短編
いつかの5月4日

(Side:なまえ)

今年もGWがやって来た。
この時期になると、私は心が落ち着かなくなる。
というのも、私の上司であるあの人の誕生日が、5月4日に迫っているからだ。


♂♀


「臨也の好きな物?」

「はい」


4月末日、私は岸谷先生の下を訪れていた。
というのも、彼から折原さんの好きな物について尋ねる為だ。
折原さんに雇われて暫く経つけれど、私は折原さんの事を未だにあまりよく知らない。
だから、折原さんと付き合いも長い岸谷先生ならば、折原さんの好きな物について何か知っているのではないかと思ったのだ。
ところが、岸谷先生から返って来たのは意外な言葉だった。


「うーん……何だろう、人間?まあそんな事はなまえちゃんも知ってるか……」

『というか、そもそも何でなまえちゃんは臨也の好きな物なんか知りたいんだ?』


口を挟んだのは運び屋さんである。
彼女は私の事を何かと気にかけてくれる優しい人だ。
いや、正確に言えば人ではないのだけれど、個人的には運び屋さんは池袋で出会って来た中でも1番人間らしさを持っている存在だと思う。
彼女は私が折原さんの処で働いている事についてとても心配してくれている。
だからこそ、私の口から彼の名前が出た事が気になったのだろう。


「実は、もうすぐ折原さんの誕生日なんです。だから、何かプレゼントでも渡せたらなって」

「なるほど。友人の僕が言うのもどうかと思うけど、折原君の誕生日を祝いたいだなんて、なまえちゃんはなかなか変わってるね」

「一応、私の上司ですから」


私がそう言うと、岸谷先生と運び屋さんは互いに顔を見合わせた。


「あ、あの……?私何か変な事言いました?」

「ううん、全く!ただ、臨也が上司って改めて聞かされると、何だか変な感じだなって」

『それに、なまえちゃんは臨也の事が苦手なんだろう?上司とは言え、どうして苦手な奴の誕生日を祝おうとするんだ?』


運び屋さんが私の眼をじっと覗き込んでいるような気がした。
確かに彼女の言う通り、私は彼の事が未だに苦手だ。
何を考えているのかさっぱり分からないし、私の事を色々嗅ぎ回っているようだし、池袋に火種をばら撒いておきながら自分は高みの見物を決め込んでいるところも見ていてあまり気持ちの良いものではない。
まあ最後の事に関しては、自分には関係が無い事だと見て見ぬ振りをしている私が言える科白では無いのだが。
それでも、苦手な相手でも、誕生日を祝いたいと思うのは−


「……その辺の義理は、人としてきちんと通しておきたいので」


半分、嘘だ。
でも、自分を気に掛けてくれている運び屋さんに面と向かって本心を口に出来るほど、私は胆が据わっていなかった。
だって、本当の気持ちを口に出したら、優しい彼女はきっと今よりももっと私の事を心配してしまう。
私は2人の眼をまっすぐに見て、自分の言葉に嘘偽りはないという風に装ってみせた。
岸谷先生と運び屋さんは、何か言いたげな雰囲気を醸し出してはいたものの、これ以上は何も言わないといったような私の態度を見て、それ以上追求するのは諦めたようだった。


「うーん、臨也の好きな物かぁー……セルティ、君は何だか知ってる?」

『寿司なら大トロが好きだという事は耳にした事があるが……それはあくまで寿司の中の話だからな。寿司自体が好きなのかどうかは分からない』

「なるほど……。解りました。ありがとうございます。自分でももう少し考えてみます」


私はそう言ってから席を立とうとする。


『もう帰るのか?もう少しゆっくりしていけばいいのに』

「え……そんな、悪いですよ。折角おふたりも休日なのに、邪魔は出来ません」

『邪魔だなんて、そんな事はないさ。それに私はもっと君の事を知りたいんだ』

「でも……」


私はちらりと岸谷先生を見遣る。


「僕は別に構わないよ。他ならぬセルティがそう言うんだもの、もっとゆっくりしていってよ」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」


そしてその日は終日、岸谷先生のおうちでゆっくりとする事に決めたのだった。


♂♀


「アイツの好きな物?」


翌日、私は波江さんの下を訪れていた。
波江さんは私と同じように折原さんに雇われている人物だ。
どういう経緯で彼女が彼の部下になったのかは知らないが、それは私には関係のない事だし、波江さんも私の事については何も聞いてこないので、互いの事情については干渉しないというのが私達の間で暗黙の了解となっていた。
でも、波江さんは独自で私や折原さんの事について調べている、と思う。
これはあくまで私の考えだが、折原さんの信者でも何でもない波江さんが、彼の従順な駒に成り下がっているとは到底思えないからだ。
だからこそ、彼女ならば折原さんの好きな物について知っているかもしれないと思い、こうして訪ねてみたのだが、彼女から返って来たのは「知らないわそんな物」という素っ気ない答えだった。


「っていうか、どうしてそんな事を私に尋ねるのよ。貴方、臨也とはそれなりに親しくしているんでしょう?」

「いや、確かに私は折原さんに色々お世話になってますけど、あまりプライベートでは折原さんとお近づきになりたくないので、折原さんの個人情報には疎くて……」

「ふぅん、そうなの」


まあどうでもいいけど、と言って波江さんはコーヒーを啜った。


「貴方がこの時期にそんな事を私に尋ねるって事は、臨也の誕生日に何かプレゼントでも渡すつもりなの?」

「ええ、まあ、そうですね」

「だったら首にリボンでも巻いて『プレゼントは私』とでも言ってみたら?」

「なっ!?」


波江さんのこの発言には流石に変な声が出た。
あの波江さんが、基本的にクールなあの波江さんが、一体どうしてそんな事を提案してきたのだろう。
私は一瞬だけ脳裏に過(よぎ)った自分の姿をすぐに振り払って、波江さんに不可解な発言の訳を聞いた。


「だって、あのバカは人間が好きなんでしょう?だったら誕生日に人間である貴方をプレゼントするのが手っ取り早いじゃない」

「そ、そうだとしても、何で私なんですか?だったら波江さんでもいいじゃないですか」

「嫌よ。私は臨也の前でそんな醜態晒したくないもの」

「じゃあもし、弟さんの誕生日にそれをやれって言われたら?」

「そんなの、当然やるに決まってるじゃない」


真顔でそう答える波江さんに眩暈がする。
とにかく、波江さんに相談するのは駄目だ。彼女はきっと突拍子もない提案しかして来ないだろう。
そう考えた私は、波江さんにペコリと頭をさげると、早々に彼女の下を離れたのだった。


♂♀


結局、折原さんへのプレゼントが思いつかないまま誕生日前日を迎えてしまった。
ただ、私が岸谷先生と波江さんに話を聞いて、解った事が1つだけある。
それは、誰から見ても、折原さんは完全に『人ラブ!』の人という認識がなされているという事だ。
流石に人間をプレゼントする訳にはいかないが、だったら人間らしさ―というより、私らしさの伝わるようなものをプレゼントとして贈りたい、と私は考えた。

でも、私らしさが伝わるものって、一体なんだろう。

ぼうっと考えていると、点けっぱなしにしていたテレビから感嘆の声が流れて来て、私はふとそちらに眼を向けた。
―これなら、私らしさが伝わるかもしれない。
偶然点けていたその番組を見て、私は彼に何をプレゼントするのかを決めたのだった。


♂♀


「夕飯、一緒に食べませんか」


翌日の昼頃、私は折原さんの事務所を訪れて彼にそう話し掛ける。


「いいよ」


折原さんは私の誘いにあっさりと乗ってくれた。
「6時に俺の部屋の前集合でいい?」と尋ねてきた折原さんに、私は視線を右往左往させながらもごもごと口を開く。


「あの……7時くらいに私の部屋に来てもらってもいいですか」

「え?何で?」

「……今日は、私がご馳走するので」


私の返答を聞いた折原さんは、驚いたように眼を瞬かせた。
それもその筈だ。私から折原さんを夕食に誘うというだけでも珍しいのに、そんな私が彼に手料理を振舞おうというのだから。
そう、私が昨日のテレビ番組を見て思いついたのが、彼に料理を振舞う事だった。
料理は得意という訳ではない。でも、苦手かと言われればそれは否だ。
だから、これが1番私らしさの伝わるプレゼントだと思った。
臨也さんは暫く私の顔をじっと見つめていたが、ニコリと微笑んで私の言葉に答えを返した。


「解った。楽しみにしてる」


♂♀


7時を少し過ぎたところで、私の部屋のインターフォンが鳴り響いた。
パタパタとスリッパの音を鳴らして玄関のドアを開ける。


「やあ、なまえちゃん」

「……どうも」


私は軽く頭を下げてから来客用のスリッパを出す。
折原さんは「ありがとう」と礼を言ってからそれを履いて私に続いて部屋に入って来た。


「あの、もうすぐ出来るので、座って待っててください」


私は折原さんをリビングの椅子に導いてから、自分はキッチンに姿を消した。
今日の夕飯は鍋だ。
でも、流石にそれだけでは淋しいので、付け合わせのおかずを何品か作った。
というより、むしろそちらの方に気合を入れたような気がする。
正直、鍋は最低限具を用意してそれを投入すれば済んでしまう一品だからだ。


「へえ、鳥出汁の鍋か」


仕上げに鍋の出汁の味見をしていると、不意に耳元から声が聞こえて来た。
びくりと肩を震わせて後ろを振り返ると、私の肩越しに鍋を覗き込んだ折原さんが、鍋の中身を見下ろしている。


「……あの、座って待っててくださいとお伝えしたと思うんですが」

「だって1人で待ってるの退屈なんだもの。それに、2人でやった方が早く食べられるだろう?」

「それは、まあ、そうですけど……。じゃあ、おかずをテーブルに運んで貰えますか。こっちはもう終わるので」

「ん、いいよ」


何だろう。何時に無く上機嫌な折原さんが怖い。
鼻歌でも口ずさみそうな勢いで料理を運ぶ彼をまじまじと見つめ、首を傾げる。
あまりにガン見しすぎて折原さんに「どうしたの?」と尋ねられたところで私は我に返り、「何でもありません」と言葉を返して作業に戻った。


♂♀


夕飯を食べ終わり、折原さんに手伝ってもらいながらテーブルの上を全て片付けて、彼にコーヒーを出した。
今は私が食器を洗っているところを折原さんがキッチンの向かい側から覗き込んでいる状態だ。


「君の料理、おいしかったよ。ご馳走様」

「いえ、お粗末様でした」


私は手を動かしながら軽く頭を下げる。


「鍋も勿論うまかったけど、付け合わせのおかずがまたよかったよね。君、料理でも習ってたの?」

「いえ。でも、昔から料理はしていたので」

「ふぅん、そっか」


折原さんはそう言ってコーヒーを啜った。


「俺さ、手料理食べるの好きなんだよね。手作りの料理は、その人間らしさが滲み出るから」

「へえ、そうなんですね」

「あはは、興味ないって顔してる」

「そんな事ないですよ」


これは本心だった。
手料理なら喜ぶかもしれないと思った私の予想は当たっていたのだから。


「あの、折原さん」


全ての食器を洗い終え、水道の水を止めた私は、彼の顔を真っ直ぐに見つめた。


「実は私、デザートも作ったんです。もし良かったら、食べていただけませんか」

「へえ、そうなの?じゃあ頂こうかな」


私の言葉を聞いて再び目を瞬かせた折原さんは、すぐにそう答えて楽しそうな笑みを浮かべた。
彼にもう一度椅子に座って貰い、私は冷蔵庫からデザートを取り出す。
そしてそれをテーブルに置くと、私は息を吸い込んで今日1番伝えたかった言葉を吐き出した。


「折原さん。−誕生日、おめでとうございます」


私が作ったのは、生クリームとイチゴを添えたシフォンケーキだった。
これを作るのに時間を取られていた所為で、今日の夕飯は簡単に出来る鍋で済ませてしまった……というのはここだけの秘密だ。
但し、誕生日用の蝋燭とプレートを用意できる程、私は人間が出来ていなかったけれど。
折原さんはというと、私の作ったケーキを見つめて僅かに目を見開いていた。


「……まさかこんな形でなまえちゃんに誕生日を祝われるとは思ってなかったな」

「驚きました?」

「そりゃ、多少はね」


彼はそう言って肩を竦める。


「でも、どうしてこんな形で俺の誕生日を祝おうと思ったのさ?言葉でお祝いしてくれた事はあっても、こんな感じで祝ってくれたのは初めてだよね?」


折原さんは興味津々といった様子でこちらを見つめて来る。


「……理由、言わなきゃ駄目ですか?」

「俺の好きな事について知ってるなまえちゃんなら、俺がこんな風に君に尋ねる事も予想した上で、それでもこんな風に用意をしてくれた、って思うんだけど。違う?」


折原さんの言う通りだ。
折原さんに何かプレゼントしたいと思った時点で、彼にこんな風に追求されるのは何となく想像がついていた。
でもやっぱり、本心を口に出すのは少し躊躇ってしまうものなのだ。


「……多分、ですけど、」


それでも私は、口を開いて思いを告げる事にした。
ここで黙り込むのは、自分からも、折原さんからも逃げる事になると思ったからだ。


「私の過去も含め、私の事を知っているのは折原さんだけで……でもだからって、貴方に執着したいとは思わないし、これからも執着するつもりはない。だけど、私は折原さんから逃げられない……し、逃げたいとも思わない、から。だから、えっと……」


自分でも思いに整理がつかず、頭の中がごちゃごちゃになっている。
私はこの人の事が苦手だし、恐ろしいと思っている。それは確かだ。
でも、この人との約束を破りたくはないから、この人の傍を離れたくないとも思っている。
折原さんとの約束を思い出す度に、私の中では常に相反する2つの思いが揺らめいていた。
まとまりきらない私の話を最後まで聞いてくれた折原さんは、「なまえちゃん」と私の名を呼ぶと、私の指に自分の指をきゅっと絡めた。
座ったままの彼を見下ろしながら、私は彼の言葉を待つ。


「話してくれてありがとう。……君が俺との約束を覚えててくれて安心したよ」


折原さんはそう言ってニコリと微笑む。
その笑顔に騙されてはいけないと思い、私は弱々しく唇を噛み締めて彼を睨み付けた。

―折原さんは、私が約束を破る事すら出来ない臆病者だって事、解ってる癖に。

それでも、何故か縋るように彼の指先を握り返してしまった自分が心底情けなかった。

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