わがままな温度

影山と幼馴染夢主
中学生くらい



「これ、ほんっっっと助かった!ありがとう苗字!返すの遅くなってごめんな!」

放課後、部活終わり。そう言って名前に教科書を差し出す形で頭を下げて謝罪を述べるのは名前の隣のクラスの男子生徒だった。彼も名前と同じ運動部で1年の頃体育館で部活をしていた時に彼から「お前俺と同じ学年の苗字だよな?」と声をかけてきたのが知り合うきっかけだった。
誰にも物怖じせずコミュニケーションを取れるクラスの人気者らしく、その噂は隣のクラスの名前の耳にも入ってきていた。部活内の仲間からの人望も厚く次の主将は彼じゃないかという噂も流れる程だ。その噂に違わず彼は偶々体育館に居合わせただけの名前に声をかけてきて今は会ったら他愛無い会話をするくらいには打ち解けていた。

「ううん、今日はその授業無かったし大丈夫」
「すまん、次は忘れないようにするわ……申し訳ねぇ事した……」
「だから大丈夫だってば。まぁ……ずっとこの調子で忘れられると流石に……とはなるけど」
「だよな!今後はうっかりしないようにするわ!」
「ごめんごめん、冗談だって。今日みたいに授業被らなければ教科書くらい貸すよ」
「神か!」
「大袈裟な」

異性で軽口を叩けるくらいの同級生といったら彼くらいのものだった。名前は元々自分の持ち物だった教科書を受け取るとさっと鞄にしまった。お互い部活を終えてからのやり取りであった為、既にどっぷりと日が暮れて辺りは暗い。
他愛無い会話をしながら彼と一緒に校舎の外に出る。相変わらず話しやすいなぁなんて思っていると彼が何かに気付いたようで「あ」と声を上げた。

「……あそこに誰かいる?」
「……え?」

彼に言われて正門を見やると校門のすぐ側にぽつんと立つ背の高い人影が見えた。黒く短い髪の丸い頭。同じ北川第一のジャージ。ポケットに突っ込まれた両手。肩から下げている大きなエナメルバッグ。遠目から見てもわかる。あれは幼馴染の影山だった。
影山は機嫌が悪そうに元々悪い目付きを更に悪くさせて眉を顰めじろりとこちらを睨んでいる。明らかに視線は名前達に向けられていて暗がりの中で向けられるあまりの眼光の鋭さに顔を見慣れているはずの名前も思わず青筋が浮かぶ程だった。

「え、こっわ……誰だ?同学年にあんな奴いたっけ。苗字の知り合い?」
「あー……うん、まぁ」

とひそひそ言い合っていれば影山はより一層不機嫌オーラを纏って顰めっ面を更に厳ついものにさせると両手をポケットに突っ込んだままずんずんとこちらに向かって来た。その迫力に今日何か約束とかしてたっけ?と思いを馳せるが思い当たる節は何も見つからない。そもそも影山は中学に入ってより一層バレーに打ち込むようになったし、部活が終わっても一人で残って練習する事もあるらしく、お互い時間が合わなくなって一緒に帰る事も昔と比べて断然少なくなった。一緒にバレーをする事も減り、影山は幼い頃のようにトスを上げてくれとせがむ事も練習付き合ってくれと言う事も無くなった。隣に立つ同級生と影山が知り合いとは思えないし、恐らく自分に用があって影山は待っていたのだろう。しかし、幼馴染と言えど交流が極端に減った今、彼が自分に会いに来るというかこうして待ち伏せしているなんて珍しい。疑問に思っているとその間もずんずんと柄が悪そうにやって来た名前に距離を詰めると影山は厳しい眼光で名前達を見下ろした。

「背たっか……!つか怖!」
「……あの。俺こいつに用があるんすけど、良いっすか」
「ハ、ハイ!邪魔してすみません!用があるんなら早く言えよ苗字!邪魔して悪かったな!じゃあな!」
「え!?ああ、うん!じゃあね!」

同級生は青い顔をして早口でそう告げると足早に校門を出て去って行った。あまりの素早さに条件反射でこちらも別れを告げるとその場に残ったのは呆気に取られた名前と影山だけになり気まずい沈黙が辺りを支配する。そもそも何で影山はこんなに不機嫌なのだろう。普段から愛想が良いとは言えないがここまで感情を露わにするのも珍しい。何か気に触る事でもしただろうかと内心冷や汗を浮かべていると未だに険しい表情のまま影山がぼそりと呟いた。

「さっきのやつ、誰だ」
「え?」
「さっきの男。お前の知り合いか」
「知り合い……というか隣のクラスの人だけど……何か?」
「何で隣のクラスのやつがお前に話しかけて来るんだよ」
「教科書貸してたんだよ。忘れちゃったからって」
「何でお前に借りに来るんだ。他の奴でもいいだろ」
「えっ……さぁ?話しかけやすいとか?かなぁ」

とは言ってみるもののなぜ彼が自分にわざわざ教科書を借りて来たかなんて本当の理由はわかるはずもない。同級生、特に異性の中でもかなり話しやすいタイプだと思うが、でもそれ以上の理由はきっと無いだろう。彼は元々コミュニケーション能力が高い人気者だし、お互い運動部だという接点があっただけに過ぎない。
なぜ影山が不機嫌なのかわからないまましどろもどろに答えてみせると「チッ」と舌打ちされた。今まで見せなかった態度の悪さに驚いていると影山は名前から背を向けて歩き出した。しかし、その後ろを名前が着いてこない事に気付くと立ち止まって顔だけ少し振り向かせてじろ、と睨んで来た。

「……帰んぞ」

一緒に帰る、という事だろうか。判断をつきかねていると「早くしろ」と急かされた。焦って影山の傍に駆け寄る。それを確認した影山は前を向くとすたすたと歩き出した。影山は背も高ければ足も長い。そのせいか些か早い歩行速度に追いつくように時折駆け寄る形で着いていけば、それに気付いた影山が歩幅を名前に合わせてゆっくりと歩いてくれるようになった。こういう所は変わらないなぁ、と少し微笑ましくなりながらも適度な距離を保ちつつ彼の後ろを歩いて学校を後にした。
しかし、会話が無い。てっきり何か用事があって話しかけに来たのかと思ったがそうでも無いらしい。それに不機嫌の理由も気になる。直情的な影山だから普段は素っ気ない性格でも、一度喜怒哀楽を露わにするとその原因が案外わかりやすかったりする。でも今回はその理由がわからない。授業とか部活で嫌な事があった?などとしか思い浮かばないがこうも聞くのも憚られるような不機嫌な態度を前面に出されると聞きづらい。お互いの自宅に着くまでまだ時間がある。何とかこの静寂を断ち切ろうと無理矢理話題を上げた。

「そ、それにしてもこうして会うなんて久し振りだよね!そっちはどう?男子バレー部は」
「……まぁ、それなりに」
「それなりにって……何か飛雄らしくないね。いつもだったらあの選手が凄いーとか、あのプレーが凄いーとか言って来てたのに」
「……あぁ、それだと上手くて、すげぇジャンプサーブ打つ人がいる。トスも精度高いし俺もあんな風に打ってみたいと思う。でも教えてくれない」
「へー、そんな人いたっけ。男子バレー部は詳しくないからなぁ」
「……?知らねーのか、あの人の事」
「?あの人?誰?」
「……別に。知らねぇならお前は知らなくていい」

ぶっきらぼうに突然言われたその言葉にカチンと思わず固まった。いつも(というか主に小学生の頃までの記憶だが)ならばバレーに関する事ならば何でも嬉々として教えてくれていたのに今回はまるで突き放すかのように素っ気ない態度を取られた。まぁでも影山ももう中学生だし、多感な時期だし何か心境の変化があったのだろう。いつまでも昔のように仲良く、なんて出来ないのかもしれないなぁ。
しかし、男子バレー部にそんな凄い人がいただろうか。男子バレー部とは交流が無い訳ではないが部員の事はよく知らない。唯一交流があるとすればよく声をかけてくる同学年の中に及川という人がいるが、彼がそんな凄いプレーヤーだったとは記憶に無い。誰の事なんだろうなぁと思考を巡らせていると不意に影山が振り返った。

「もうあんな事すんなよ」
「?あんな事って?」
「だから、教科書の貸し借りとか。……あとさっきみたいにヘラヘラ男に話しかける、とか」
「へ、ヘラヘラ!?そんな事してないんだけど!?」
「さっきだけじゃなくて誰彼構わずヘラヘラしやがるじゃねぇか。気にくわねぇ。もう二度とすんじゃねぇぞ」
「まるで私の事ずっと見てきたみたいな言い方だね……」
「まぁ間違いじゃねぇし」

ここで普通の女子ならばドキッとしたのかもしれないが相手はあのバレー馬鹿でバレーが世界の中心の影山飛雄だ。偶々目に付いただけで、彼にはそんな思惑は恐らく無い。朝も晩も彼の脳内を占めるのはバレーで他の事など眼中に無い。でもそんな影山が名前の交友関係に口を出してきた。それだけで驚きを隠せないのに「ヘラヘラするんじゃねぇ」と命令に近い事を言ってきた。何故か苛々したままそう告げる影山に名前は不信感を募らせる。

「そこまで飛雄に言われる筋合い無いと思う、けど」
「あ?何言ってやがる。女友達ならともかくお前には俺がいればそれで充分だろ」

だから他の男とは縁を切れ、とそう間接的に言われた。まさかの事態に唖然とした名前はぽかんと口を開けている。だが次第にその意味を理解すると沸々と小さいながらも怒りがこみ上げてくるのがわかった。

「そんな言い方……無いんじゃないの……」

急激に変わった幼馴染の態度。ぶっきらぼうな「他の男とは仲良くするな」宣言。いくら普段怒らない名前でもここまで口に出されるとまるで自分の領域に土足で踏み込められた嫌悪感と苛立ち、それからなんとも言えない悲しさがないまぜになって負の感情が湧き上がる。理由のわからない幼馴染の不機嫌も相まって尚更気分が悪くなる。相変わらずすたすたと歩調を合わせつつ一歩前を歩く影山の背中を睨みつけて思わず言い返してしまった。

「そうは言われても他の人と交流無くすなんて無理だよ。私だってクラスメイトや部活仲間とは仲良くしたいし、いきなり関わるななんて言っても相手が戸惑うだけだよ。そんな事できない」
「あ……?」
「そもそもへらへらなんてしてないし私の交友関係まで口を出される筋合いなんて無い。私には私の付き合いがあるし、私が誰といようがそれは私の自由。飛雄だって自分の交友関係にあれこれ口出されたら嫌じゃないの?」
「知るかボゲ。俺の事なんざどうでもいいだろ。今はお前の話してんだろうが」
「どうでもよくない。じゃあ飛雄は私から『バレー部の人と仲良くするな』なんて言われたらどう思うの?」
「別に。あいつらは友達でもなんでもねぇし、ただのチームメイトってだけだ。仲良くなんてしてる覚えはねぇ」
「……そうですか」

言い返した自分が馬鹿だった。確かに影山は自分でコミュニケーションを取りに行って友達を作るようなタイプではない。彼の物事を考える基準は全てバレー。友達が多いとか少ないとかで悩む人物ではない。
不完全燃焼だ。この幼馴染に盾ついてもずっと平行線だろうな、と名前は行き場の無い苛立ちを無理矢理飲み込んだ。自分は影山より2歳上。来年には高校生だ。大人にならなければ。

「……でも、そういう言い方は良くないんじゃないかな。女の子に怖がられちゃうよ」
「女?そんなん興味ねぇし、どう思われても知った事じゃない」
「またそんな事言って……飛雄モテるだろうに勿体無いよ」
「そういうの興味無ぇ」
「でもいつか飛雄にも彼女、とか出来るだろうし、言い方悪いけど女の子の扱い方とか覚えておいた方が後々タメになるんじゃないかな」
「は?彼女?何でそんな話になるんだ」
「え?だって飛雄ももう中学生だし。……あ、もういたりする?」
「……は?」
「……え?」

影山が立ち止まって信じられないものを見る表情で名前に振り返る。急に噛み合わなくなった会話に名前も戸惑いを隠せず立ち止まりたらりと冷や汗が背を伝う。
目を見開いてこちらを見下ろす影山に私何か変な事言った?と先程までの会話を振り返るが何もおかしな点は見つからない。彼女がいるとかいらないとか、そういう恋話的な事を言っただけなのに、何だこの空気は。そう思っていると忽ち影山の機嫌が急降下し鋭い目つきで名前を睨みつけてきた。

「……本気で言ってんのか、テメェ」
「ほん、き……?本気も何も、私変な事言ったっけ……?」
「言っただろうが。俺に彼女がどうとか、ふざけてんのか」
「ふ、ふざけてない!あ、でもバレーに集中したいもんね。そういうのはまだいいよねって感じだよね、ごめん」
「まだいいも何もここにいんだろうが」
「…………え?」

不機嫌を露わにそう言う影山の言葉に名前は硬直した。理解できない。ここにいる?誰が。今帰り道の途中にいるのは、自分と、影山だけ。他に誰もいない。
今まで何の話をしていたんだっけ、と思い出そうとするも頭の中が真っ白になって何も思い出せない。何でこんなに幼馴染が怒っているのか、名前はてんで理解出来なかった。

「……あの、どういう……ごめ、全然わかんな……」
「……ッ、わかんねぇっつうんなら」

グイッと痛い程の力で腕を引っ張られ、思わず前につんのめる。このまま影山の身体にぶつかる!と思ったところで顎をぐっと掴まれ、それも中々の力加減だったものだから痛いと思った瞬間、何かががぶりと唇を喰らい尽くすかのように勢いよくぶつかった。
その感覚に驚いて目を見開いていると至近距離で青みがかった黒曜のつり目と視線がぶつかる。睫毛も顔に当たりそうな程近い。何が起こったのかわからず何も出来ないでいたが、状況を理解すると思わず反射で離れようと影山の肩を押したかったが掴まれた腕はびくともしなかった。

「……っ!ん、ん……っ!」

呼吸もままならなくなってもう限界だと影山の胸板を叩くと漸く解放された。はっ、と酸欠から回復しようと顔を背けるが息を整えるのが精一杯で思わず影山のジャージに縋り付けば同時にずるりと脚の力が抜けていく。このままじゃへたり落ちる、と思えば背中と腰を支えられて影山に密着する形で膝が地面に着く事は免れた。

「……これでわかったかよ」

同じく少しだけ息の荒い影山がぼそりと呟く。こんな事をされるなんて、いやそもそも飛雄がこんな事をするなんて、と信じられない思いで呆然としたまま体重を預けていたが、今の自分の状況に気付くと思い切り幼馴染を突き飛ばした。先程とは裏腹に思いの外拘束はあっさりと解かれて影山と自分の間に隙間が出来る。
顔が熱い。きっと今の自分の顔は傍から見たら真っ赤に違いない。でもだってあんな事されたら誰だってきっとこうなる。
恥ずかしくて俯いているとふっと影山が笑ったような気配がした。

「帰んぞ」

恐る恐る視線を上げれば前を向いて歩く幼馴染の背中が見えた。名前を待っているのかその歩調はゆっくりだ。いつもなら誰彼構わず置いていくのに。
結局さっきのはどういう事なんだろう、と酸欠の頭でぼんやりと考えながら心なしか重い脚を自分も動かして影山の後ろに続く。距離を詰める勇気は出なかった。

お題元:子猫恋様