短編
拝啓、太宰治様

拝啓 紫陽花の花が日ごとの長雨に色づいて参りました。
お元気ですか?
私は元気でやっています。

却説、今日は貴方が此の浮き世に産まれた大切な記念日ですね。
心からお慶び申し上げます。

もう直ぐ、あの頃のあの人と同じ年になるんですね。
……御免なさい。そのようなことを申し上げたかったのでは有りません。

早速、本題に参りましょう。
貴方は存じ上げていたのかも知れませんが、私は、貴方の事が、ずっとずっと好きでした。
ううん、本当は今でも大好き。

でも、貴方はそうではないのでしょう?

……何も仰らなくても構いません。以前から存じ上げておりました。
だって、貴方の事をきちんと理解出来る人は、恐らく此の世の何処にもいませんもの。
屹度、貴方を1番理解していたのは、織田作之助さんなんでしょう?
私は貴方と恋人になれるだなんて微塵も思っておりませんし、仮にそういう関係になったとして、上手く行くだなんて此れっぽっちも思っておりません。
でも、それでも佳いのです。
私は此の気持ちを、ずっと貴方に伝えたかった。
ですから、こうして今、きちんと想いを伝えられる事が出来て、本当に幸せなのです。
……只、面と向かってこのような事を言う度胸が無かったのは許して下さい。

ねえ太宰。貴方は今、幸せですか?
自分らしく生きられていますか?

お互い組織を抜け出した今、もう貴方に会う事も無いのでしょうが……沢山の人を殺めて生きて来た貴方が、あの人の最期の言葉の通りに、懸命に人を救い乍ら生きていて呉れているのなら、私はそれだけで充分嬉しいです。

じゃあね、太宰。
さようなら。元気でね。

敬具

××年六月十九日

太宰治様





もう会う事も無いだろうそのひとから手紙が届いたのは、私が此の浮き世に誕生したらしい日の事だった。
彼女が私を好いて呉れていたのは知っていたが、私は終ぞその想いに応える事は出来なかった。
私は恋だの愛だのといった感情に人一倍臆病で、彼女とそういう関係になったとして、自分以外の誰かを自分の領域テリトリーに入れて仕舞う事が怖かったのだ。
彼女は、私を最も理解しているのは織田作だと云っていた。
確かにそれは強ち間違いでは無いのかも知れない。
織田作は、私が思っていた以上に私の事を佳く理解って呉れていた。
だからこそ、そんな彼の最期の言葉を胸に、私はポートマフィアを抜け出したのだ。
だが、時々ふと思う。
彼女は、織田作と同じ位、或いはそれ以上に私の事を佳く理解していたのではないか、と。
だからこそ、彼女は私を好いていたにも拘らず、私と『そういう関係』になる事を望まなかったのだと思う。
そして、此れから先も、私と彼女がそういった関係になる事は屹度無いのだろう。


私は手紙を掌中で握り潰すと、燐寸マッチに火を灯けてその先端を紙屑に押し当てた。
火はみるみるうちに手紙に燃え移り、それは灰と化してボロボロと床に崩れ落ちていく。


「……はは」


全てが燃え尽きた時、後に残ったのはどうしようも無く遣る瀬無い感情だけだった。
悲しみ、苛立ち、虚しさ、それらがぐちゃぐちゃにせめぎ合って、内側から掻き混ぜられているような、そんな心情。
結局私は、人を愛する事に対して何時迄も臆病な儘で、人から愛される事に戸惑い続けている、『愛』を知らない子供のような大人なのだ。

若し、私が自分の殻から抜け出す勇気を持つ事が出来ていたなら。
若し、私がもっと、彼女に心を開いていたら。
若し、私と彼女が、そういった関係になっていたのだとしたら。

私は今頃、愛を知る事が出来ていたのだろうか。

有りもしない『若し』の数々を脳内で繰り返した処で、此の現状が変わる訳でも無い。

でも、願わくば。
もう一度だけ、彼女に逢いたい。

叶いもしない思いを胸に、私はぼんやりと空を見上げた。
手紙を読み始めた頃合いは斜陽が室内を眩しく照らしていたというのに、今ではもう疾っくに日は暮れて、代わりに青白い御月様がぼんやりと顔を覗かせている。


「……月が、」


月が綺麗ですね、だなんて、らしくも無い言葉が頭の中にふと浮かんできて。
嗚呼なんだ、私も若しかしたら、色事に関する人並みの感情を持ち併せているのかも知れない、と思って、少しだけ心が弾んだ。
日々『死にたい』とのたまう私だが、もう少しだけ、此処で息をするのも悪く無いのかも知れない。
私を置いて此の街を去って仕舞った『彼等』に、胸を張れるように精一杯生きていくのも一興かも知れない。
柄にも無くそんな事を思った私は、部屋の片隅に転がる蒸留酒ウヰスキーの瓶を取り出して、氷を入れたグラスにそれを注いだ。


迷ヰ犬ストレイドッグに」


1人小さくそう呟いて、私はゆっくりとそれを煽る。

ねェ、なまえ。
私は、君と出逢う事が出来て本当に善かった。
今迄、私を優しく見守って呉れて有難う。

(太宰、)

その時、私の名前を呼ぶ彼女の声が聞こえたような気がして、私は思わず顔を上げた。

(私も、貴方に出逢えて善かった。幸せになってね)

見上げた先にいたそのひとの幻は、そう云ってからふわりと姿を消して仕舞った。


「……敵わないなァ」


口を突いて出たその言葉は、情け無い程に震えていて。
でも同時に、心の中には清々しい気持ちが広がっていた。

今胸の内に募った此の感情は、屹度未だ愛とも恋とも呼べない未熟なものなのだろう。
でも、今はそれで佳い。

此れから、それを知っていきたい。
此れから、それを育める人間になれば佳い。

臆病で脆い部分は未だ多くあれど、漸く新しい一歩を踏み出せそうな確かな予感がして、私の顔には自然と笑みが零れていた。





2019.06.19
Happy Birthday to Osamu Dazai!!

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