8.

「「あ」」


ある日の夕方。
珍しく早上がりだった爽子は、店を出たところで丁度中原と鉢合わせた。
互いに目を瞬かせて暫く見つめ合っていたが、先に口を開いたのは中也だった。


「……よお」

「あ、えっと……お久し振り、です?」

「何で敬語で疑問系なんだよ」


中也は彼女の反応に苦笑いを浮かべる。


「今上がりか?」

「う、うん。此れから帰ろうかなって思ってたとこ」

「そうか」


其れから、暫しの沈黙。
そして。


「おい、」
「あの、」


2人の声が見事に重なった。


「……手前先に言えよ」

「厭、此処は矢っ張り年功序列って事で中也から先に言うべきでしょ」

「だから、あんまり歳変わンねぇって云っただろうが」


中也は呆れたように溜息を吐く。
そして、小さくこう呟いた。


「……飯、一緒に食ってかねェか」

「!……うん!」


彼女も丁度、彼を誘おうと思って声を掛けたところだったのだ。
パッと笑みを浮かべて直ぐに同意した爽子を見て、中也は照れ臭そうに帽子を目深く被り直した。


◇◆◇


「私ね、一寸だけ中也に会うの怖かったんだ」

「あ?何でだよ」


中也は唐揚げを摘まみながら、心底訳が判らないというような顔をしている。


「だって、私が変なお願いしたせいで、中也に結構無理させちゃったから。
最近店にも来なかったし、若しかしたら、私と会うの気まずいのかなって思って」

「莫迦か手前。アレは俺がやりたくてやった事なんだから手前が気にする必要なんざねェよ。それに、最近店に来られなかったのは、単に仕事が忙しかっただけだ」

「そっか」


其の言葉を聞いただけで、爽子は自分の中に在ったもやもやとした何かが薄れていったような気がした。

―凄いなあ、中也は。
―たった一言で、私の中にあった不安を吹き飛ばして呉れるなんて。

爽子は冷奴に手をつけながらまじまじと中也を見つめる。
そして、つい聞いてみたくなった。


「……ねェ中也、」

「あ?」

「『好き』って如何いう事だと思う?」

「ばッ……!」


太宰が自分にして来た質問を其の儘中原にぶつけてみると、彼は派手に箸を取り落としそうになった。

―え、なんか滅茶苦茶取り乱してるんですけど。

呆気にとられて中也を見ていると、彼は箸を皿に置いてから懸命に煙草に火を着けようとしている。


「おい爽!手前行き成り変な事聞いてンじゃねェよ!」

「えええ……私が悪いの?」

「っ、そう云う訳じゃねェよ!ああ糞……手前は悪くねェ!」

「……?」


爽子が訝しげに中也を見つめる中、彼は浴びるように酒を呑み干していく。


「って、中也!一寸呑み過ぎじゃない?」


確か中也は、其処まで酒には強く無かった筈だ。


「五月蝿ェ、今日は厭きる迄呑むって決めたンだよ」

「困る、困るよ其れ。中也酒癖悪そうだもん」

「はあァ!?手前常連客である俺に対してそンな事思ってたのかよ!?」

「別に私だけじゃないし。親爺さんもそう云ってたし」

「おい親爺!」


中也が店主を睨み付けると、彼は「厭ァ、君達仲良いねェ」と楽しそうに笑った。


「で、中也?未だ私、質問の答えを貰って無いンだけど」


爽子はくるりと中也に向き直る。


「チッ、誤魔化し切れなかったか」


中也はあからさまに舌打ちをすると、流れるような手つきで煙草に火を着けた。


「抑も恋愛感情なんて上手く言葉に出来るモンだとは思わねェが、強いて云うなら……気が付けば其奴の事で頭が一杯になってたり、其奴の態度や連絡で一喜一憂したりする状況、なんじゃねェの」


彼はそう云って煙草を口に咥える。
爽子は其の答えを聞いて、何と無くではあるが、ある確信を抱いた。


「……ねェ中也、」

「あ?」

「……若しかして今、好きな人が居るの?」


彼女がそう尋ねた瞬間、中也は煙草の煙を勢い善く吸い込んで思い切り噎せる。
其れが中也の答えを顕著に表しているようで、爽子は如何してか胸がチクリと痛んだような気がした。


「……ねェ、どんな人なの?中也の好きな人って」

「……教えねェ」

「え、何で?」

「企業秘密だ!!」

「はぁ?」


何それ、と爽子は笑う。
其の後も彼の手此の手を使って何とか聞き出そうとしたが、中也も譲る気は無いようで、結局何も情報は聞き出せなかった。


「中也、私そろそろ帰る」

「嗚呼、なら途中迄送ってく。親爺、お勘定」

「あいよ」


二人が勘定を待っていると、不意に中也の外套のポケットから電子音が鳴り響いた。


「ったく、こんな時間に誰だよ」


軽く悪態を吐きながら携帯電話を取り出した中也は、表示された名前を見て露骨に顔を歪めた。


「……仕事の人?」

「あー……まァそンな処だ」


一寸待ってろ、彼は爽子にそう告げると、携帯電話を片手に外に向かって歩き始めた。


「何の用だ青鯖。……あ?任務?」


同僚か誰かに呼び出されたのかな、と爽子が呑気に考えていた矢先。


「はァ!?おいクソ太宰!手前好い加減人に仕事押し付けンの止めろってんだ!」


怒鳴りながら外に出ていった中也の其の言葉に、爽子の頭は真っ白になった。


「……『クソ太宰』?」


呆然と、そう呟く。

何故、中也が太宰を知っているのか。
如何して中也は、太宰と仕事の話をしているのか。

カチリカチリ、と、頭の中でパズルの欠片(ピース)が嵌まっていく。

そして、全ての欠片が繋ぎ合わさった丁度其の時、中也が苛立たしげに頭を掻き回しながら此方に帰って来た。


「悪ィ爽、ちょいと仕事が―」

「中也」


中原の言葉を遮って、爽子は彼の名前を呼ぶ。
爽子の只ならぬ様子を不審に思った中也は、訝しげに彼女を見つめた。


「中也の仕事って、若しかして……ポートマフィア、なの?」

「!」


小さく息を呑む音が聞こえた。
と同時に、アイスブルーの瞳が大きく見開かれる。


「っ、」


口を開けば感情が溢れ出て来て爆発して仕舞いそうな気がして、爽子は咄嗟に両手で口許を押さえた。
大して寒くも無い筈なのに全身が震える。
其の場で叫んでしまいそうな衝動を何とか押さえ込み、ぎゅっ、と唇を引き結んだ爽子は、中也の方を見向きもせずに走り出した。


「……爽?おい!?」


中也は困惑気味にそう呼び掛けるも、彼女が振り返る事は無く。

彼は唯、爽子が閉めて行った店の扉を茫然と見つめる事しか出来なかった。


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