短編
チョコレート・ボンボン

同じクラスの赤羽君はバレンタインデーのチョコレートを誰からも受け取らないらしい。
3年間同じクラスだった潮田君がそう言うのだから、きっと間違いないのだろうと思う。
私も1年生の時に赤羽君と同じクラスだったけど、確かに彼は少女漫画のワンシーンみたいに下駄箱に入れてあったチョコレートは職員室の担任の机上に置いて来ていたみたいだし、放課後に校舎裏に呼び出されて直接手渡されたチョコレートは、受け取ることなくその場でその子達に返していたようだった。
どうして、赤羽君はチョコレートを頑なに受け取ろうとはしないんだろう。
ある夏の日の放課後、気になって一度だけ本人に尋ねた事がある。
すると彼はケロリとした顔で、「俺、好きな子からのチョコしか受け取らないから」と答えてくれた。


「その答え方って……もしかして赤羽君、好きな人がいるの?」

「うん、いるよ」

「そうなんだ……」


てっきり恋愛事には興味がないのかと思っていた私は、思わず感嘆の声を漏らす。
赤羽君はそんな私の様子を見て「そんなに意外?」とクスクス笑っていた。


「俺的には、みょうじさんが俺にそんな質問する事の方が意外だったけど。てっきりアンタは、そういう事に興味が無い人なのかと思ってた」

「そんなことないよ。私だって普通に恋愛してるし」

「え?みょうじさん今好きな人いんの?」

「あっ」


赤羽君のペースに呑まれてついつい口を滑らせてしまった。
慌てて弁明するも時既に遅し。
赤羽君が好奇心に爛々と眼を輝かせてこちらを見つめている。
顔を背けてもその度に正面に回り込んで来て、私は顔を真っ赤に染めて俯いた。


「ヌルフフフ……なんだか楽しそうな話をしていますねぇ」


後方から聞こえて来たその声に、私は文字通りビシリと固まる。
ギギギと音がしそうな位ぎこちない動きで後ろを振り返ると、恐ろしく下世話な私達の担任が、顔の色をピンク色に変えてにやにやしながらこちらにカメラを向けていた。


「……赤羽君、今日はここで別れよう。私、今からあの下世話なタコ殺す予定が入った」

「あはは、じゃあ俺も参戦しよっかな〜」

「にゅ、にゅやッ!?おおおお落ち着いて下さいみょうじさん!」

「無理です今すぐ殺します」


後にも先にも殺せんせーに本気で殺意が沸いたのはこの時だけだったように思う。





既にお察しの方も多いかと思うが、私は1年生の時からずっと赤羽君の事が好きだった。
1年生の時のバレンタインは、意気揚々とチョコを作ってはきたものの、それを渡す勇気は持てずに終わってしまい、結局自分でチョコを食べて終わってしまった。
2年生の時はクラスが違ったせいか更に勇気が持てなくなり、何の用意もしないままバレンタインが終わった。
だから今年こそは、と思うのだ。
今年こそは、たとえ受け取ってもらえなくても、ちゃんと自分の気持ちを伝えたい。

そして迎えたバレンタインデー当日。
何度も赤羽君のことを呼び止めようとしたけれど、今日に限って赤羽君は休み時間に教室を離れている事が多く、中々彼に話し掛ける事が出来なかった。
昼休みになってもまだ彼と話をする機会が持てなくて、私は重い溜息を吐きながらお弁当を食べる。
いつも一緒にお弁当を食べる陽菜乃ちゃんと桃花ちゃんには「どうしたの?」「なんか暗いよ?」と心配されてしまったけど、私は曖昧に微笑んで返答を誤魔化した。
放課後になっても赤羽君は教室から姿を消していて、私はつくづく運が悪かったのかな、と泣きそうになる。
でも、今日は絶対に諦めたくなかった。
だって今日という日を逃したら、私はきっと彼に何も伝えられないままこの学び舎を去る事になってしまうだろうと思ったのだ。
チラリ、と赤羽君の机に眼を遣ると、そこにはまだ彼の通学鞄が提げられていた。
つまり、彼はまだこの校舎内にいるという事だ。
みんなからの遊びの誘いを断り、私は校舎内の色々なところを探し回る。
それでも彼を見つける事はできなくて、だったら外を探してみようと、私は靴を取り出してグラウンドの方に向かおうとした。


「あれ、みょうじさん?」


校舎裏を通りかかったところで、今まさに頭の中で思い描いていた人物の声が聞こえる。
ドクンと鼓動が高鳴り、気持ちを落ち着けようと一息吐いてから、私は声の主に向き直って口を開いた。


「赤羽君……と、莉桜ちゃん?」


まさか莉桜ちゃんもいるとは思わなくて、私は間の抜けた声を上げる。
もしかして、彼女も赤羽君に告白をしようとしていたのだろうか。
思えば赤羽君と莉桜ちゃんはいつも結構会話が弾んでいるし、端から見てもとても仲が良かった。
ふと頭の中で、この2人が付き合っている様子を思い浮かべる。
その光景は私なんかよりよっぽどお似合いで、ズクリ、と胸が酷く痛んだ。


「……ごめん。私、邪魔しちゃったよね。本当にごめん!」


そう言い捨ててその場を立ち去ろうと2人に背を向けると、パシリ、と手首を掴まれた。


「待ってよみょうじさん。アンタ、ちょっと誤解してる」

私を引き留めたその人物―赤羽君は私の顔をじっと見つめてそう言い放つと、私の手を引いて莉桜ちゃんの元へと戻る。


「何今の、どういう事よカルマ」

「ん?みょうじさん、中村が俺に告るって勘違いしてたみたい」

「……え?」


莉桜ちゃんは一瞬目を見開くと、声を出して笑いながら「いや、ないない!」ときっぱり言ってのけた。


「確かにバレンタインに男女2人で校舎裏なんかにいたら勘違いするかもだけどさ、そんなんじゃないから!あ、ていうか、みょうじちゃんも一緒に見る?ってか見ようよ!」

「へ」


いや、一体何を?
呆然としたまま赤羽君と莉桜ちゃんの間に座るように促され、2人の視線と同じ方向に眼を向ける。
そこは3年E組の教室で、部屋には既に茅野ちゃんと潮田君しか残っていなかった。


「え……あれってもしかして、」

「うん、茅野ちゃんの一世一代の告白現場」

「……えええ!?」


そんな大事なところを目撃してしまってもいいものなのか。
そう思いつつも乙女モード全開でほんのり頬を赤らめている茅野ちゃんは眼を奪われる程に可愛くて、私はいつの間にやら食い入るように2人を見守っていた。
結局茅野ちゃんは潮田君に想いを伝えず、彼に感謝の気持ちを言葉に乗せて最高の笑顔でチョコレートを手渡す。
妙にすっきりした顔立ちで教室を去る彼女を見て、心の底から羨ましいと思った。
次は、私が頑張る番なのかもしれない。
私はぐっと拳を握り、すぅ、と息を吸って覚悟を決める。
そして、教室に向かって足を進める赤髪の彼の背中に声を掛けた。


「あか、ばね君」


緊張の余り声がぶるぶると震えている。
だけど私も、さっきの茅野ちゃんみたいに勇気を持ちたいと思ったのだ。
赤羽君がゆっくりとこちらを振り向く。
莉桜ちゃんは私の顔を見た瞬間に私が何をしようとしているのか察したようで、何も告げずにその場から立ち去って行った。
空気を読んで最善の行動をとってくれた彼女には感謝しかない。今度何か奢ってあげよう。
話は戻り、赤羽君は私の顔を覗き込んで「何?」と首を傾げた。


「あの、話があるんだけど」


私の態度に赤羽君もこの空気を察したようで、「うん、いーよ」と言って立ち止まってくれた。
彼は今から何が起きるのかを悟っていても尚、いつもと同じように飄々とした笑みを浮かべていて、私は自分に限りなく望みが無い事を悟って切なくなる。
それでも、今日は頑張るって決めたから。
私は鞄の中からラッピングしたチョコレートを取り出すと、恐る恐るそれを赤羽君に差し出した。


「ずっと……ずっとずっと前から……あ、赤羽君の事がすきでした」


付き合って下さい、と言えるほどの勇気は無かった。
これが、今の私に出来る精一杯の告白だ。
赤羽君がどんな顔をしているのか、どんな反応をしているのかを知るのが怖くて、私は唇を噛んで地面を見つめる。
ただただ流れる沈黙が痛い。
伸ばした腕がぷるぷると震えて来て、いい加減に何か言って欲しいなと思った頃、手に抱えていたものがするりと抜き取られる感触がした。


「ありがと」


聞こえて来た言葉と、手から消え去った小さな重みに、私は一縷の望みをかけて顔を上げる。
私が先程まで手にしていたラッピングの小袋を抱えた赤羽君は、空いている片方の手で口元を覆い隠して立っていた。
よく見ると、ほんのりと耳が赤く染まっていて、私は信じられないものをみたような気がして眼を見開く。
いよいよ私の疑念は確信に変わり、私は恐る恐る彼に尋ねてみる事にした。


「え、と……赤羽君、これって−」

「ちょっと今は黙ってて」


赤羽君はそう言ってから私の後頭部を自分の肩に引き寄せ、私を抱きとめる。
赤羽君のカーディガンからふんわりと特有のインド香が鼻腔に広がって、私の頬が火照ったように熱を持ち始めたのが自分でも分かった。
これはきっと、もしかしなくても、赤羽君は私の想いを受け入れてくれた、と思っていいのだろう。
何もかもが夢のようで、私はこれは現実なのだと自身に言い聞かせるように彼のカーディガンをぎゅっと握った。


「……みょうじさんは、他の人の事が好きなのかと思ってた」


そして少し時間が経ってから、赤羽君はぼそりと独り言のように言葉を吐き出す。


「私はずっと、1年生の時から赤羽君一筋だよ」


素直にそう伝えると、彼はそれには流石に驚いたようで、私の肩を掴んで「マジ?」と問いかける。
私がそれに小さく頷くと、彼は少し照れ臭そうに笑って口を開いた。


「俺も……1年の頃からずっと、みょうじさんが好きだったよ。だからずっと、バレンタインにチョコくれないかなって、ちょっと期待してた」

「え……本当?」

「うん」


赤羽君はそう言って私の頭をぐりぐりと撫でる。
ついさっきまで私達はただのクラスメイトだったのに、いきなり赤羽君に恋人のように優しく触れられて、それが恥ずかしくもあり、でも嬉しくもあり、私は気が付いたら涙をぽろぽろと零していた。
赤羽君は私の様子を見て苦笑いを浮かべると、屈みこんで私の目から零れる雫をぺろりと舐め取る。
ふと目が合った彼は今までに見た事が無い位穏やかな顔をしていて、そんな顔を見せてくれたことが嬉しくて、私は自然と顔を綻ばせていた。


「みょうじさん、やーっと笑った」


赤羽君は安心したようにそう呟き、するり、と私の頬を撫でる。


「でも今の顔、他の奴等には見せるのは禁止ね」


解った?と念を押すように尋ねられ、私はこくりと頷いてみせる。
私の反応を見た赤羽君が満足気に鼻を鳴らしている姿が案外可愛らしくて、また私の中で彼に対する『好き』が積もった。

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