リボンをかけて水底へ

「……というのが、今回の任務の内容だ」

首領から伝えられた今回の任務の内容に判りました、と返す。
まぁ結局いつも通りに敵を殺せという事だった。難しい事なんて何も無い。これで異能が云う事を聞いてくれれば何も文句は無いのだが。
祈をまた任務に行かせるなんてどういう事!?リンタロウの馬鹿!とエリスちゃんが首領の傍らで叫んでいる。結局あれから私の傷が癒えてもこうして直ぐに任務が入ってしまった為、エリスちゃんとのお茶会はまたの機会になってしまった。それに大層お怒りなのかエリスちゃんは首領をぽこぽこと叩いている。

「痛い痛いごめんよエリスちゃん!今回の任務に祈ちゃんは絶対に欠かせないんだ」
「前も同じ事云ってたわ!もう同じ手には引っ掛からないんだから!」
「いてててててててて本当!本当の事なんだよエリスちゃん許しておくれ」

エリスちゃんが首領の髪?を引っ張っているのと、それに困っている首領が見える。困っていると云っても本当に困ってはいないんだろう。私の目では姿からは確認出来ないが声が一寸嬉しそうだ。
一通り落ち着いたのか首領はごほん、と咳払いをすると私に向き直った。

「という訳で、今日はあまり怪我をして帰って来ないように」
「…………善処します」
「少し間があったけど気の所為かな?ふむ、云い方を変えようか。
良いかい、これは命令だよ。絶対に怪我をして帰って来ないように」

良いね?と訊かれた為、頑張りますと義務的に返事をした。
お茶会に誘ってくれるのは嬉しいのだけれど、私には出された紅茶やケーキの感想を述べる事も出来ないのに、エリスちゃんは私を誘って本当に楽しいと思ってくれているのか甚だ疑問である。
私は味が判らないというのに。

***

普段と同じ要領で任務を終えて他の構成員達からの迎えを待つ。この場には倒れ伏した敵組織の構成員数名の死体と私だけが居た。
この後は部下にあたる構成員達に囲まれながら送迎の車へ向かう。表面上は過保護極まりない警備だが、実質私を監視して異能力を駆使して暴走しないように見張っているだけだった。
まるで囚人だ。何か一つ好きな事をしようにも移動すらもまずは誰かの許可が要る。それは首領だったり太宰さんや中原さんといった上司だったり、承認を貰う対象は様々。普通の人が何気無く普通にする事にも私の場合はまずは誰かからの許可が必要だった。誰も私の意思など尊重どころか気に留めてくれる事すら無い。ただぽつんとボードゲームの駒のように必要な場所に配置されて敵を倒して、用が済んだら回収の繰り返し。
ポートマフィアに入ってからはずっとこうだったから感覚も麻痺してきているのかもしれない。今の状態に慣れきってしまって状況を変えようという気すら起きない。これが善い事なのか悪い事なのかすら判断もつかない。
足元の死体すらどうでもいい。ぼうっと夜空に浮かぶ月らしき光を何も考えずに只見つめていれば背後から雑音混じりの声が聞こえた。

「祈」

いつもと変わらず非道いノイズが邪魔をして聞き取り辛い事この上無いが、この声の持ち主を私はよく知っている。ポートマフィアの中で私が唯一思わず縋ってしまいそうになるくらい、優しい光を携えたその人。

「祈、俺だ」

ばっと音がするくらいの速度で振り向く。そこに居たのは何時もと同じ人型の異形だが、私にはそれが誰なのかすぐに判った。

「作之助さん」

名前を呼べば「ああ」と返事が返って来た。ただそれだけの事なのに非道く安心感を覚えて無意識にほっと息を吐いた。
以前私の送り迎えの一員として彼も参加していたらしく、それ以来何度か顔を合わせる事があった。最初は異形の有象無象の一人にしか思えていなかったが、私を人形呼ばわりする構成員の中で彼だけは最初から私を人形とは呼ばなかった。名前を呼んでくれた。私と彼は上司と部下の関係だから敬語で余所余所しく感じたけれど、この組織の中で最初から私を名前で呼んでくれた人は数えるくらいしか居ない。

「任務は終わったのか?」
「はい」
「そうか」

私を人形とは呼ばない彼の顔が見てみたい。どんな顔をしているんだろう、どんな声をしているんだろう。人の顔も真面に認識出来ない私は、彼の目があるだろうと思う所に視線を送る事しか出来ない。

「戻るか」

す、と迷い無く差し出される手らしきものを見て思わず涙が出そうになる。
私の異能しか興味を持っていない他の構成員とは違う。この人は私を見てくれている。
ゆっくり、恐る恐るといった様子で彼の手を握ろうとしたが、首を激しく横に振って手を引っ込めて大丈夫だ、と返答する。そうか、と彼は多くを語らずにそれだけ云うと差し出した手を下ろした。
「戻るぞ」でも「戻ろう」でもなく「戻るか」。作之助さんは無意識なんだろうけどそう聞いてくれる。そんな彼の事を、私は屹度。
自分の異能が憎くて仕方がない。今の私が彼の手を握ろうとすれば忽ち彼の手は粉々に砕けてしまうだろう。こんな力が無ければ彼の手を握る事も出来た筈なのに。
先を歩く彼の背を見つめる。歩調はゆったりとしていて私がゆっくり歩いても簡単に追い付ける速度。それに嬉しさとほんの少しだけの寂しさを覚えながら彼の後を付いて行く。
歩きながら俯いて自分の手を弱々しく握る。普通の女の子に生まれる事が出来たなら、屹度彼の手を迷い無く握れただろう。何の柵も感じる事も無く彼の横を歩けただろう。彼の顔も見れただろう。真っ直ぐにその視線に応える事も出来ただろう。それすら全て叶わない夢未満の何か。
一層の事こんな願いを抱く私すら消えてしまえば良いのに、と溢れそうになる想いに厳重に蓋をした。

eclipsissimo