短編
ディティクティブ・キューピッド

「ふぁーあ……」


珍しく多くの社員が外に出払い、人も疎(まば)らな八つ時の武装探偵社。
そんな社内で大きな欠伸で静寂を破ったのは、社員の1人の太宰治だった。
鳶色の瞳を眠たげにぱちぱちと瞬かせ、ざんばらな蓮髪を気怠げに掻き回している。


「如何したんですか、太宰先輩」


そんな太宰に声を掛けたのは、後輩のみょうじなまえである。


「私は眠りが浅い体質でね。最近はそれが顕著で、蒲団に這入っても中々寝付けないのだよ」


くあーぁ、と太宰は再び欠伸を零した。


「そんな太宰に、この僕が取って置きの快眠法を教えてあげよう」


苦笑するなまえの隣にやって来たのは、探偵社きっての名探偵、江戸川乱歩だった。
現在、社内にはこの3人しかいない。
乱歩はポリポリと煎餅を齧り乍ら、翡翠の双眸を開いて悪戯っぽく笑った。


「『抱き枕』だよ」

「「……」」


ぱちくり。
太宰となまえは2人揃って目を瞬かせる。


「……『抱き枕』ですか」

「嗚呼、そうだ」

「……『それ』が1番効果的だと?」

「勿論」


即答する乱歩を見て、太宰は少しの間顎に手を当てて押し黙る。


「念の為に確認しますが、その『抱き枕』って−」

「ストップ。僕はもうこれ以上は何も云わないよ。っていうか、本当はもう判っているんだろう?」

「……敵いませんね」


乱歩の牽制に、太宰は小さく苦笑いを零した。
一方、2人の話の内容に全く着いていけないなまえは、頭の中に大量の疑問符(クエスチョンマーク)を浮かべている。
乱歩と太宰の会話は基本的に要点のみで成立している為、大抵の人間は理解し難いのだ。


「有難うございます。早速やってみます」

「うん、それが善い」


乱歩は太宰にそう告げると、パッと立ち上がって玄関に向かった。


「乱歩先輩?何方に行かれるんですか?」

「社員寮。今日僕、早上がりだから」


そう答えた乱歩は、扉の前まで歩み寄ってから、くるり、と此方に向き直った。


「それじゃ、頑張ってね」

「?はぁ……」


その言葉は、何故か自分1人だけに向けられているような気がして、なまえは首を傾げ乍ら乱歩にひらひらと手を振った。
パタンと扉が閉まり、その場には太宰と彼女だけが取り残される。


「なまえ、丁度善い。一寸休憩しよう」

「あ、はい」


自分の作業に戻ろうとしたところで、太宰にそう声を掛けられた。
「お茶淹れて来ますね」と太宰に云い残し、なまえは少しその場を離れる。
暫くして、彼女が茶菓子と一緒に茶を持って来ると、長椅子に移動した太宰が「こっちに持って来て呉れ給えよ」と云って微笑んだ。
なまえはそれに従い、手に持っていたものを机に置くと、彼の向かい側に腰を下ろす。


「わぁ、此れ、最近新しく出来た和菓子屋さんのお饅頭かい?美味しそうだね」

「そうなんです。一寸気になって買って来ちゃいました」


そんな風に談笑をしていると、何時の間にか30分程度時間が経っていた。
そろそろ仕事に戻らなきゃな、となまえが立ち上がった処で、太宰に手招きされる。


「太宰先輩?如何したんですか?」


傍に寄って声を掛けると、彼はふわりと柔らかい笑みを浮かべ乍ら、流れるような手つきでなまえの腰に手を回した。


「え」


目を見開いた侭、太宰の身体に倒れ込む。
太宰は満足げになまえの匂いをすんすんと堪能すると、彼女を後ろから抱え込んだ侭ごろりと長椅子に横たわった。

−は?

全く状況が掴めない。
暫くもぞもぞと身じろぎしていたが、腹に回っている太宰の手は思いの外がっちりとホールドされており、当分抜け出せそうになかった。


「太宰先輩?」


呼び掛けても返事はない。
寧ろ、すーすーと耳元で寝息のようなものまで聞こえてくる始末で。

−え、寝たの?今?此処で?

なまえは信じられないという気持ちで一杯だった。
先程彼は、『自分はあまり寝付きが善くない』と、不満を零していたばかりだと云うのに。


「……あの、先輩?ホントに寝たんですか?」

「……」


再び彼に声を掛けるも返事はない。


「……まじか」


なまえの小さな呟きは、誰に聞かれる事もなく事務所内に消えて行った。
そして、成す術無くその場に横たわるなまえは、厭という程彼との距離の近さを意識して仕舞う。
背中に感じる彼の少し低めの体温、何処か儚い彼の匂い、少し硬くて癖のある髪。
始めの内は心臓がばくばく悲鳴を上げていたが、その内何だかそれらが全て心地好くなってきて、段々眠気が押し寄せて来た。


「……お休みなさい、太宰先輩」


太宰の手に自分の指を絡めて、なまえはゆっくりと目を閉じた。





それからというもの、太宰は度々なまえを自分の部屋に連れて帰り、彼女を抱き寄せて眠るようになった。

−何、詰まり私は、太宰先輩専用の抱き枕になったって事?

思い切ってなまえが乱歩にこの話を報告すると、彼は「そうなんだ」と意味有りげに笑っただけで、何も答えては呉れなかった。
訳が判らない。
なまえが不満げに頬を膨らませていると、太宰が背後からなまえに抱き着いて来て、彼女の頭に顎を乗せた。
吃驚するなまえを余所に、乱歩は平然と太宰に話し掛ける。


「やあ太宰、最近調子は如何だい?」

「頗る順調ですよ。お蔭様で」

「矢張り僕の云った通りだっただろう?」

「ええ、流石ですね乱歩さん」


太宰はそう云い乍ら、ぎゅっ、となまえを抱き締める腕に力を籠めた。


「でも残念な事に−なまえは何の事だかさっぱり判っていないみたいだよ」

「え?そうなの?」


太宰はきょとんとしてなまえの顔を覗き込む。


「……判ってますよ。私は太宰先輩の抱き枕って事ですよね?」


無意識に話し方が駄々を捏ねた子供みたいになってしまって、なまえはふいっ、とそっぽを向いた。
明らかに此方を見て固まってしまった太宰を横目で確認して、改めて彼女は自分の行動の子供っぽさに辟易する。


「莫迦だなァ、なまえ」


すると、太宰はそう云って苦笑いを浮かべ乍ら、なまえの頭にポンと手を乗せて来た。


「なまえが其処まで鈍感だとは思わなかったよ。幾らなんでも私が毎度毎度君を抱き枕にする為だけに連れて帰る訳がないだろう?」

「え……」

「私はね、君と一緒にいると心が安らいで安心するのだよ。いつもは眠ると厭な夢ばかり見て目が覚めてしまうのに、君と眠ると悪夢に魘されないんだ。こんな私でも穏やかな夜を過ごせるのだと知って、本当に嬉しかったのだよ」


太宰はなまえの正面に回り込むと、じっ、と彼女の瞳を見つめてこう囁く。


「好きだよ、なまえ」

「っ……」


なまえは思わず口元を両手で押さえた。
何だか恥ずかしくて、じわじわと顔に熱が集まっているのを自分でも感じる。
だが同時に、嬉しいな、という思いが芽生えていたのも確かだった。

−如何やら私は、彼に恋をしているらしい。

漸く自分の気持ちに気が付いたなまえは、両手を口元から離してまっすぐに彼を見上げた。


「私も、です」


そう云い終わらない内に、太宰の腕が伸びて来て、ぐっ、と彼の顔が近づく。
なまえが思わずぎゅうっ、と目を瞑ると、耳元で太宰が小さく笑った。


「なあに、何処で覚えて来たの。そんな可愛い反応」


太宰はそう囁くと、なまえの額にちゅっ、と口づける。


「本当は此の侭お持ち帰りしちゃいたい処だけど、流石に今日はこれで我慢ね」


みんなの視線も気になるし、と云って、太宰はちらりと背後を見遣る。
其処には他の社員も大勢いて、頬を真っ赤に染めている者、にやにや笑みを浮かべている者、キャーキャーと興奮を隠さない者、口を開けて文字通り凍り付いている者など、反応は三者三様、様々だった。

−そうだそうだった此処普通に職場だった如何しよう物凄く恥ずかしいっ。

ボッと顔を赤らめたなまえは、恥ずかしさの余りその場に座り込んでしまう。


「公衆の面前で堂々と惚気るとは、なまえも結構大胆な事をするねえ」


乱歩が追い打ちを掛けるようになまえを揶揄すると、彼女は「云わないで下さい……」と呟いて頭を抱えた。


「なまえさんって結構可愛らしい処あるんですね!確りしているイメージが強かったから意外でしたわ!」

「所謂ギャップ萌え、って奴かい?なまえも結構あざとい事するねェ」

「……色仕掛けに使えそう」

「え、鏡花ちゃん!?」

「貴様ら、場所を弁えんか場所を!」


怒号やら爆弾発言が飛び交う中、太宰は楽しそうにクスクスと笑い、なまえは相変わらず頭を抱えて座り込んでいる。

−なまえさん、何だかんだで嬉しそうだな。

敦が温かい眼差しで彼女を見つめながらそう思っていると、彼の視線にいち早く気が付いた太宰が、背後からなまえに抱き着いた。


「駄目だよ敦君。この娘は渡せない」

「え!?いやいや、奪おうだなんて微塵も思ってませんよ!?」

「嘘は善くないなあ。今、なまえの事厭らしい目で見てたでしょ」

「えええ!?見てませんよ!」


敦が半ば叫ぶようにそう訴える。
太宰は大袈裟に溜息を吐くと、なまえの指に自分の指を絡めて「国木田君」と呼び掛けた。


「矢っ張り今日、私となまえ早退するね。体調不良で」

「「は?」」


国木田となまえの声が二重唱(デュエット)する中、太宰は「ほらなまえ、帰るよ」と事を進めようとしている。


「ま、待て待て待て!如何見ても体調は崩していないだろう!先程乱歩さんにも『頗る順調だ』と話していた筈で……」

「善いじゃないか国木田。社員2人が結ばれたンだ。目出度い事じゃないか。今日位好きにさせてやっても罰は当たらないと思うけどねェ」


国木田にそう云ったのは与謝野だった。
彼女は国木田の首根っこを掴んで事務所の奥に引っ張って行く。


「ほら、早く行きな。2人共」

「流石与謝野女医!では、お先に失礼しますね」


語尾に音符が付きそうな勢いでそう云った太宰は、なまえを連れて颯爽と探偵社を立ち去る。


「えーと……一先ず、一件落着、なんですかね?」


太宰という名の災厄が過ぎ去った探偵社で、敦は呆然とそう呟いたのだった。
一方の太宰となまえは、その後太宰の部屋で甘い時間を過ごして一緒に眠りについたのだが……それはまた、別の機会に。

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