10.

「ッ、」


鈍痛で目が覚めた。
辺りを見回すと、無機質な鉄筋コンクリヰトの建物内に、ドラム缶や木材が乱雑に散らばっている。
大方、廃工場か何処かに連れて来られたのだろう、と爽子は察した。
自分の状態を確認してみると、手首と足首を拘束された状態でパイプ椅子に座らされている。

−異能力、『芝桜』。

目を閉じて異能発動を試みるも、其れは失敗に終わった。


「嗚呼、無駄だよ。其の縄、異能が使えないようになってる特別製の物だから」


声のする方を見遣ると、色白で精悍な顔つきの男が暗がりの中から現れるのが見えた。


「今晩は、有吉爽子さん」


にこり、と男は愛想の善い笑みを浮かべる。
爽子が用心深く男を見つめたまま黙っていると、彼は暫くしてから堪え切れずに吹き出した。


「あはは、そンなに警戒しないでよ。まるで僕が悪人みたいじゃないか」

「……少なくとも善人は人を殴って気絶させて浚うなんて真似はしないと思いますけど」

「んー……まァ確かに。一理あるかもね」


うんうん、と彼は態とらしく頷いてみせる。


「そう云えば、自己紹介が未だだったね。僕はジュール・ヴェルヌ。一言で云うならば、巷で情報屋みたいな事をしてるかな」

「……情報屋?」


爽子は其の言葉に眉を顰めた。
彼女は彼の事を、何処かの異能力者組織の首領か何かだと思っていたからだ。


「如何して一介の情報屋がこんな事をするんですか?」


其の問いに、彼は待ってましたと云わんばかりにクスクスと笑う。


「もう爽ちゃんも予想は着いてると思うけど、僕は情報屋という立場上、君の正体は知っている」


ヴェルヌは其処で言葉を切ると、勿体ぶったように両手を広げた。


「君は北米異能力者集団−《組合》屈指の暗殺者なんだろう?」

「……」


爽子は押し黙った。
太宰には自分が異能力者組織に所属していた事は話していたが、其れが組合だったという事は話していなかった。
話す必要は無いと思っていたし、太宰に聞かれた事も無かったからだ。
其れに何より、組合と云えば都市伝説の類とも云われる程の逸話が多々ある。
そんな巨大な組織に所属していただなんて余り口には出したく無かった。


「……仮にそうだったとして、貴方に何の関係があるんですか」

「否定しないって事は認めるって事で善いのかな?」

「ご想像にお任せします」

「ははは、其の素っ気ない感じ、流石だねえ」


淡々と答える爽子に、ヴェルヌは苦笑いを浮かべる。


「却説、君の質問に答えようか。僕が今回こんな事をしたのは、或る人に君を組合に連れ戻すように頼まれたからさ」

「フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルド。解るだろ?」

「!」


爽子は其の名を聞いて目を見開いた。

F.フィッツジェラルド。
次期組合の団長の座に最も近いだろうと云われている男。

彼の男は、何故か自分の事を酷く気に入っていた。
其れはもう、『執着』と云っても善い程に。


「……何で、」

「さアね。僕が知った事か。彼に気に入られて仕舞った自分を恨むしか無い」


爽子は青白い顔をして俯いた。
人を傷つけるのが厭で組合を抜けた。其れが1番の理由である事に変わりは無い。
だが、フランシスの執着ぶりに嫌気が差していたのも、組合を抜け出した理由の内の1つだった。
彼女は恐ろしかったのだ。
此の壗、彼に侵食されてしまうのが。


「そンなに彼処に帰りたく無い?」


含み笑いを浮かべ乍ら、ヴェルヌは爽子にそう問い掛ける。


「……」

「ふーん、だんまりか。折角扶けてあげようと思ったのになァ。じゃアさっさとフランシスさんに連絡して−」

「っ、待って!」


思わず大きな声を出して仕舞った。
彼はそんな爽子の様子を見て愉しげに笑う。


「あはは!やっとその顔が見れた。矢っ張り女の子のそう云う顔って最高だよね。唆られるなァ」


ヴェルヌは爽子の頬をするりと撫でた。


「善いよ。扶けてあげる。
……但し、僕の提案を呑んで呉れたらね」


ヴェルヌの眼光に鋭い光が宿る。
爽子はじっとりと手汗が滲むのを感じながら、ぐっと唇を引き結んだ。


◇◆◇


中也は苛立ち混じりに廊下を歩いていた。
太宰から唐突に現実を突き付けられた後、中也は直ぐに太宰の執務室を飛び出したのだ。
混乱と怒り。
其れが、彼の中を渦巻く感情だった。


「……糞っ、」


靴音を派手に鳴らして歩き乍ら、時折壁を叩きつける。
何に対してなのか、其れとも誰に対してなのかは解らない。
だが中也は、どうしようも無く腹が立っていた。


「中原さん」

「あン?」


不意に後ろから声を掛けられた中也は、眉間に思い切り皺を寄せて後ろを振り向く。
声を掛けてきたのは部下の男で、彼は多少怖じ気づき乍らも用件を口にした。


「あの……太宰幹部が、『緊急事態が発生した。執務室に来い』と」

「……チッ、解った」


今度は一体何の用だ。

中也は最高潮に不機嫌なオーラを醸し出し乍ら、再び太宰の執務室に足を運ぶ。


「おい糞野郎、今度は何の用だ?任務なら今から支度する処で−」

「中也」


つい先程、中也が太宰の執務室を訪れた際自分が太宰にしたのと同じように、太宰は中也が云い掛けた台詞を途中で遮った。


「落ち着いて聞いて呉れ給え。
−爽が、行方不明だ」


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