孤独がほしいと君は泣く

「祈ただいま〜〜〜!」

善い子にして待ってたかな〜〜〜?と上機嫌を隠す事なくそう云って目当ての部屋の扉を開ければ、ベッドの縁に座った状態で驚いた表情でこちらを見る祈と目が合った。
此処は彼女の自室だ。彼女の為だけに誂えた広い部屋で、この部屋の中だけでも生活出来るように色々な物が揃えられている。だが彼女が自ら購入した物は殆ど無く、此処にある物はほぼ私や森さん、姐さんが揃えたものばかりだ。……最近はあの蛞蝓が色々置いて行く事が増えているのが非常に気に食わない。
というか早速見つけたんだけど何あの花。前に来た時は無かった筈だけど。はっきり云おう、趣味が悪い。祈に似合わない。十中八九中也からのものだろう。自分の勘がそう云っている。後で捨てておかなくちゃ。
他に何か無いか確認しながら祈へ近付けば、彼女は座っているベッドの縁から今にも立ち上がりそうな姿勢をしていた。彼女の格好を一通り見て成程、と独り言ちる。
「何処かへ行くのかい?」と訊いてみれば、彼女は何故かばつが悪い表情をした。

「ビルの中を散策しようと思って」

答えは判りきっていたが、そう、と返答する。彼女が行ける場所なんて限られているというのに、我ながら意地悪な質問をしたと思う。
此処へ来た目的を思い出し、居心地が悪そうにしている祈の前に立つ。

「却説、異能無効化しないとね。私が来るまで不安だっただろう、今すぐ……」
「あ……それが今日は調子が善いみたいで。普段とそんなに変わらないですし、わざわざ無効化して頂く程のものでもないかと」
「おや、そうなのかい?」

珍しい事もあるものだ、と内心呟く。
まあ、抑も何故彼女の異能が暴走するようになったかも判らないのだから、こういう事も起こり得るのかもしれない。

「少しは制御出来るようになったって事かな」
「どうなんでしょう……そうだったら、善いんですけれど」

そう云って彼女が力無く微笑む。それにつられて私もつい笑みが溢れた。嗚呼もう、この子は本当に。

「祈。君は嘘を吐くのが下手だね」

唐突にそう云えば彼女の目が見開かれた。私が気付かないとでも思っているのだろうか。

「君が今どんな状態かなんてすぐに判るよ。異能が暴走している時、君は必ず私の目を見ない。否、見えないが正しいかな」

「異能力が暴走している時、君は対象がある場所を想定して見ている。だから何時も視線が定まってない。今もそう、私の顔が何処にあるのか予想しながら私を見ているよね」

違う?と問えば、彼女の肩が一瞬びくりと震えた。
怖がらせる心算は無いのだが、彼女はそう思ってはいないらしい。私の視線から逃れるように顔を背けてしまった。

「ねぇ。試しに私の目を見てみてよ」

恐る恐るといった様子で彼女が顔を上げて私を見る。その目には明らかに困惑と恐怖が浮かんでいた。そして矢張り視線をあちこちに動かして私を見ている。頑張って私と視線を合わそうとしているが、一瞬だけ視線が合っては外れるという事を繰り返している。
異能力が暴走している間、彼女にとって世界はどのように見えているのだろうか。私の異能に頼らなければ真面に生活出来ないくらいの彼女にしか見えない世界に興味をそそられる。この酸化する世界と、彼女が今見ている世界。どちらがより醜悪なのだろう。
怯えた表情で私を見る祈につい笑みが溢れてしまう。嗚呼可愛い。このままずっと見ていたい気持ちにもなるがぐっと抑え、彼女の手首を掴む。
急な事に驚いたのか彼女は腕を引っ込めようとしたが、私が手首を握る手に力を込めた為それは叶わなかった。そのまま人間失格で彼女の異能を無効化させる。
驚いた表情で祈が私を見返す。先程のように視線があちこちに彷徨う事なく、真っ直ぐ私を見つめてくる。彼女の怯えた瞳と視線がぶつかった。

「矢っ張りね。どうして嘘を吐いたの」
「……」
「それにビル内の散策と云っていたけれど、本当は違うよね?……外に出ようとしていたでしょ。
外出するなら必ず私か中也に相談してからって何時も云ってるよね」
「……」

問い詰めれば祈が目を逸らした。程なくして「ごめん、なさい」と小さな声で彼女が謝るのが聞こえた。
前にこのポートマフィアの本部ビル内なら行動しても構わないと許可してから、彼女はより一層外に出たがるようになった。監視カメラや他の構成員の目を掻い潜って何時の間にか居なくなっていた、なんて事も珍しくはない。しかも決まって私が不在の時を狙って行うものだから油断も隙も無い。
……仮に逃げられたとしても彼女には発信機と盗聴器を付けているから、連れ戻すのは造作も無いのだけれど。
俯いてしまった彼女の表情は此処からではよく見えない。ただじっと黙っているだけでこちらを見ようともしない。まるで親に叱られて拗ねる子供のようだ。

「……まあ、判ってくれたのなら善いけど」

そう云えばまた彼女の口からごめんなさいと謝罪の言葉が聞こえた。静かに溜息を吐く。ここで叱ってもまた同じ事を彼女はするだろう。閉じ込めても連れ戻しても、彼女は此処から出て行こうと、世界を見ようと何度も同じ事を繰り返す。

その世界を見れるのは私の異能力があってこそのものだというのに。

私無しでは生きられないというのに。

「……そうだ。これから何処かに出掛けようか」
「……え?」
「今日は特に用も無いし、外出に付き合ってあげるよ。何処か行きたい処はあるかい?」

ふと思い立ってそう問いかければ、長い沈黙の後「クレープ」と彼女がぽつりと云った。どうやら前に連れて行った処のクレープがすっかりお気に召したらしい。外に出れると判って少し機嫌は直ったようだが、僅かに不満そうな表情をしていた。
祈が本当に欲しているものがこういうものじゃない事くらい判っている。だが彼女が一人で行動するのを許す訳にはいかない。
行こうか、と促せば祈はそれに大人しく従い立ち上がった。そのまま彼女の手を引いて二人で部屋を去る。あのクレープ屋と、それから何処に行こうか。そうだ、花屋で花を購って行こう。あの趣味の悪い花の代わりにもっと祈に似合う新しい花を飾ろう。

可愛くて可哀想で仕方がない、愛しい祈。

私の傍でしか生きられないという事を、君は何時になったら理解してくれるのだろうか。

eclipsissimo