短編
蜘蛛の巣

「もう直ぐ太宰治の誕生日?」

「嗚呼、そうだ」


その日は唐突に訪れた。
6月も半ばに差し掛かった頃、私は珍しく中原中也も太宰治も付き添わない任務に就き、下級構成員の織田作之助という人物と共に不発弾の処理を行う事になった。
彼は太宰治とはよく一緒に酒を酌み交わす関係のようで、私が太宰治と中原中也の部下であるという事実を伝えたところ、冒頭の科白に繋がったという訳である。
だが、太宰治の誕生日を知った処で、私は如何するべきなのか考えあぐねていた。
私は織田作之助とは違って太宰治の友達では無いし、太宰治の部下ではあるものの、半ば無理矢理太宰治と中原中也にポートマフィアに連行されただけであって、彼奴等に対する忠誠心など欠片も存在していない。
だが、誕生日をすっぽかしたらまた何か云われそうな気もするし、かと云って自殺嗜好家の彼の為に誕生日を祝ってもそれはそれで太宰治の怒りを買いそうな気もする。
解決策が見当たらず完全に手詰まり状態になった私を見て、織田作之助は「大丈夫か?手が止まってるぞ」と云い乍らせっせと不発弾を処理していた。
……というか、此の男は余りにこの作業に手慣れすぎではないだろうか?
抑も、何故此の男はこんな仕事を任されているのだろう?
状況判断が早く頭の回転も悪くは無さそうだから、仕事はどんどん任されそうなのに。
……違う、今は此の人について考えている場合じゃない。
太宰治の誕生日に如何行動するべきなのか、自分なりに考えなければ。


「あ、あの」

「何だ」

「貴方は、太宰治の誕生日を祝う心算なの?」

「嗚呼、勿論」


試しに織田作之助に尋ねてみた処、あっさりと返答が返って来た。
何となく予想出来ていた答えだったので、余り驚きはしなかったけれど。


「アンタは、太宰の誕生日を祝いたくないのか?」


織田作之助の方からそう問われたので、私は溜息を吐きながら「判らない」と答える。


「……私は、何方かと云えば太宰治の事は苦手だから」

「そうか……」


織田作之助はそれだけ云うと、再び作業に戻って仕舞った。

……え?それだけ?

私が唖然として織田作之助を見詰めていると、彼は不思議そうに目をぱちくりと瞬かせて「如何かしたのか?」と首を傾げている。


「否、あの……思っていたよりも反応が薄かったから、少し意外で」

「嗚呼、悪い。昔から感情が表に出にくい性格(タイプ)なんだ」

「あの、そうじゃなくて……私、如何したら善いと思いますか」


織田作之助の独特な雰囲気に呑まれて仕舞い、気付けば彼に相談を持ち掛けていた。
……拙い。こんな事、聞く心算は無かったのに。
織田作之助は私からの質問に漸く顔を上げると、私の顔をじっと見つめて口を開いた。


「……俺は、アンタと太宰が上司と部下として上手くやっているのか否かはよく知らない。太宰はアンタの事を俺に余り話さないからな。だが、あの太宰がアンタの事をずっと傍に置いているという事は、アンタの事はそれなりに気に入っている、という事なんだと思う。俺の云った事が参考になるか如何かは判らないが……アンタが如何するべきなのか―否、如何したいのかを自分の心に問いかけてから決めるのが佳いんじゃないか」

「……」


正直、織田作之助の話を聞いて、余計に判らなくなって仕舞った。
太宰治が私の事を気に入っている?本当に?
……でも、確かにそれは頷ける部分も有るかも知れない。
本人にも、似たような事を云われたような気がしないでもないから。
でも、彼奴は私の事を『玩具』的な意味で気に入っているというだけで、『人』としての私を気に入っているかどうかは正直よく判らない。
それに、『如何するべきか』ではなく、『如何したいのか』と聞かれると、非常に返答に困る。
ポートマフィアに来てから、私は自分の意思や願望に従った事なんて一度も無かったのだから。

兎に角、後は自分なりに考えを纏めてから決めようと思い、その場では取り敢えず織田作之助に礼を告げた。





そして、迎えた6月19日。
私は或る決意を持って、太宰治の執務室の前に佇んでいた。
すぅ、と息を吸い込んで、私は部屋の扉をノックする。


「太宰治」


扉を開けて中に入ると、太宰治がクルリと座椅子を回して此方に躰を向けた。
私は彼の机の前に立つと、深呼吸をしてから口を開く。


「誕生日、おめでとうございます」

「……」


太宰治は何も云わずにじっと私を見詰めている。
その鳶色は感情を一切映し出しておらず、無言の圧力に負けて仕舞いそうになった。
でも、此処で取り乱したら、屹度此奴の思うツボだから。
私は太宰治を射抜かんばかりの勢いで睨みつけ乍ら、ゆっくりと口を開いた。


「自殺嗜好家の貴方は誕生日を祝われる事は厭かも知れない。でも、私は一応貴方の部下だから、私が貴方の生まれた日を祝わなければ、それはそれで貴方は私に文句を云うかも知れない。私、如何するべきなのか判らない、何が正解なのか判らない。だから、もういっそ本人に直接聞いてみようと思った」


そして私は、太宰治に頭を下げる。


「莫迦な事を云ってるのは判ってる。此れは此れで貴方に怒られるかも知れないとも思う。だけど、私には此れしか思いつかなかった。ねえ太宰治、貴方の正解は何ですか。教えて下さい。お願いします」


此れが、私の答えだった。

私が本当にしたかった事ではないかも知れない。
若しかしたら、私はまた間違いを選んで仕舞ったのかも知れない。
それでも、他の間違いを選ぶよりかはマシだと思った。
私のような凡人が太宰治を相手にするならば、正攻法では駄目だと思ったのだ。


「……顔上げて、なまえ」


暫く時が経ってから、太宰治は淡々とそう呟いた。
私が恐る恐る顔を上げると、彼は珍しく少し呆れたような表情で此方を見上げている。


「『判らないから直接本人に聞く』って……君、本当に莫迦なんじゃないの?」

「だから、それは自覚してるって先刻も云ったでしょう」

「そうだね、君は確かにそう云っていた。だから性質(たち)が悪いんじゃないか。判った上でそんな事をしているんだったら、私がこれ以上君に何を云っても響かないじゃない」


やれやれ、と太宰治は肩を竦める。


「完敗だよ。私の誕生日ごときで如何するべきなのか悩みに悩んで、自分なりに答えを出したなまえを徹底的に弄んで苛め抜いて泣かせてやろうかと思っていたけれど、今回はそれは無理そうだ」


……今、途轍も無く恐ろしい事を聞いたような気がする。

背筋に冷たい物が駆け巡ったのに気が付かない振りをして、私は軽く頭を下げた。
太宰治はそんな私を見て目を細めると−唐突にねっとりと絡み付くような笑みを浮かべて口を開く。


「それで?『私なりの正解』を聞きたいんだっけ?」


先程までとは打って変わった、気味が悪い程の猫撫で声を聞いて、私の脳内で警鐘が鳴る。
拙い。此奴今、絶対碌な事考えてない。
こうなったら扉に向かって全力で逃げようと、太宰治に背を向けたのがいけなかった。


「こーら、逃げちゃ駄目でしょう?」


太宰治は咄嗟に私の襟首を掴んで自分の方に引き寄せると、そのまま私を自分の方に引き寄せて背後からすっぽりと包み込んだ。
腹が立つ程に身長が高い彼からは一度捕まると簡単には逃げ出す事が出来ず、私は蜘蛛の巣に絡め取られた虫螻蛄(むしけら)のようにジタバタと暴れ回る事しか出来ない。
クスリ、と太宰治が愉しそうに笑った。
餌を喰らい尽くそうとする蜘蛛が、自分の仕掛けた罠に掛かった哀れな小虫を嘲笑うかのように。
嗚呼、何時もこうだ、と私は心の中で悪態を吐いた。
結局私は、どう足掻いても太宰治の掌の上で弄ばれる運命なのだ。


「さァてなまえ、答え合わせの時間だ」


れろり、と熱い何かが首筋を舐(ねぶ)っていった。
それが太宰治の舌だと気が付いた瞬間、私の全身に鳥肌が立つ。
太宰治は凍り付く私の目元にちゅうと吸い付くと、切れ長の瞳を妖しげに光らせてうっそりと笑った。

―嗚呼、食べられる。

私が彼の目を見てそう悟った瞬間、太宰治は咬み付くように私の唇に吸い付いた。

―結局のところ、君という名の玩具で遊びたかっただけさ。

太宰治のそんな囁き声が聞こえて来たような気がして、私は悔しさの余りギリリと歯を食い縛った。





2018.06.19
Happy Birthday to Osamu Dazai!!

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