短編
11月の足首飾りアンクレット

『ねぇ。手、出して』

―手?……別に善いけど、何で?

『はい、此れ。あげる』

―此れ、何?

『此れね、足首に着ける装飾品アクセサリーなんだって。……ほら、見て。私のとお揃いなの』

―へェ、そうなんだ。素敵だね。

『でしょ?我乍ら善いアイディアじゃない?ほら、足ならずっと着けててもバレないし』

―そうだね。私も、早速着けてみようかな。

『……ねぇ太宰、』


此れは、私達2人だけの秘密だよ。





『久し振り。今度会わない?』


4年前に別れを告げた彼女から連絡が来たのは、つい先日のことだった。
の友人と交わした約束を果たすべく、私は4年前にポートマフィアを抜け出した。
その際、私は恋人であったみょうじなまえにも自分から別れを告げ、彼女の前から姿を消した。
彼女を光の世界に一緒に連れて行くべきだったのか、それとも暗闇の中に置いて来た事が正解だったのか、今でも私にはよく分からない。
ただ、私は知っていた。
彼女にとって、ポートマフィアとは家族のように掛け替えの無いもので、決して簡単に捨てられる存在では無い事を。
詰まり、組織に執着しない、ポートマフィアに未練の無い私とは、根本的に違ったのだ。
当時の私は、彼女が組織を置いて自分を選んで呉れるだろうという自信を持つ事など出来はしなかった。
齢18だった私は只の臆病者で、愛される喜びも愛する喜びも、本当の意味では理解していなかったのだ。





もう霜月に差し掛かっているというのに、待ち合わせ場所に選んだ季節外れの海の家ビーチハウスは思いの外混んでいる。
4年前迄の逢引デヱトと同じように、私達は席に着くや否や2人のお気に入りだったパンケヱキを注文し、互いに顔を見合わせてクスクスと笑った。
私が別れを告げたことがまるで嘘だったかのように、私達の間には穏やかな空気が流れている。
都合の佳い妄想だとは判っているものの、若しなまえが許して呉れるのなら、私は―


「……あのね、太宰」

「なぁに」


彼女が少し躊躇いがちに左手を立てて薬指を見せて来た。

―私、今度結婚するの。

その言葉の意味を理解するのに時間を要した。
何度目を瞬かせても見間違いという事は無くて、なまえの薬指には確かに指輪が綺羅綺羅と光り輝いている。

嗚呼、そうか。
此の娘はもう、私ではない誰かのモノになって仕舞ったのだ。


「……そう、なんだ。おめでとう、なまえ」


果たして、私の声は震えていなかっただろうか。


「……うん。有難う、太宰」


幸せな知らせニュースの筈なのに、何故か彼女の口数は少ない。
私が知っているなまえだったら、私と同じか、或いはそれ以上に口は回ると云うのに。
何時に無く萎らしいその態度に、『引き留めて』なんて責められているような気がして仕舞った。
―結婚を控えた彼女が、そんな事を思う筈が無いというのにも関わらず、だ。


「……ねぇ。そう言えばさ、覚えてる?昔私が渡した足首飾りアンクレットの事」

「……嗚呼、うん。覚えてるよ」


如何して、選りにも選ってその話を持ち出すのだろう。
忘れる筈も無い。忘れられる筈が無い。
だって私は、私の方から彼女を捨てた癖に、あの夏の足首飾りアンクレットを今でも外す事が出来ていないのだから。

胸の内から無糖珈琲のように苦々しい感情が流れ出している。
なまえは思わず眉を顰めた私には目も呉れず、昔を懐かしむようにうっとりと言葉を吐き出し続けた。


「私ね、太宰と別れてから、直ぐにあの足首飾りアンクレットを衣装棚に仕舞ったの。でもね、ちゃんと仕舞った筈なのに、何故か何処にも見当たらなくて……。一体何処にいっちゃったんだろう」

「そんなの、私が知る訳無いじゃない」

「……そっか。そうだよね。御免」


ムスリとした私の声色で、漸くなまえは私が機嫌を損ねている事に気が付いたらしい。
愈々会話が尽き果てて仕舞い、私達の間を再び沈黙が包み込んだ。


「……なまえ、帰ろう。途中迄送るよ」


気拙さに堪え兼ねた私は、此の重苦しい空気をどうにかしようと彼女に声を掛ける。
「御免ね」と小さく呟き乍ら席を立った彼女は、一体何に対して謝ったのだろうか。
その謝罪には気が付かなった振りをして、私となまえは昔と同じようにギリギリ濡れない程度の波打ち際を歩き乍ら帰路に着く。
磯の香りと共にさざ波が寄せては返し、水飛沫が切なく私の心までも濡らしていた。
本当は、此の儘素足になって、足首の思い出を今此処で捨て去って仕舞いたい。
そうすれば、私の心も幾分か軽くなるかも知れないのに。


「……太宰。もう、此処迄で善いよ」


数分後、公道に出るや否や、後ろを着いて来た彼女が小さくポツリと呟いた。


「何で?君の家まで後10分位は掛かるじゃない」


未練がましいとは判ってい乍らもそう尋ねると、彼女は困ったような顔つきでしどろもどろに口を動かしている。


「……なまえ?」


その時、唐突に響き渡ったその声に、私も彼女もそちらに向き直った。


「あ……」

「……中也?」


相も変わらず趣味の悪い帽子を被ったその男の登場に、私は訝しげな声を発していた。
何で、如何して、中也が此処に?
私の脳内を最悪な予感が駆け抜けた時には、既になまえは私の傍を離れていて、中也の方に向かって歩き出していた。


「……ちゃんとあの野郎に挨拶は出来たのかよ」

「うん。ちゃんと……お別れして来たよ」


嗚呼、真逆、そう来るとは。

此の光景が嘘だと思いたかった。
そうであって欲しくは無かった。

嘗て私が愛した―否、今でも密かに愛しているひとは、私が此の世で最も嫌いな相棒のものになって仕舞ったのだ。
でも同時に、彼が相手なら仕方が無いなと思って仕舞った自分が居た事も事実だ。
中也は屹度、私なんかよりもずっと優しくあの娘と接する事が出来る。
中也なら、恋人の事を絶対に見捨てず、最期の瞬間まで愛し続けるんだろう。

だから、私が潔く諦めるしか無いのだ。
譬え私と彼女が本当は未だに愛し合っていたとしても、此の先私達の関係が元に戻る事は無いだろう。
私達はもう、戻れない処迄来て仕舞ったのだ。


「なまえ」


私は、精一杯の穏やかな笑みを浮かべて、愛しい女の名前を呼んだ。


「結婚、本当におめでとう。……幸せにね」


彼女は今にも泣き出しそうな顔でふわりと微笑み、何度も頷いてみせた。

君をそこから連れ出してあげられないような臆病者で御免ね。
幸せにしてあげられなくて御免ね。

本当に、今迄有難う。


大好きだったよ。愛してる。

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