短編
きらい、きらい、大嫌い

「やあ。今日も相変わらず不細工だね」

「早く死ねば良いのに」


顔を合わせる度に始まる、嫌悪に満ち溢れた罵倒の数々。
それが、太宰治とみょうじなまえなりの挨拶だった。
太宰もなまえも精巧な人形のように整った顔立ちをしているのに、2人は出会うと何時も其の綺麗な顔をぐしゃりと歪めて互いを睨み付け合う。
太宰治と中原中也の仲が頗(すこぶ)る悪いのは有名な話だが、太宰となまえの不仲もまたポートマフィアでは多くの者に知れ渡っていた。
太宰と中也、太宰となまえの遣り取りを実際に目にした者は、皆口を揃えてこう云う。
『太宰と中也の云い争いは、太宰となまえのそれに比べると可愛げがある』と。
曰く、太宰と中也の遣り取りは端から見ていて微笑ましくなる時もあるのだが、太宰となまえは顔を合わせる度に冷たく殺伐とした空気を醸し出しており、周りから眺めていても恐ろしいという感情しか沸いて来ないのだと云う。
太宰ともなまえとも懇意にしている尾崎紅葉は、常日頃から「如何にか出来ないモンかのう」と嘆いているが、2人の関係性はちっとも善くなる事は無く、多くの人間が彼等の仲を取り持つ事を諦めていた。
その為、太宰となまえの攻防戦が始まると、見て見ぬ振りをする、或いはその場を立ち退く者が殆どだ。





「お前は太宰の何処が嫌いなんだ」


太宰の友人、織田作之助は、一度なまえにそう尋ねた事がある。


「胡散臭い処。あと、掌の上で人を転がしてる処」


なまえは無表情でそう答えた。


「彼奴は、お前が思っている程悪い奴じゃないぞ。一度きちんと話をしてみたら如何だ」


そう提案する織田を、なまえは「話しても屹度解り合えないよ」と突き放した。





「手前は太宰の何処が嫌いなんだよ?」


なまえは太宰の相棒、中原中也と仲が善い。
中也となまえが親しくなった切っ掛けは、互いに共通の敵―太宰治がいる事を認識し、2人で『対太宰・愚痴同盟』を組んだからである。


「……私の前で彼奴の名前を出さないで」

「ッ、悪ィ」


自分の問いに冷たくそう答えたなまえを見て、中也はバツの悪そうな顔で彼女に謝った。
同盟を組んで暫く経ってから解った事だが、なまえは元々太宰の話をするのもされるのも嫌いだったようだ。
今となっては二人共太宰の愚痴を溢す事は少なくなり、彼等は互いを掛け替えの無い呑み友達だと認識している。
だが、中也は時々こうして太宰の名前を彼女の前で出して仕舞い、その度になまえに諌(いさ)められているのだった。





「首領、お呼びでしょうか」

「嗚呼、太宰君。君に任務をお願いしようと思ってね」


或る日の事、ポートマフィア首領、森鴎外は、最年少幹部である太宰治を、自らの執務室へと呼び付けた。
森は指を組んで其処に顎を乗せると重々しい口調で任務の内容を語り出す。


「実は、ずっと私達の傘下に入っていた、銃機器を取り扱う弱小組織の様子が最近どうもおかしくてねえ。巷では、ポートマフィアの敵対組織と内通している、という噂が流れているらしいのだよ。だから、噂の真相を突き止め、必要と在らば殲滅して欲しいんだ」

「了解しました。直ぐに部下を何人か連れて―」

「嗚呼、今回はね、君と後もう1人だけで、この任務に当たって欲しいんだ」

「……中也ですか?」

「否。……みょうじ君だよ」

「は?」


森の言葉を聞いた太宰は、先ずは目を硝子玉のように見開き、次の瞬間思い切り端整な顔を歪めた。


「……一体如何いう心算ですか」


そして太宰は低い声でそう尋ね、スッ、と目を細める。
その瞳は何処迄も黒く虚ろに濁っており、一切の光を宿していなかった。
森は太宰から発せられる冷たい殺気を物ともせず、寧ろ愉しげに口を開く。


「特に意味は無いよ。まあ唯の気紛れと……後は、一寸したお節介、かな?」

「……何の事かは解りかねますが、余計な事はしなくて結構です」


太宰は苛立たしげにそう云うと、素早く踵を返して当て付けるかのように扉を力任せにバンと閉じ、執務室を出て行った。


「……全く、素直じゃないねェ」


誰もいなくなった部屋で、森は一人、苦笑いを浮かべていた。





バンッ。

派手な音と共に紅葉の部隊の執務室の扉が開き、非道く不機嫌そうな最年少幹部が姿を現した。
部屋にいた人間は皆一瞬だけ太宰を見たが、直ぐに彼から目を逸らして自分の仕事を再開する。
今の太宰は誰がどう見ても機嫌が悪い為、下手に関わって命を落としたくは無いと考えたのだろう。
此の部隊の一員であるなまえも一瞬だけ扉の方に目を向けたが、部屋に入ってきたのが太宰治だったと解るや否や、直ぐに顔を嫌悪で歪めて作業を再開した。
勿論、近寄り難いオーラを全面的に放つ事を忘れずに、だ。

だが。


「来て」

「……は?」


太宰はなまえの席の前で足を止めると、彼女の腕を千切れんばかりに強く引っ張り、引き摺るように外に連れて行った。


「ねえ。手、痛い」


手を振りほどこうとするが、ガッチリ捕まれたそれは一向に離れる様子が無い。

―大体、此奴は如何して私を連れ出したのだろうか。

何時も以上に思考が読めない太宰の行動に、なまえの混乱は頂点に達していた。
その後も「離せ」と云っても聞いて貰えず、彼女は結局太宰の執務室に連れて来られて仕舞った。
ガチャリ、と内側から鍵を掛けた太宰は、なまえを長椅子(ソファー)に突き飛ばす。


「ッ、何なの?」


鈍痛を堪え乍ら起き上がったなまえは、悪態を吐いて太宰を睨み付けた。


「任務だよ。私と君とで」

「……は?冗談でしょ?」

「冗談だったらこんな事はしてないよ」

「……」


太宰の淡々とした口調が嘘では無い事を如実に物語っていて、なまえは明からさまに溜息を吐いた。


「……で?任務の内容は?」

「裏切り者の疑惑調査。必要と在らば殲滅」

「……益々私じゃなくて双黒向けの任務だと思えて来たンだけど」

「奇遇だね、私もそう思っていた処だ。でも、此れは首領直々の命令の任務だからね、仕方無いさ」


忌々しげに口を開くなまえに対し、太宰は何処迄も無機質な声で言葉を返した。


「作戦なのだけれど、立案は私がするよ。君は大人しくそれに従って呉れれば善いから」

「……解った」

「へえ。珍しく素直じゃないか」

「アンタの事は生理的に受け付けないけど、アンタの作戦立案は何時も正しいと思ってるから」

「ふぅん」


なまえの答えを聞いた太宰は心底詰まらなそうに相槌を返した。


「用件はそれだけ?私、未だやる事残ってるンだけど」

「待って、もう1つだけ」


長椅子から立ち上がったなまえに、太宰はそう声を掛ける。


「君は、私の事如何思ってるの?」

「はぁ?何、今更。純粋に嫌いだけど」

「……そうかい。安心したよ」


−私も、君の事は嫌いだからね。

吐き捨てるようにそう云った太宰の顔は、何時にも況して澱んでいた。





坂口安吾から得た情報に寄ると、矢張り例の組織はポートマフィアを裏切って敵対組織と銃器の売買を行っていたらしい。
太宰となまえは裏切り者達の殲滅を行うべく、其の組織の本部を訪れていた。


「やァ、御無沙汰」


にこり、と愛想の善い笑みを浮かべ、太宰は黒い外套を靡かせ乍ら組織の長の元へと足を進める。


「ッ、太宰幹部……」

「あれ、如何したの?何だか顔色が悪いけれど」


−若しかして、何か疚しい事でもあるのかな?

太宰は態とらしい程の猫撫で声でそう囁く。
太宰と向かい合っていた組織の長の男は顔色を瞬時に真っ青に染めると、後ろを振り向いて部下達にこう告げた。


「殺せ!」


その言葉を受けて、敵が一斉に太宰に向かって銃を構える。


「嬉しいなァ、今度は本当に死ねそうだ」


太宰は妖しげな笑みを浮かべて愉しそうに笑った。
動く気配も焦る気配も無い太宰を見て、敵対組織の部下達の間に戸惑いが生まれる。


「−50万V(ボルト)」

その隙を突くかのように、凛とした女の声が木霊した。
一斉にその場に電流が走り、太宰以外の人間はぐったりと床に倒れ込んで仕舞う。
なまえの異能力は、一言で云えば『電流』だった。
身体から電流を発生させ、それを自在に操る事が出来るのだ。


「爆薬は?」

「アンタが敵の首領と話してる間に仕掛けた」

「そう。じゃあ、私達は直ぐに撤退するとしようか」


太宰がそう云った時だった。
組織の内の1人の男が覚束無い足取りで立ち上がり、太宰に向かって銃を構えたのだ。
太宰は其れに気が付いて何度か目を瞬かせたが、その表情は次の瞬間面妖な微笑みに変わる。
まるで、自分が此の儘消えて仕舞っても何も問題は無い、とでも云いたげに。


「−太宰先輩!」


気が付けば、なまえの躰は自然と動いていた。

銃口から弾が発射され。
なまえが太宰を突き飛ばし。
太宰が目を見開き。
実弾が、なまえの肩口を貫通する。

一連の動作が、太宰の目にはまるでスローモーションのように鮮やかに映って。
なまえが肩を押さえ乍ら異能力を使って完全に敵を失神させた処で、彼は漸く我に返る事が出来た。


「ッ、アンタのそういう処が嫌いなの!」


ガクリと膝を着いたなまえは、眉間に皺を寄せて苛立たしげに叫ぶ。


「如何してそんなに簡単に命を投げ出そうとするの?理解出来ない!アンタにどんな事情があるのかは知らないけど、そんな勿体無い生き方をする位なら、生きたくても生きられない人にその寿命を分けてあげてよ……!」


悔しげにそう云う彼女の目には、うっすらと涙の膜が張っていた。
あと少しで零れ落ちて仕舞いそうな処を必死に堪えている。
もう何年も前から彼女の事を知っているが、太宰は彼女が此処迄感情を露わにする処を初めて見た。

−こんなに、情の有る人間だったのか。


「……意外だったよ。君は誰よりも私の死を望んでいるのかと思ってた」

「思ってるよ。早く滅びれば善いって何時も思ってる。けど、自分で命を断とうとするのは許せない。若しその時は、私がアンタをぶっ殺してやる」


なまえは憎々しげにそう云い放ち、キッと太宰を睨み付ける。


「其れは魅力的なお誘いだ。でも、君に殺される位なら、馬に蹴られて死んだ方が幾分かマシだなぁ」

「勝手に蹴られて死ねば」

「先刻『自分で死を選ぶな』って云ったのは君の方じゃないか。莫迦なの?」


なまえは太宰の言葉を聞いて軽く頭に来たが、無視してゆっくりと立ち上がる。


「此処、早く爆破させないと。撤退するんでしょ」

「嗚呼、そうだったね」


太宰はそう云うと、懐からリモコンを取り出して意味有りげな笑みを浮かべた。
何となく嫌な予感がして、なまえが口を開き掛けた瞬間−
太宰が、その場でリモコンの釦(スイッチ)を押した。

工場の片隅から、派手な爆発音が聞こえる。


「何、してんの。爆発は私とアンタが外に出てから実行するって作戦だったよね!?」


太宰はその問いに答えず、仮面のような笑みを張り付けている。


「聞いてる?ねえ、一寸!太宰先輩!」


如何しようも無く其れに苛立って、なまえは声を荒げて何回も彼に呼び掛けた。
仕方無いとばかりになまえが一人で逃げようとすると、太宰はなまえが怪我を負った方の肩を掴んで彼女を引き止める。


「いっ……!」

「ねえなまえ、此の儘私と心中しようか」

「は……?巫山戯てないで早く逃げ−」

「私は本気だよ」


なまえが後ろを振り向くと、屍のように濁った瞳が此方を見つめていた。

−怖い。

久し振りに、そう思った。
なまえはゴクリと生唾を飲み込む。
その時2回目の爆発音が聞こえ、なまえはハッと我に返った。


「だから!命大切にしろって何回云えば判るの!?幾ら私の事が嫌いだからって、アンタの胸糞悪くなるような趣味に私を巻き込まないでよ!」


なまえは太宰に向かってそう捲(まく)し立てると、空いている方の手で彼の腕を掴み、未だ爆発の被害が無い方の出口に向かって駆けていく。
太宰はもう何も云わなかった。
来るときに乗ってきた車の後部座席に太宰を押し付け、なまえは運転席に乗り込む。
肩の痛みがズキズキと襲って来ていたが、そんな事を気にしている余裕は彼女には無かった。
丁度なまえがアクセルを踏み込んで車を出した瞬間、背後の工場から一際(ひときわ)大きい爆発音が聞こえる。
あのまま彼処にいたら今頃死んでいたのかも知れないと思うとゾッとした。


「……なまえ」

「何!」


暫く車を走らせた処で、太宰がなまえに声を掛けた。


「君は、私の事が嫌いかい?」

「嫌いだよ、自分の命を大切にしないアンタなんか。嫌い、嫌い、大っ嫌い」

「じゃあ如何して泣いてるのさ」


太宰は後部席から身を乗り出す。
彼の云う通り、なまえの頬は涙に濡れてキラキラと光っていた。


「判んないよ私にも。でもアンタには関係無いでしょ」

「関係なら有るよ。君をそんな顔にさせているのは私なのだからね」

「……」


なまえは何も云わなかった。
そのまま暫く無言のドライブが続き、とうとうなまえが車を停める。


「……降りて。此処、アンタの家の近くだから」

「……態々送って呉れたの?」

「帰り道だったから」

「ふぅん」


それでも一向に降りる気配の無い太宰に痺れを切らし、文句の1つでも云ってやろうとなまえは後ろを振り向いた。


「んっ!?」


突如、唇に何かが押し付けられる。
ふにゃりと柔らかくて、自分の体温と比べると少し冷たい『それ』。
視界には、嫌いな男の端整な顔がいっぱいに広がっている。


「まっ……んんんぅ!?」


その正体に気が付いたなまえが罵倒の1つでも浴びせようと口を開くと、ぬるりと熱い舌が侵入してきた。
ならば顔を逸らそうと試みるも、片手で後頭部をがっちりと押さえつけられ、もう一方の手で傷口を抉られて仕舞ってはそれは叶わない。
上顎を舐められ、舌を吸われ、軽く甘噛みされる。
とうとう酸欠で耐え切れなくなったなまえは、力無く太宰の胸板をドンドンと叩いた。
漸くなまえから離れた太宰は、ペロリと自らの唇を舐める。


「最っ低。何考えてんの」

「君にとっては極上の厭がらせ、かな?私は恐らく多少なりとも君の事を愛おしく思っているけどね」

「……は?」


なまえは心底訳が判らないという顔をした。
今迄散々罵り合い、歪み合ってきたあの太宰治が今自分に放った一言が、余りにも信じ難い物だったからである。


「……何、それ。新手の厭がらせ?止めてよ、全然笑えないから」

「非道いなあ。人の一世一代の告白を、そんな風に片付けようとするだなんて」

「だって、アンタは私の事が嫌いなんでしょ?」

「嗚呼、嫌いだよ。君は何処と無く中也に重なる処がある癖に、あの蛞蝓みたいに簡単に扱えないし、揶揄っても反応はほぼ皆無だし、此方が罠を仕掛けても簡単に掛かっては呉れないし。ほんと、扱いづらくて面倒臭いよ」


太宰はそう云って肩を竦める。


「でも、私の思う儘にいかない君を見て、何者にも惑わされないような君の強さを垣間見て−恐らく私は君に嫉妬していたのだと思う。多分私は、心の何処かでずっと君に恋い焦がれていたのだよ」

「……意味、判んない。そんなの、全然真面じゃない」

「だろうね。自分でも歪んでいると思うよ。でも、如何にも私らしい捻じ曲がった考え方だろう?」

「……」


なまえは暫く太宰を見つめてから「莫迦じゃないの」と小さく呟いた。


「そんな風に丸め込もうとしたって無駄。私はアンタの事が心底嫌いだから」


判ったら、早く出て行って。

なまえは太宰に見向きもせずにそう告げる。
彼は意外にもあっさりと後部席から降りると、今度は外から運転席の窓をコンコンと叩いた。
なまえは厭々ながらも窓を開く。


「……何?未だ何かあるの?」

「最後に聞かせて。君、今は私の事如何思ってるの?」

「はぁ……またその質問?」


なまえは呆れたようなうんざりしたような口調でそう云った。


「大っ嫌いだよ。前よりかはマシになったけど」


云うが早いか、なまえは直ぐに車を走らせてその場を離れて仕舞った。


「素直じゃないなあ、本当」


走り去る車を見つめ乍ら、太宰は呆れたようにそう呟く。


「莫迦な男」


車の中でポツリとそう呟いたなまえは、自然と顔に笑みを浮かべていた。

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