから、一寸化かし吃驚しただけだ」
中也は目を泳がせてしどろもどろにそう云うと、自分の帽子をなまえの顔に押し付けた。
「わっ、一寸っ!」
「五月蝿ェ此方(こっち)見んなっ」
中也はそう云って片手で自分の顔を覆い隠した。
なまえがこっそりと帽子をずらして中也を見ると、頬だけでは無く耳までほんのりと赤くなっている。
−何か私も恥ずかしくなってきた。
気を紛らわせる為に何か頼もうと、なまえは咄嗟にメニューを広げた。
「マスター!シェリーを1つ!」
「は、はァ!?」
中也の目が零れ落ちそうな程見開かれる。
え、私何か墓穴掘った?
怪訝な顔付きで中也とマスターを見比べると、マスターも何故か複雑な顔付きで此方を見つめていた。
「えっ、と……何か問題でも?」
なまえが恐る恐る尋ねると、2人共気拙そうな表情で互いに顔を見合わせている。
「……手前、其れ意味解って注文してンのか」
「え?」
意味?
意味って何の?
なまえがきょとんとしていると、中也は呆れたように溜息を吐いてから「厭、佳い。気にすんな」と呟き、マスターに向き直った。
「マスター、先刻の注文取り消し。で、代わりにアプリコットフィズを此奴にやって呉れねェか」
「……畏まりました」
「……??」
何が何だか解らない。
頭に疑問符を浮かべていると、中也は目を細めてポンとなまえの頭に手を置いた。
其の儘、クシャリ、と優しく頭を撫でられる。
「……中也?」
「髪、綺麗だな」
「……えっと、有難う?」
「褒めてンだから其処は純粋に喜べよ」
中也は苦笑を浮かべ乍ら流れるような手付きで彼女の髪を一房掬い上げた。
そして2人は、暫しの間互いを見つめ合う。
「「……」」
何だか顔に熱が集まって来るのを感じて、でも中也が余りにも綺麗なアイスブルーで此方を射抜いてくるものだから目を逸らす事も憚られて、結局2人は中也が頼んだアプリコットフィズが来る迄黙って互いを見つめていたのだった。
後日。
太宰治は久し振りになまえの元を訪れていた。
太宰は月に一度、なまえの処へ足を運んで彼女に様子を伺っているのだ。
「そう云えば太宰さん、一寸質問があるンですけど」
なまえは太宰に茶を出しながら、思い出したかのように口を開いた。
「先日男友達と居酒屋に行った時に私がシェリーを頼んだら吃驚されてから気拙い顔をされたんですけど……此れって如何いう事ですかね?」
「……」
なまえの話を聞いた太宰は物の見事に固まった。
そして、ギギギ、と音がしそうな位ぎこちなく首を此方に向けて動かすと、困ったような笑みを浮かべてガシガシと頭を掻く。
「あー……其れはね、」
カクテル言葉、だよ。
小さく呟かれた其の言葉に、なまえは首を傾げてぱちくりと目を瞬かせた。
「カクテル言葉……って、何ですか?」
「花言葉、ってあるだろう?色々な花に象徴的な意味を持たせるものだ。其れと同じように、カクテルにも『カクテル言葉』というものが存在するんだよ」
「……へえ」
其処迄聞いて、なまえは段々話の雲行きが怪しくなってきたのを感じ取った。
詰まり、シェリーのカクテル言葉は、屹度何らかの重要な意味を持っている、という事で……。
「あの……因みにシェリーのカクテル言葉って……」
「其れ、私が云って仕舞っても善いのかい?」
「……自分で調べます」
その後、太宰と別れてから1人でその意味を知ったなまえが、部屋の中で絶叫したのは云う迄も無い。
(……そう云えば、中也がシェリーの代わりに頼んで呉れたお酒、何だったっけ)
2017.04.29
Happy Birthday to Chuya Nakahara!!
『今夜は貴方に全てを捧げます』
『振り向いてください』
誕生日おめでとう、中也さん。