短編
愛を込めて花束を

『ドライブ行こう、中也のバイクで!』


中原中也が恋人のみょうじなまえからそんなメヱルを受け取ったのは、卯月も半ばに差し掛かった頃だった。
なまえが中也に突飛な逢引の誘いをするのは日常茶飯事だ。
今日も通常運転な彼女の様子に安堵し、中也は了承の旨を記した返事を送る。


『来週の週末は予定空けといてね!絶対だよ!』


何時にも増して押しの強い彼女のメッセージに、中也は思わず笑みを浮かべた。
来週は蓄音機屋にでも出かけようと思っていた処だが、なまえの頼みと有らば仕方あるまい。
中也は再び彼女に返事を返すと、手帳を開いて週末の予定を『蓄音機屋巡り』から『逢引』に書き換えたのだった。





「中也や、週末は何か予定が有るのかえ?」


翌週に入り、五大幹部の会合が終ったタイミングで、尾崎紅葉は中也にそう尋ねた。


「あー……彼奴と久し振りに逢って来ます」

「彼奴って、若しかしてなまえ君かい?いいねェ、上手くやっているようで何よりだ」


中也の言葉に返事を返したのは、ポートマフィアの首領、森鴎外だった。
両手を組んだ手の甲の上に顎を乗せて、父親の如く慈愛に満ちた笑みを浮かべている。
中也となまえの交際は、ポートマフィアの誰もが知っている事だった。
特に紅葉と森は彼らの交際を誰よりも喜んでおり、温かく2人を見守って呉れている。


「それで?何処に行くのかは決まっているのかい?」

「否、俺は何も知らされていないんですよ。なまえ曰く、今回は自分が全部決めておくから、俺は唯バイクだけ用意して呉れればいい、と」

「成る程。中也はあの子に存分に愛されておるのう」


紅葉は大きく頷きながら相槌を打つ。


「まァ、ウチでは構成員同士の休みが被るなんて事は滅多に無いからねェ。充分に羽を伸ばして来なさい、中也君」

「有難うございます、首領」


森の言葉に、中也は帽子を取って深々と頭を下げた。





「中也〜!こっちこっち!」


逢引の日、中也がバイクで待ち合わせ場所に向かうと、なまえがぴょこぴょこと飛び跳ねながら両手を振って待ち構えていた。
彼女の前でバイクを止めて運転席から降りると、待っていましたと言わんばかりになまえは中也に飛びついて来る。
自分の背に手を回して抱き着いて来た恋人を難なく受け止めて、中也は彼女の頭をくしゃりと撫でた。


「久し振り!元気だった?」

「嗚呼。手前も元気そうだな」

「だって1ヶ月ぶりのナマ中也だもん。舞い上がっちゃうのも仕方ないよ」


なまえはそう云って中也の胸板にぐりぐりと顔を押し付ける。
中也はそんな彼女の旋毛に唇を落とすと、「今日は何処に行くんだよ?」と目の前の恋人にそう尋ねた。


「蓄音機屋さん行きたい!中也が大好きなあのお店!」

「別に構わねェが……一寸遠いぞ、彼処」

「善いの。だってその方が中也のバイクだって喜ぶもの」

「意味分かンねェ……」


中也は呆れたようにぐるりと視線を巡らせながらもなまえを後部席へと誘(いざな)った。


「それにしても、何で今日はバイクをご所望だったンだ?何時もなら車で来いって云うだろ」

「んー、久し振りに見たかったんだよね。中也がバイクに乗ってる処」

「そんな理由かよ」

「だって恰好良いんだもん」

「……あのなァ」


なまえの言葉に一瞬動きを止めた中也は、黒手套に覆われた手でむぎゅむぎゅと彼女の両頬を引っ張った。


「出会い頭でそういう事云うなよ。折角久々に逢えたっつーのに、思わずがっつきたくなっちまうだろうが」

「……御免なさい?」

「何で疑問形なんだよ」


中也がデコピンを食らわすと、なまえは「あ痛ッ」と呟いて両手で額を押さえた。
彼はそんな彼女の様子には目も呉れず、バイクに跨って出発の用意を始める。

「ねェ中也」

「何だ」

「若しかして照れた?」

「……確り捕まってろよ」


中也はなまえの質問に答える代わりにそう言葉を返した。





気に入りの作曲家のレコードやらジャズ楽曲のレコードやらを何枚か購入してヨコハマ方面へ戻る。
なまえはそこまで音楽に詳しくはないものの、中也と音楽の嗜好は似通っていた為、彼女にも何枚か見繕って貰った。
何時もは1人で来る事が多い蓄音機屋だが、偶にはこうして2人で此処に来るのも善いかも知れない。
何にせよ今日は中々に善い買い物が出来た、と中也が満足していると、後部座席から自分の名を呼ぶなまえの声が聞こえて来た。


「ねェ、今日はアレやって呉れないの?」

「ああ?何の事だよ」

「昔はよくやって呉れたじゃん。壁を走ってそのままバイクで空中飛行するヤツ」

「任務中の話だろ?プライベートではやってねェ」

「えー、でもほら見てよ。今日は夕日が綺麗だよ」


なまえの指差す方向を見遣ると、青々とした空は何時の間にか朱色と薄紫色を融け込ませたような綺麗なグラデーションに染まっていて、橙色の夕日が海に反射してきらきらと輝いていた。
確かにあの光景を見て仕舞えば、彼女が中也に異能を使わないのかと提案して来たのも頷ける。


「……判った。手前の我儘に付き合って遣るよ」

「え!いいの?」

「……10分だけだぞ」

「やった!中也大好き!」

「莫ッ迦お前、行き成り動くな!」


ぎゅうと腰にしがみついて来た彼女に驚いて、中也の運転が若干乱れる。
彼女は「御免御免」と謝ってから直ぐに体勢を戻すと、フンフンと機嫌よく鼻歌を漏らし始めた。
中也は小さく溜息を吐くと、異能を使うべくグングンとバイクのスピードを上げて行く。
自身が気に入っているバイクの音を派手に鳴らし、反動を使ってバイクを飛び上がらせると、彼はすぅと息を吸い込んだ。


「−『重力操作』」


そのまま人気の無いビルヂングの壁面を突っ走り加速していく。
そして屋上に到達すると、ふわりと空に向かって飛び上がった。


「はーーー、すごかったぁーーー!!」


後ろの席でなまえが感嘆の声を上げている。
彼女が最後にこのバイクに乗ったのはもう4,5年以上も前の事だったので、此の反応は当然と云えば当然の事なのかも知れない。
中也がチラリと後ろを見遣り、「海の方に行ってみるか?」となまえに尋ねると、彼女は満面の笑みを浮かべて「うん!」と頷いた。
海の方に向かってバイクを走らせ乍ら、暫く黙って景色を眺めて感慨に耽る。


「ねェ中也」


先に口を開いたのはなまえの方だった。


「産まれて来て呉れて有難う」

「……何なんだよ、突然」

「別に、何となく云ってみたかっただけ」


何の脈絡も無く呟かれた彼女の言葉に、中也は蒼玉色の瞳をパチパチと瞬かせて首を傾げる。


「ほら、もう10分経ったよ。そろそろ戻ろう?」


だが、なまえの言葉にハッと我に返った中也は、「そうだな」と相槌を打って再び公道に戻ったのだった。





「あと1ヵ所だけ行きたい処があるの」


横浜市内に近付いてきたところで、なまえは中也にそう云った。
彼女の誘導の儘にバイクを走らせると、横浜で最も高いとされるビルヂングに辿り着いた。
曰く、此処の高層階に位置するレストランを貸し切ってあるらしい。
―何なんだ一体。今日は何かの記念日か?
中也が目を白黒させて席に着いていると、化粧室から戻って来たなまえが中也の名前を呼んだ。


「誕生日おめでとう」


その言葉と共に、彼の目の前に大量の薔薇の花束が差し出される。
中也はそれと彼女の顔を交互に見遣り、「誕生日……」と呆然と呟いた。
なまえはそんな彼の様子を見て、「矢ッ張りね」と呆れたように肩を竦める。


「中也の事だから、どうせ自分の誕生日が今日だって事忘れてたんでしょ?この日の為に私、頑張ったンだよ。休み合わせて貰う為に首領に頭下げに行ったンだから」

「わ、悪ィ……」

「いいよ別に。元々首領は私達の事気遣って休みを合わせようとして呉れてたみたいだし、私も中也にサプライズを仕掛けられたのが楽しかったしね」


それより此れ、受け取ってよ。

なまえは中也の方に一歩近づき、少し拗ねたような顔つきで中也の瞳をじっと見つめる。


「……念の為に尋ねておくが、此れ、一体何本だ?」

「それは自分で数えてよ……」


恥ずかしそうに俯くなまえの様子から察するに、相手に渡す薔薇の本数によって意味が変わって来る事は彼女も理解しているらしい。
両手でゆっくりと花束を受け取り、目算で数を数えたところで中也は思わずガタンと音を鳴らして椅子から立ち上がった。


「ッあのなァ!」

「……何、何か文句ある?」

「大・有・りだよ!こういうのは男から先に云うのが筋ってモンだろうが!?」


108本の薔薇の花束をテーブルに置いて、中也はなまえの両肩を掴んだ。


「……だって、私の方が中也の事いっぱいいっぱい好きだもん」

「はァ?」

「私が中也の事大好きって伝えるには、これが一番手っ取り早い方法かなって思ったンだもん」


―だからって何でプロポーズになるんだよ考えがぶっ飛びすぎだろ!?

膨れっ面で此方を見詰める彼女を見て、中也は思わず脱力する。


「……あのなァなまえ、」


中也は身を屈めると、幼子をあやすようにポンと彼女の頭に手を乗せた。


「手前の気持ちは嬉しいし、此れも有難く受け取っておく。けど、プロポーズってのは男にとっても女にとっても人生を揺るがす大事な案件(イベント)なんだよ。そんな気持ちで簡単に扱ってもいいモンじゃねェ」

「それは……そうかも、しれないけど……」

「それに、結婚の申し込みの時くらい俺に恰好付けさせろ。俺は何時も手前に振り回されてばかりなんだからよ」

「……私が中也に迷惑を振り撒いてるって云いたいの?」

「莫ァ迦。俺の心をこんなに掻き乱すのは手前くらいだって事だよ」


中也はそう云ってなまえの額に接吻を落とす。
なまえはほんのりと頬を染めてまじまじと彼を見詰めると、「……中也さァ、」とゆっくり口を開いた。


「何でそんなに男前なの?中也は自分で『恰好付けさせて欲しい』って云ってたけど、私からしたら普段の中也ですら恰好良くってドキドキしちゃう。此れ以上こんな風にされたら、私もう心臓持たないよ」

「別に善いだろ。手前は俺の女なんだから」

「〜〜〜っもう!」


愈々(いよいよ)林檎のように頬を真っ赤に染めた彼女は、照れ隠しに中也の胸板をドンドンと叩く。
中也は目を細めてそれを眺めると、徐ろになまえの手を掴んで彼女の指先に唇を寄せた。
背後に広がるヨコハマの夜景も相まって、今夜の彼は一段と美しく見える。
容量過多(キャパオーバー)で声も出ない様子の彼女を見て、中也はクスリと小さく笑った。


「なまえ、上行くぞ」

「え、否、でも未だ何も食べてないし―」

「そんなの後だ。……部屋、取ってあるンだろ?」


―嗚呼、本当にもう、此の人は!

そんなに欲に濡れた目つきで見つめられたら、此方だってもう堪らない。
なまえが中也の外套の裾を握って小さく頷くと、彼はよく出来ましたと云わんばかりにぐしゃぐしゃと彼女の頭を撫で回した。

好き、好き、中也が大好き。
だけど、今日はそれを告げる前に、もう一回彼の誕生を祝いたい。


「中也、産まれて来て呉れて有難う」


なまえが中也に向かってそう云うと、彼ははにかんだような笑みを浮かべながら「有難う」と礼を告げた。





2018.04.29
Happy Birthday to Chuya Nakahara!!

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