あいつにもシャワーイベントがあったら

何度目かわからないループでの議論初日。過去のループと同じようにヘイトを買い過ぎてコールドスリープが決定したラキオの冷凍を見届けた後、就寝する前にシャワーを浴びようとシャワールームへ向かった。
今回のラキオはドクターに名乗り出ていたが、名乗り出たのは彼以外にも居たので票を集めたのは恐らく嘘がバレたからだろう。その予想が外れてもし彼が本物のドクターだったら申し訳ないが、その場合は少々過激だがドクターは全員ローラー……もとい冷凍してしまえば良い。残ったドクターからの明日の報告を待とう。
着替えとタオルを持って空いている個室が無いか確認する。どこもロックがかかっていないようだから好きな所を使ってしまおう。そう思って適当に選んだ個室の開閉ボタンを押すとドアの向こうからむわっと湯気がこちらまで漂ってきた。

「……あ?誰だ?」

まさか人が居るだなんて思わなくて開閉ボタンを押した姿勢から全く動けなかった。向こうも私の事がよく見えていないのかお互いの顔を直視する。
……沙明、だ。シャワーから降り注ぐ温水のせいで、水気を含んだ黒髪がぺしゃりと顔や肌に張り付いている。それに当然、全裸。沙明は顔を顰めたように目を細めてじろじろと私の頭の天辺から足の爪先まで見ていたかと思えば「んだよ、リツか」と声を発した。
あ、そうか。眼鏡が無いから私の姿がよく見えていないのか。何か雰囲気が違う、と思えばゴーグルも無い事に気付く。確かにシャワー浴びる時に眼鏡もゴーグルも外すのは当然か。
そして今、彼の顔から視線を絶対に下へ下げてはいけないと当たり前の警鐘が脳に鳴り響いた。シャワーから立ち込める湯煙が上手い具合に隠してくれているお陰で視界に入らずに済んでいるが、湯煙もそんな都合良く万能な物ではない為このままではいつか確実に嫌でも目に入ってしまうだろう。さっさとこの場を立ち去ろうと「お邪魔しました」とぎこちない動きで背を向ければがっしりと濡れた手で肩を掴まれた。

「ヒィッすみませんすみませんすみません間違えましたごめんなさい悪気は無いんですだからお願いお願いですから離してください」
「オイオイオイオイこんなイイ機会逃す訳ねーだろーよ。アレだろ?俺と裸の付き合いがしたくてここに来たんだろ?俺は大歓迎どころかいつでも準備万端だぜ?」
「違う違います違うんです間違えただけなんですだからお願い離して服が濡れる」
「シャワー浴びに来たんなら他ん所も変わんねーだろ。リツもさっさと服脱いで来いよ。それとも着衣プレイがお好みってか?イイ趣味してんねェ、そそるじゃねーか。お陰様でエレクトしちまったんだけど、この責任はきっちり取ってくれんだよなァ?」
「違う違う違う違う本当に間違えただけなんです断じてそういうんじゃないんですだから離して後生ですから」
「ん、その声リツか?何かあった?」

全裸沙明との攻防を続けているとシャワールームのドア越しにコメットのくぐもった声が聞こえた。もしこの状況を見られたらと思うと顔から血の気が引いていく。彼女なら変に勘繰ってきたりしないとは思うけれど、勘違いされるのはマズい。「実はさっきリツがさー」とか言って周りに吹聴されたら私の心が保たない。
見られてしまう前に急いでここから出よう、と肩を掴む沙明の手を振り払おうとすると強い力で後ろに身体が引っ張られて口を塞がれた。

「むぐっ!?」
「シーッ。……少し黙ってな」

そう言って頭上から至近距離で小声が降ってくる。シャワーはいつの間にか止まっていたようで水滴が落ちる音だけが個室内に反響した。
裸の沙明と共に個室に閉じ込められているようだが……何が、起こっている?声を出そうにも大きな手で口を塞がれている為、どんなに頑張ってもくぐもった声しか出せない。それどころかその手が濡れているから水気が邪魔をして呼吸もしづらい。
廊下にいるコメットなら違和感に気付いて助けてくれるかも、と一縷の望みをかけて閉められたドアを見ればご丁寧にロックがかけられていた。こ、こいつ何で!?

「あれ、リツの声がしたと思ったんだけど僕の勘違いだったかなー。ま、いいや。何か変な予感するからシャワーは後にしとこ」
「(コメットオオオオオオオ)」

コメットのずば抜けた直感はドア越しでは働いてくれなかったようで彼女は何処かに行ってしまった。どうしよう、一縷の望みが。
すると湯煙とは違う生温さを持った空気と小さな雫が私の首筋にかかり、驚いて思わず身体が跳ね上がった。シャワーヘッドの位置からはここに水滴は落ちてこないはず。そして先程の生温さは。その正体に気付いた瞬間に私は身震いした。
私の口を覆う手。至近距離から聞こえた声。首筋に当たった雫は恐らく彼の髪から滴り落ちたもの。そして背後には全裸の沙明。今自分が置かれた状況を改めて認知した瞬間、私は無意識に裏拳を打った。「いっでぇ!!」と声が背後から聞こえたがそれどころではない。置かれた状況と手の甲のジンジンとした痛みに半ば泣きそうになりながら開閉ボタン目掛けて手を伸ばして連打すれば、無事にボタンを押せたようで電子音と共にドアが開いた。それと同時に私は渾身の力で沙明を突き飛ばして個室から抜け出し、少しでも彼から距離を取ろうとシャワールーム内で逃げ惑い壁を背にずるずるとへたり込んだ。この時の私は焦りのあまり早くここから出ればいいじゃないかという冷静さをすっかり欠いていた。
心臓がバクバクして変な汗が止まらない。さっきまで私は何をされていた?そしてあの男は何をしようとした?風邪でもひいてしまったみたいに顔が熱くて仕方ない。
私はどうしてしまったんだろう。あんな男に対してこんなに心臓が跳ねるなんて。これは恐怖からか?驚愕からか?そうでなければこの反応は、まるで私が───

「ってぇ……。いくら何でも殴るこたぁねーだろ……」

そう言いながら沙明が個室から出てくる。ぽたぽたと雫を滴らせながらこちらに近付いてくる。
濡れた髪を掻き上げながら佇む姿は格好良い、というか正直普段の姿からは想像出来ない程の色気がある。人によっては目の保養になったかもしれない。だが思い出して欲しい。今のこいつは全裸。そしてへたり込んだ私の位置から見上げて真っ先に視界に入るものと言えば───もうお分かりいただけただろう。
私の頭の中は真っ白になった。考える事をやめ、無心のままゆらりと立ち上がると拳を握る。

「どうした?やっとヤる気になったかよ。いいぜ、今夜は俺とお前でヘヴッ」

シャワールームに鈍い音が二度響いた。

◇◇◇

───2日目・昼。
いつもと同じようにメインコンソール室に集まれば、仕切り役のセツが集まった面々を見渡してとある人物の姿が見えない事を知ると少々呆れたように目を伏せた。

「沙明の姿が見えないな……。LeVi、昨夜の被害状況は?」
「昨晩はグノーシアによる被害はありませんでした。グノーシアがバグを襲ったか、守護天使様が守ってくださったのかの判別は出来かねますが……沙明様がグノーシアに襲われたという記録もございません」
「ならまだ船の中にいるはずだが……また娯楽室か?ごめん、リツ。手間をかけさせてしまうけれど、また彼を呼びに一緒に……」
「……ごめんなさい……私がやりました……」
「えっ?」

顔面蒼白でしどろもどろに昨夜の事を自白すれば、セツが驚いて目を剥いた。しかしセツは思い当たる節があるかのように一瞬視線を遠くへやると一つ咳払いをし、表情を引き締めて何事も無かったようにその場を仕切り直した。

「そうか、わかった。議論はこのまま進めるしかない。幸い昨夜はグノーシアによる被害も無かったみたいだから、この調子で敵を追い詰めよう」

まさか全裸の沙明を気絶させてエアロックから宇宙へ放り出したなんて言えず、私は終始冷や汗をだらだらと流しながら議論に参加する事になった。
……そのあまりの挙動不審な態度から今日のコールドスリープ対象が私になったのは言うまでもない。

eclipsissimo