今日も私は生きてるみたい

原作前の話で敦くんと



この孤児院に雇われて早数ヶ月。相変わらず静かなこの場所で淡々と仕事をこなす。
最初は何をしたら良いのかわからず、かなりキツい事を云われたりもしたが、それも無くなり今は只淡々と仕事を一人でこなす毎日だ。割と勝手に行動しているがやるべき事はきちんとやっている為、文句を云う人はいない。
この孤児院では得点が凡てだ。得点を稼がないと食事にすらありつけないこの環境では、毎日のように子供達の間で得点稼ぎが行われている。そしてその得点の稼ぎ方がまた非道かった。
最初は何とかしようと院長先生に抗議したが聞き入れて貰えず、寧ろ此方の方針に従えないのなら出て行けと言われてしまった。ご最もだが雇われてまだ日が浅いのに逃げ出す訳にもいかず、さっさと仕事を覚えて一人で作業を行う毎日を繰り返している。
仕事が一段落した処で休憩を入れようと、辺りに人が居ない事を確認して書庫へ向かう。今日もあの子は彼処で過ごしているだろう。薄暗い書庫で一人でずっと書巻を読んでいるに違いない。
書庫に着き、扉を極力音を立てないように静かに開く。手入れも真面にされていない為それだけですぐに埃が舞った。静かに扉を閉めて奥へ向かうと、積み上げられた書巻に隠れるようにして書巻を読む彼の姿が目に入った。近くまで寄ったが気付いていないようなので声を掛ける事にした。

「こんにちは、敦くん」

余程熱中していたのか、吃驚した表情で見上げられる。目の前に居るのが私と判って安心したのか、ぱっとその表情が笑顔に変わった。

「はい、こんにちは。祈さん」

隣いい?と訊き、彼の隣にお邪魔する。その際に彼は私が座りやすいように、と少し横に退いてくれた。細かい気遣いが出来る善い子である。
この孤児院で息抜き出来る場所は限られている。常に子供達が得点を稼ごうと目を光らせている為、安らげる場所が無いのだ。私は得点稼ぎの対象では無いのだが、常に誰かに見られているような感じがして息が詰まりそうなのだ。
そんな時に見つけたのがこの書庫だった。本を読む人が少ないのか、この辺りには誰も近寄らない。手入れもこまめにされていないからか、本は常に埃を被っている。
快適とは言えないが此処なら休めるだろうと思って中に入った時に出逢ったのが敦くんだった。彼は懲罰隔離の回数が他の子よりも多いらしく、子供達の絶好の得点稼ぎの対象になっているようで此処で過ごす事が多いらしい。最初は警戒されていたが私の目的と心情を正直に話すとある程度心を許してくれたようで、今ではこうして時折静かなこの場所で一緒に本を読んだり、会話をしてくれるようになった。

「お仕事は終わったんですか?」
「まだ少し残っていますけどとりあえず休憩が欲しくて…。何だか私ばかり駆けずり回っているような気がする…」
「はは…お疲れ様です」

困った様に笑う敦くんの歪に切られた髪が視界に入る。
何度か彼と関わっているが、敦くんは悪い事をするような子には見えない。寧ろ周りの子達や職員に一方的に虐げられているようにも見えるのだが、本当の処は如何なのだろう。
余程面白い本に出逢えたのか、またすぐに彼の視線は本に戻ってしまった。題名は…私の位置からは見えない為判らなかった。
音を立てない様にそっと足を伸ばして寛ぐ。隣からは時折頁を捲る音がする。特に会話をするでもなく、各々好きな様に過ごすこの時間と空間が好きだ。
今日はこんなに静かだが、時々お喋りもしておりつい花が咲いてしまっていつの間にか時間が過ぎ去っていた、何て事もあった。その後は職員に何処をほっつき歩いていた!と叱られてしまい、目を付けられるようになってしまった。
だからと云ってやめる気もなく、時間を見つけては敦くんとのお喋りや読書を楽しんんでいる。この孤児院に勤め始めてからは彼と一緒に過ごす時間が唯一の安らぎであった。
暫く息抜きをしていた処で隣でパタリと本が閉じられる音がした。どうやら読み終わったらしい。敦くんの表情を見るとどこか満足そうな顔をしていた。面白かった?と訊くとはい!と元気な声が返ってきた。
却説、私もそろそろ仕事に戻らなければ。終始ぼーっとしていただけだったが疲れは十分取れた。衣服に付いた埃を払って立ち上がると、きょとんとした表情の敦くんと目が合った。

「あれ、もう行ってしまわれるんですか?」
「そうですね、もう結構時間経ってますし、そろそろ戻らないと」

彼は吃驚していた様だったが、本に集中していたから時間の感覚が無かったのだろう。私が戻る事を伝えるとそうですか…と寂しそうな表情を見せた。か、可愛い。
私も本の世界から戻ってきた彼とお喋りしたい気持ちはあるが、このままサボっていると本当に子供達の得点稼ぎの対象になりかねない。他の先生方からも好く思われていない為、何とかしてもそれだけは避けたい。
今度若し時間が合ったら色々お話しましょう、と云うと約束ですよ、と返ってきた。その時は今読んでいた本の事とか、お勧めとか色々教えてもらおう。
彼に別れを告げて、そっと書庫を出る。急いで周囲を見渡したが、誰も居らずほっと胸を撫で下ろした。
ああして一緒に居ると敦くんが懲罰隔離の多い問題児には到底思えない。私の知らない処で何かやらかしたのか、と思うが普段の彼を様子を見る限りそんな風には見えなくて益々首を傾げる。
廊下の窓の外を見れば雲一つない快晴だった。干しておいた洗濯物もそろそろ乾いているだろう。他の作業も終わらせなくては。
これだけの快晴なら月も綺麗に見えるだろうな、今夜は月見でもしようかと思いながら作業場へ戻って行った。

eclipsissimo