短編この愛の行く末は
※名前変換なし
「手前が好きだ」
彼にそう云われたあの日、私はマフィアを抜け出した。
『この愛の行く末は』
あの日は確か、今にも雨が降り出しそうな曇天が空を覆っていた。
私は残業で遅くまで報告書を仕上げていて、上司であった彼は態々私に付き合って一緒に仕事を手伝って呉れた。
そしてその帰り道、彼は私を呑みに連れて行って呉れたのだ。
「先輩、気になる女(ひと)とかいないんですか?」
「あ?」
何の前触れもなく尋ねた私に、彼は目をぱちぱちと瞬かせた。
当時、私は密かに彼に想いを寄せていたのだ。
でもだからと云って彼とどうこうなりたいと望んだ事は一切なくて、ただ彼を好きでいられたならそれだけで善かった。
「気になる奴……ねぇ」
彼は煙草を吹かして思案顔になる。
遠くを見つめる横顔が綺麗で、私はぼうっとそれを眺め乍ら返答を待った。
「気になる奴はいねェ。だが、想いを寄せてる奴なら居る」
「え!」
私は思わず身を乗り出して仕舞った。
確かに彼に質問を投げ掛けたのは他でもない私自身だが、真逆色恋沙汰には微塵も興味のなさそうな彼からそんな答えが返って来るとは思ってもみなかったのだ。
「どんな女ですか?年上?年下?可愛い感じですか?綺麗めですか?」
「っ、自棄に質問が多いな手前は。あー……歳は下。で、何方かっつーと可愛い系……だと思う」
「へえ!私の知ってる女ですか?」
「……」
黙り込んで仕舞った彼を見て、嗚呼、私の知り合いだったのかと内心意気消沈した。
誰なんだろう、一体。
樋口ちゃんとかかな。それとも銀ちゃん?
まあ誰にせよ−
「何時か叶うといいですね!先輩の恋!」
応援しますよ!と、努めて明るい声でそう云ってみる。
すると、彼は眉間に皺を寄せ、見るからに不機嫌そうな顔をして見せた。
あ、余計なお世話だったかな。
私が謝ると、彼は更に額の皺の数を増やして「何で謝ンだよ」と私を諫めた。
「否、何となく……。余計な事云っちゃったかな、と思いまして」
「……『余計』だァ?」
彼は舌打ちを零してから私に向き直る。
「先刻から黙って聞いてりゃ、勘違いも甚だしいんだよ手前は。俺が毎日手前と顔合わせる度どんな気でいるかも知らねェで」
「は?」
「だから、どんだけ鈍感なんだっつーの」
彼は煙草の煙と共に大袈裟に溜息を吐き出した。
そして、話は冒頭に戻る。
多分、私は怖かったのだと思う。
彼を好きになって仕舞った事が、そして私が彼に好意というものを抱かせて仕舞った事が。
ポートマフィアは常に死と隣り合わせの職業だ。
任務の時は一瞬たりとも気が抜けないし、小さな失態(ミス)が大惨事を招く事も多々ある。
それなのに、たかが色恋沙汰1つで彼の殺意の刃を鈍らせて仕舞いたくはなかった。
私は闘っている時の彼の姿を見ているのが1番好きだったのだ。
余計な事は何も考えず、真っ直ぐに敵に向かって突き進んでいく、獣のような彼の姿を見るのが。
譬え私が彼の想いを受け入れたとして、その所為で彼に余計な感情(モノ)を背負わせるような真似は絶対に避けたかった。
だから、彼にとって『余計なモノ』になって仕舞わぬ内に、私は彼拠を棄てたのだ。
それだと云うのに。
「探したぞ」
それは、丁度彼の日と同じような、今にも雨が降り出して来そうな曇天の日だった。
あれから3年が経ち、漸く表舞台に帰って来た私は、嘗て暮らしていたヨコハマの地からは遠く離れた郊外で、小さな珈琲屋を営んでひっそりと暮らしていた。
此処ならば、もう彼に会う事も無いだろう。
そう高を括っていたのに、彼は平然と私の前に現れた。
黒の外套に灰色(グレイ)のショートベスト、紅茶色の髪にアイスブルーの瞳。
仕上げには、彼が愛して止まないお気に入りの帽子。
3年の時を経て、私はこんなにも変わって仕舞ったというのに、彼は、彼だけはあの頃から何も変わっていなくて、何だかそれだけで涙が出て来そうだった。
「……何しに来たんですか?裏切り者の制裁?止めて下さいよ、笑えないから」
私は勝手にマフィアを去って行ったあの元最年少幹部様とは違う。
ちゃんと首領に事情を話して、ちゃんとマフィアと決別した身なのだ。
まあ、目の前にいるこの人には黙って出て行ったから、結局私がやった事は元最年少幹部と同じなのだけれど。
「……彼の時の返事を、貰いに来た」
彼は私の言葉には答えず、真っ直ぐに私だけを見つめてそう云った。
「……『彼の時』?一体何の話ですか?」
「しらばっくれンじゃねェ。本当は判ってんだろ」
「さあ?私にはさっぱり」
あくまで白を切ってそう云うと、彼は少しだけ淋しそうな顔をして見せた。
止めてよ、そんな表情(かお)をしないでよ。
何の為に私が彼拠を抜け出したと思っているの?
早く…早く出て行ってよ。
此の場所から。私の心の中から。
そんな事を口に出せる筈もなく、私は彼がこの場を離れて呉れるのを今か今かと待ち侘びる。
だが彼は、店を出て行くどころか、更に私と距離を詰めて、アイスブルーの綺麗な瞳−私が大好きなその瞳で、私を射抜いてこう云った。
「手前が思い出せないって云うのなら仕方ねェ。譬え手前が忘れようとも俺ははっきりと覚えてる。だから何度だって云う。何度だって思い出させる。俺は手前が好きだ。愛してる。……本当は、手前も同じなんだろ?」
「っ、違う!好きじゃ、ない。私は、先輩の事なんか、」
「嘘吐くな。手前の面見りゃ判ンだよ。此方等(こちとら)何年手前に片思いしてると思ってンだ」
「っ……」
莫迦。莫迦莫迦莫迦。
そんなに真っ直ぐに想いを伝えられて、嬉しくない訳が無い。
私だって本当は、今でも彼の事が好きだ。
3年間、片時も彼の事を忘れた事なんて無い。
でも駄目だ。
彼は今やポートマフィアの五大幹部の一員で、私とはもう縁もゆかりもない筈の人間で。
私がまた彼に関わる事で、彼に迷惑を掛けたくない、無駄な想いを背負わせたくない。
だから、今回はきっぱりと、彼の返事を断る心算で口を開き掛けた。
「云っとくけどなァ」
だが私が言葉を発する前に、彼がそう云って口を開く。
「手前が何を思おうと、どれだけ俺に壁を作ろうと……俺はそれをぶっ壊す。そして、何度でも手前の心を抉じ開ける。手前がそれを望んでなくても、だ。手前が俺に対して何の感情も抱かなくなったと俺が認めるまでは、俺は手前を諦めねェ。何度だって、手前を迎えに来る」
「!何で……其処まで……」
「好きだからだよ」
彼は平然とそう答える。
「手前が好きだからだ。それ以外に理由なんて要らねェ。……だろ?」
「……」
嗚呼、此れはもう、敵わない。
だって、彼は云った。
私がどれだけ彼を拒絶しようと振舞っても、私に食いついてくる、と。
だったら、もう善いんじゃないか。
私が無理に彼を拒まなくても……幸せになれるんじゃないか。
「……中也先輩」
私は彼−中原中也先輩の名前を呼ぶ。
「私を幸せにして呉れますか?」
私の言葉を聞いた彼は、一瞬呆けたような表情で此方を見つめていたが、直ぐにニコリと笑って「勿論だ」と答えた。
嬉しくなって甘えるように手を伸ばすと、彼は少し照れ臭そうに私を自分の胸に引き寄せる。
ふわり、と懐かしい匂いがして、私は少しだけ泣いて仕舞った。
それを知ってか知らずか、中也先輩は優しく私の背中をポンポンと叩いて呉れて、彼のさり気無い優しさにまた、涙が零れた。
#文スト夢深夜の60分一本勝負
『問11.この愛の行く末を答えよ』
1時間40分ほどかかってしまいました……。
素敵なお題、有難うございました!