短編
不器用ごっこにさようなら

※大学生パロ


「終った〜!」


両手を空に突き出し、背もたれに背を預け乍ら、私は思わず声を上げた。
就活を終らせてから直ぐに取り掛かった卒業論文が、今日遂に完成したのだ。
此処迄辿り着くのに人よりも時間は掛かって仕舞ったものの、納得出来るまで精力的に取り組んだ卒業論文は、我乍らとても満足のいく内容に仕上がったと思う。
これで私も、心置き無く此の学校を卒業する事が出来る。


「お疲れ様、なまえ」


そう云って大きなマグカップにたっぷりと珈琲を淹れて私に持って来て呉れたのは、同じゼミに所属している太宰君だった。
彼は年内に卒論を教授に提出済で、私の卒論が終ったら彼を含むゼミの仲間と一緒に遊びに行く約束をしていたのだ。
では何故、卒論を早々に終わらせた太宰君が今私と共に居るのかというと、彼があれこれと私の手伝いをして呉れたからである。
太宰君と私は論文で扱ったテーマが似ていた為、互いに意見を交換し合って卒論の完成まで漕ぎ付けたのだ。


「本当に有難う、太宰君。私、太宰君が居なかったら、自分の意見をこんなにもちゃんと形に出来なかったと思う」

「私の方こそ、なまえには凄くお世話になったよ。あの時の君の反論が無かったら、私の仕上げた論文は内容が薄い在り来たりな物になっていたと思うからね」


太宰君はそう云って自分の珈琲を机に置くと、私の向かい側に腰掛けた。


「それにしても、此れで漸く私もしがらみから解放されたのかー。去年の今頃なんて、『就活さえ乗り切れば後は自由だ!』なんて思ってたのにさ。気が付いたら、学生最後の降誕祭クリスマスもお正月も、真面に楽しめない儘終っちゃったな……」

「まァなまえの場合は特にそうだよね。最後の最後まで手を抜かずに取り組んでいたから。……でも、後悔はしていないんでしょう?」

「うん。寧ろ達成感の方が大きいかな」


太宰君の言葉に、私は大きく頷きを返す。
確かに他の皆よりも卒業迄に残された期間は短くなって仕舞ったけれど、だからと云ってきちんと論文を完成させた事について不満がある訳では無い。
こんなに満たされた気持ちを味わえるのは、真面目に題と向き合った人間だけだと思うからだ。


「太宰君の方こそ、善かったの?私は手伝って貰って大助かりだったけど、その分太宰君の自由な時間が減っちゃったよね?」

「嗚呼、善いの善いの。私が好きでやった事だから。……そんな事よりさ、此れ、一緒に食べない?」


太宰君はそう云って、自分の鞄から或るものを取り出した。


「あれ?それって、最近駅の近くに出来た有名なお菓子屋さんの真珠麿マシュマロだよね?私、1回食べてみたかったんだ」

「善かった。じゃあ此れ、お皿に乗せて来るね」

「あ、うん。有難う」


立ち上がった太宰君にお礼を云って、私は彼の背中を見送る。
それから少しして戻って来た太宰君は、真珠麿の乗った皿の他に、綺麗に包装された箱を携えていた。


「……太宰君、それって、」

「今日は聖ヴァレンタイン・デイでしょう?卒論お疲れ様という意味も兼ねて、君に猪口冷糖チョコレヰトも用意してみたんだ」

喜んで貰えたら嬉しいな。

太宰君は照れ臭そうに頭を掻き乍ら、私の目の前にその箱を置く。


「そっか。今日だったっけ、ヴァレンタイン。卒論に追われててすっかり忘れてた。……開けても善い?」

「善いけど……買って来た猪口冷糖を目の前で食べられるのは、一寸恥ずかしいかも」

「そっか。じゃあ此れは、家に帰ってから美味しく戴くね」

「うん」


太宰君はそう頷いてから、こっちは一緒に食べよう、と云って、真珠麿の乗った皿を指差す。
彼が買って来て呉れた真珠麿は、中に猪口冷糖が練り込まれていて、ふわりと口の中で融ける真珠麿と猪口冷糖のホッとする甘さとのバランスが絶妙だった。
珈琲を啜り、時折真珠麿を口にし乍ら、私と太宰君は久方振りに他愛も無い会話に花を咲かせる。
此処最近、論文の事で話をする機会はあったものの、こんな風にじっくりと話す時間は殆ど無かったのだ。
出会った時からそうだったけれど、相も変わらず太宰君は博識で、何の話を振っても会話が尽きる事は無かった。


「そう云えばなまえ、卒業後は此処から引っ越すんだっけ?」


一頻り会話が落ち着いて来た頃、太宰君はふと思い出したように口を開く。


「うん。私、春からはトウキョウで就職だから。親元を離れて1人暮らし始めるんだ」

「そっか……淋しくなるね。ゼミが始まってからは、一緒に居る事が多かったから」

「そうだね。でもトウキョウならヨコハマともそこそこ近いし、会おうと思えば何時でも会えるよ」

「そりゃそうだけどさ……今みたいにこんなに頻繁に顔を合わせられる機会は減って仕舞う訳でしょう?」


唇を尖らせてそう呟く太宰君は、子供みたいで一寸だけ可愛い。
でも正直、淋しさを感じているのは私も同じだった。
太宰君とは波長も合うし、一緒に居て居心地が良かったからだ。
如何しても広く浅い交友関係になって仕舞いがちな大学生活の中で、真逆こんなにも気が合う友人に出会えるなんて思ってもみなかった。
勿論、他のゼミの仲間達―織田作や安吾、中也も私にとっては掛け替えの無い友達だけど(因みに中也と太宰君は犬猿の仲だ)、その中でも矢ッ張り太宰君は私にとって特別な存在だったのだ。

だって私は、気が付いたら太宰君の事が―


「……なまえ?如何したの?」

「え……」


自分の考えに夢中で、すっかり我を忘れていた。
ぱちぱちと目を瞬かせて声のした方に顔を向けると、何時の間にやら隣に来てしゃがみ込んでいた太宰君が、心配そうに私の顔を覗き込んでいる。

顔が、近い。

目の前にある太宰君の顔を認識した瞬間、私の頬に熱が集まって来た。
光に翳すと透ける鳶色の双眸が私を捕えて離さない。
毛穴の奥まで見えて仕舞いそうな位に近付かれているのに、太宰君は女の私が嫉妬する位滑らかで艶のある肌をしていた。
嗚呼、何で太宰君は、こんなにも綺麗な顔立ちをしているんだろう。
私は今迄の人生の中で、此れ程までに顔が整っている人を見た事が無い。
恐ろしい程の美貌の持ち主である太宰君は、ゆっくりと私に手を伸ばすと、細く長い指先で怖々と私の目元を拭ってみせた。


「……太宰君?如何したの?」

「なまえ、泣いてる」

「泣いてなんかいないよ。涙だってほら、出てないでしょ?」

「ううん、違うよ。なまえの心が泣いているんだ」


困ったように笑う太宰君の言葉に、私は小さく息を呑み込んだ。
彼の言い分は最もで、私の心は屹度今頃雨模様で一杯に染まっている。


「……離れたくないよ」


太宰君の観察眼には敵わない。
負けを認めた私は、ポロリ、と本音を吐き出した。


「就職先を決めたのは他でも無い私自身だけど、そんな事は判ってるけど。私、ずっと此処に居たいって、太宰君とこんな風に話していたいって……そう思っちゃった。……情けないよね」


私はそう云ってから、自嘲染みた笑みを浮かべる。
太宰君はそんな私の瞳の奥をじっと覗き込んでから、唐突に私の両頬にピタリと両の掌を重ね合わせた。


「太宰君?……いひゃっ!?」

「なまえ、次にまたそんな事云ったら怒るよ」

「もう怒ってんじゃん!」


私の悲痛な叫びを無視して、太宰君は話を続ける。


「『淋しい』という感情を抱くのは悪い事じゃない。2年間一緒に過ごしてきたんだ、多少なりとも情が沸くのは人として当たり前だよ。私は自分のやりたい事に向かって前に進み続けるなまえの事を情けないだなんて思った事は1度も無いし、寧ろ尊敬すらしている。だからお願い、そんな風に自分を卑下しないで。もっと自分に自信を持って」

「太宰君……」


彼の口から飛び出て来た温かい言葉の数々に、じわり、と瞳の奥が熱くなる。
太宰君はにこりと笑みを浮かべると、私の手をやんわりと包み込んだ。


「優しくて、真っ直ぐで、頑張り屋さんで……なまえの善い処を上げたらキリが無いけれど、これからはもっと自分に素直に生きてみてもいいんじゃないかな。淋しかったり、辛かったりした時は、もう少し人に甘えてもいいと思う。……私、とか」

「……ふふっ」


一寸照れ臭そうにそう云う太宰君が可愛らしくて、私は思わず小さな笑い声を漏らして仕舞う。


「有難う、太宰君。矢ッ張り太宰君は優しいね」


私がそうお礼を告げると、彼は少しだけ複雑そうな顔をした。


「それは……相手がなまえだからだよ」

「へ?」

「君が、なまえだから。だから、頼りにされたい、優しくしたいと思えたんだ」

「それ、って……」


此れは、自惚れてもいいのだろうか。
心臓がバクバクと悲鳴を上げている。
ゴクリ、と唾を呑み込んでから太宰君を見上げると、彼はすぅ、と息を吸ってから口を開いた。


「ねぇなまえ。贈呈品プレゼントの時のお菓子には、それぞれ異なった意味が込められているって知ってた?」

「え……何、突然。知らないけど」

「サクサクとした触感の焼き菓子を贈呈する時は、『貴方とは軽い関係でいたい』っていう事から、『友達でいたい』という意味が込められているんだ。本気で好きな人には、焼き菓子は渡しちゃいけない」

「う、うん……?」

「逆に飴玉は、本命の相手に渡す贈呈品としてピッタリだ。固くて中々割れない、長い間舐め続けられる飴玉は、『関係が壊れない』『長い間続く』という事を意味しているからね」

「じゃあ、猪口冷糖は?何か意味があるの?」

「猪口冷糖には深い意味は無いみたいだよ。抑も、聖ヴァレンタインに猪口冷糖を送る習慣なんて、日本独自の文化だしね」

「……じゃあ、真珠麿は?」


私が恐る恐るそう尋ねると、太宰君は一瞬だけ口を閉ざしてから、ゆっくりと言葉を吐き出した。


「口の中で直ぐに融けてなくなってしまう真珠麿は、『貴方との関係はその程度のものだ』という事を表している。詰まり、ただの真珠麿を相手に贈ると、『貴方が嫌い』という意味になる」

「え……」

「でも、そこに猪口冷糖が入っていると、話は大きく変わって来るんだ」


太宰君のその言葉に、希望の色が首を擡(もた)げる。


「中に入っている猪口冷糖を『愛の気持ち』、周りの真珠麿を『汚れの無い純粋無垢な気持ち』と例えると……猪口冷糖入りの真珠麿は、『純白の愛で包み込む』という意味を成す。……私の気持ち、ちゃんと伝わったかな?」


太宰君がそう言い終る前に、私は彼の躰に飛びついていた。


「……嬉しい。すっごく嬉しいよ、太宰君。私も、おんなじ気持ちなんだもん」

「!それ、って、」

「こんな遠回しに云わなくたって、もっとちゃんと云って呉れればいいのに。……ううん、違う。私からも、始めからちゃんと伝えれば善かったんだね」


私はそう云って太宰君から離れると、じっと彼の瞳を見つめて言葉を告げる。


「私も、太宰君の事が好き。好き。だいすき」

「……うん、有難う」


太宰君はそう云ってからふんわりと笑う。
こうして、大学生活の中で出会った1番の善き理解者は、私にとって唯一無二の大切な人となった。

今年のホワイト・デイは、太宰君にブーケ・キャンディを贈呈しよう。

私は太宰君の腕の中で、温もりを抱き締め乍ら、こっそりとそう心に決めたのだった。





Congratulations on the 2nd anniversary of "Supernova"!!

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