楽園は未だ遠く

異能がこんな状態である為太宰さんの不在時は外出はおろか自室すら基本出るのを許されてはいないのだが、この前遂に、流石に息が詰まるだろうしと本部の中ならば移動しても構わないと首領と太宰さんの許可を得る事が出来た(太宰さんは滅茶苦茶渋っていたが)。けれど正直、自室に閉じ込められているのと大差無いと思った。ポートマフィアのビルは広いが、玄関まで行けたとしてもその先へ行く事は出来ないからだ。正面玄関には他の構成員が立って見張っているし、監視カメラだってあるから迂闊な事は出来ない。すぐ其処には私が行きたいと願ってやまない外の世界が広がっているというのに。
だからと云ってポートマフィア本部で大人しくしている私ではなかった。
一人で外に出たいし一人の時間が欲しい。その為、何とか外に出られないか以前よりも画策するようになった。……まぁ外に出れたとしても、ほぼ毎回太宰さんとか……それから中原さんに連れ戻されているのだが。
しかし今回は違った。今日は太宰さんが仕事で不在。しかも今、異能が暴走していない。こんな偶然は中々起こらないのだが、起こった時は外に出る絶好の好機だった。
外の世界に飢えている私がその機会を逃す筈もなく、逸る気持ちを抑えてエレベーターに乗り込んで下のフロアを目指す。
因みに所々監視カメラが仕掛けられている本部をどう抜け出しているのかと云うと、構成員の人達の影に隠れたりして移動している。仮に見つかって声を掛けられたりとかしても任務だとでも伝えれば特に何も云われない。正面玄関からは流石に出れないので裏口へ向かう。だが幸い誰にも見つからず、こっそり本部を出る事に成功した。監視カメラには映っているだろうからすぐに連れ戻されるかもしれないが、こうでもしないと外出出来ない私の心情も理解して欲しい。
一応他の構成員が居ないか周囲を見渡しながらビルを離れる。だがその様子をある人に見られていた事に、すっかり浮かれ気分になっていた私は気付けなかった。

***

今日の横浜は天気が善い。しかも今の私は至って健康そのもの。こんな時に部屋に閉じこもるというのが無理な話だ。お金は少し持ってきたから、異能が暴走しない限り喫茶処くらいなら行けるかもしれない。どうせすぐに迎えも来るだろうし、時間が許す限りは外でぶらぶらしていよう。
あまり遠くまで行けないのが少々辛い所だ。異能力の制御さえ出来れば、皆と同じように好きなように行動出来るのに。制御の訓練は一応行ってはいるが成果は芳しくない。
私が知る限りポートマフィア内で異能を制御出来ない人は見た事が無い。こんな事になってしまっているのは私だけだ。私と彼らで一体何が違うのだろう、と考えながら歩く。
暫く歩いていると人通りの少ない所に出た。知らない場所だった。だが此処からでもポートマフィアのビル群が目視出来る為、最悪迷ってもあれを目印に向かって行けば帰る事も可能だと知ってほっとする。此処から見えるビルの大きさから、何時もより少し遠くまで来てしまったようだ。この辺りは知らないし迷うと大変そうだから一度戻ろうと考えたその時、突然何処かで銃声が響いた。

「な、何?」

何処か、とは云ったが場所はそう離れていない。それに銃声以外にも大きな音がする。爆発音のような、何か大きな物が地面に勢いよく衝突したような激しい音だ。誰かが闘っているのか?若しかして、同じ黒社会の組織が近くに居るのだろうか。
巻き込まれない為にも兎に角この場から離れた方が善い。ポートマフィアの本部に戻ろうとして背後を振り返った。
が、先刻まで誰も居なかった筈の其処には見慣れない黒服の男が数人、険しい表情で真っ直ぐに私を見据えて立っていた。彼らの手には銃が握られ、銃口が迷い無く私を捉えている。
逃げなければ。あの男達の狙いは紛れも無く私だ。だが普通に走っても無傷で済むだろうか。それに、銃弾に当たらなかったとしても捕まるかもしれない。そう思って無理矢理異能を発動させる事も考えたその瞬間、男達の頭上を大きな影が覆った。男達が見上げるのと同じように自分も見上げたが、それが何か確認する間も無くそのまま何かが急速に降り注いで男達に襲いかかり、地面に衝突して激しい音と共に土煙が舞った。何が起こったのか判らないが、それに思わずよろめいて二、三歩後ろに下がると背中が何かに当たる感触がした。
思わず振り返って見上げれば知らない男が其処に立っていた。服装が先程の男達と酷似している事から、あの男達の仲間だという事はすぐに判った。
男が私に手を伸ばす。突然の事で反応が遅れてしまった為、避け切る事が出来ない。恐怖で思わず目を瞑る。
その瞬間、すぐ傍で風を切るような音がしたかと思えばそれから間もなく衝撃音が聞こえた。自分の身には何も起こっていない。何が起こったのか確かめようと恐る恐る目を開けると、目の前には先程の男ではなく違う人物が立っていた。
大きな黒い外套と黒い帽子。その黒の合間から見える紅鳶の髪。
その人は私に背を向けていたが、その特徴だけで何者かよく判った。その人を私はよく知っていた。

「祈に気安く触んじゃねェ」

地を這うような低い声で彼が云う。
何が起こったのか判らないまま呆然と目の前の彼の背中を見つめる。程なくして彼が振り向くと、透き通った青い瞳が私を捉えた。

「中原、さ」
「……なあ、祈。外は危険だって前にも云ったろ」

彼は溜息を吐いた後呆れたようにそう云うと、私の視界を覆うように腕を広げそのまま私を腕の中に閉じ込めた。後頭部に手が回されて額を彼の肩に押し付けるような感じになり、一瞬で視界が黒に染まる。その寸前、遠くで先程の男が身動き一つせず倒れているのが見えた。
それに先程までの喧騒が嘘のように辺りが静まり返っている。若しかして、私を撃とうとしていたあの男達も中原さんが倒してくれたのだろうか。
それに安堵の溜息を漏らすと、意図せず異能が発動したのが判った。暴走し始めて視覚、聴覚、触覚といった凡ゆる感覚が少しずつ、だが確実に可笑しくなっていく。私を包む彼の体温が遠ざかる。

「戻るぞ」

中原さんの声も遠くに聞こえる。
彼は何時もそうだ。外は危ない、危険だ、私が怪我したら如何する、と云って外には出してくれない。太宰さんもそう。今日もこれからも、こうして幾度も彼らに見つかってはあの部屋に連れ戻されるという事を繰り返すのだ。
私の目の前に居るのは中原さんの筈なのに、狂う感覚にそれも判らなくなっていく。それが不安でつい目の前の彼の衣服を掴んでしまった。恐らく彼の外套だろうが、黒しか見えない視界と感覚が鈍くなった指先ではそれが本当に何なのか確かめる術は今は無い。
顔を上げて彼の顔を見る事も出来ない私は、彼の言葉にただ頷く事しか出来なかった。

eclipsissimo