愛を持って毒を征す

影山幼馴染と及川さん



インハイ予選を目前に控えた青葉城西との練習試合は烏野の2−1の勝利となった。
試合を終えて体育館から戻る際、校門で待機していた及川に捕まり烏野は及川の言葉を立ち止まって聞いていた。彼曰く”アイサツ”をしに来たというが内容は要約すれば「次の試合では徹底的に叩き潰す」といったもので烏野の面々の表情は硬い。対して及川は余裕そうな笑みを浮かべている。

「大会までもう時間は無い。どうするのか楽しみにしてるね」

及川の明らかな挑発的に特に険しい表情になる澤村。その空気を察したのか及川の人となりを知っている影山がフォローに入ろうとすると及川は「ああ、そういえば」と言ったかと思うと烏野に背を向けようとしていたのを方向転換に再び烏野と向き合った。しかし、視線は澤村でも影山でもなくある人物を見据えていた。

「そこにいるの、名前ちゃんでしょ?俺の事覚えてる?」

名前よりも背の高い部員しかいない中、及川はその中から目敏く名前の姿を見つけた。及川の言葉に烏野の面々が一斉に名前を見る。
方々から好奇心やら何やらの視線を受ける中、名前は真っ直ぐにこちらを見据えてくる及川の視線を見つめ返した。

「……及川くん、だよね。覚えてるよ」
「あ、本当?良かった〜。目が合っても何も反応くれないからてっきり忘れられてるのかと思った」
「苗字さんが、あの優男と知り合い……!?」

ゲーンと効果音が付きそうな程ショックを受ける田中を尻目にひらひらと及川が手を振ってくる。手を振り返すべきか否か迷っていると澤村が思い出したように口を開けた。

「そういえば苗字は中学は北川第一だって言ってたな」
「あー、だからか」
「久し振りにこうして会えたんだしちょっと話さない?大丈夫、時間は取らせないから」
「あァ!?てめぇ苗字さんに何を……!」
「田中くん、私は大丈夫だから。ごめん澤村くん、すぐ戻るから先に行っててくれるかな」
「あぁ、わかった。でもあまり遅くなるなよ」
「うん、ごめんね」

部員達に申し訳なく思いながらざっざっと歩き始めた及川に着いていく。一体私に何の話が?と思いながら及川の大きな背中を見つめ大人しく彼の後ろを歩いた。

「…………」

離れていくその2人の姿を鋭い眼差しで影山が見ていた事に名前は気付かずに。



第3体育館に戻って来た所で及川は脚を止めた。人があまり寄り付かないような体育館の脇。すぐ隣には壁。あまり人に聞かれたくない話でもあるのだろうかと疑っていると及川はぐるりと名前に振り向いてお互い向き合う形になった。

「本当久し振りだよね。中学以来会ってなかったし、どう?元気してた?」
「ああ、うん。元気だったよ。……及川くんは?」
「俺も元気してた。相変わらずコーチや岩ちゃんに扱かれながらバレーに励む毎日だよ」
「岩ちゃん?……あ、岩泉くんか」
「そうそう、俺の幼馴染。覚えてないか」
「ご、ごめん……」
「なんてね。まぁ関わりないと忘れちゃうよね」

及川はにこにこと人好きするような笑顔を浮かべているが真意が読み取れない。中学の後輩である影山に用があるならまだわかるが、何故マネージャーである自分を名指しで呼び出したのかがわからない。何を言われるんだろうと不安を払拭するように指先を弄っていると及川は更に言葉を続ける。

「マネージャーやってるんだね」
「あ、うん」
「女子バレー部の中でもピカイチの実力持ってた名前ちゃんの事だからてっきり青城か新山女子とかに進むと思ってたけど、まさか烏野とはねぇ。びっくりしちゃった」
「あ……えっとそれは……」
「何か理由があって烏野に決めたんだよね」
「うん……まぁ……」
「まぁ後はアレだよね。君、膝怪我したでしょ」

突然図星を当てられぐ、と思わず口を噤んだ。誰にも話した事無かったのに、なぜこの男は名前がプレイする側から離れた理由を知っているのか。影山にも話した事は無かったのに。
なんで、と目を見開いて信じられない表情で及川の顔を見上げているとにこ、と及川は確信めいた笑顔を浮かべた。

「やっぱりね。だってある時を境に見るからに脚を庇った歩き方をするようになったからさ。その時スタメンからも外れたって聞いたしもしかしてって思っただけ」
「……」
「部員の中でも有名だった名前ちゃんが突然バレーの第一線から引いちゃうってなったら何かあったのかなって勘繰るのは当然だよ」
「……私、そんなに有名というか、見られてたんだ」
「あれ、無自覚?男子バレー部でも有名だったよ。女子なのに凄いサーブを打つ子がいるって」
「そうだったんだ……何か恥ずかしい」
「ま、俺がずっと見てたっていうのもあるけど」

え?とその言葉に更に驚きを隠せないでいるとずいっと及川の顔が近付いた。近い距離に思わず後ずさるとコツ、と踵が壁にぶつかり次に背中がぶつかった。
それでも尚迫ってくる及川の身体に何も出来ずただ見ているだけしかいないでいると、そっと顔の横に彼の手が付けられた。身長が184cmもあってバレーもしている及川の体格はがっしりとしていてまるで巨人に追い詰められたような気分だ。横には及川の腕。正面には及川の身体。何をされるのかわからず縮こまっているとお互いの呼吸が当たる程の近い距離で及川の動きが止まった。

「君は気付きもしなかっただろうけど、俺はずっと見てたよ。バレーに打ち込む君の事。廊下で擦れ違った時も、帰る時の後ろ姿も、何もかも鮮明に覚えてる」

ふ、と及川の吐息が顔に当たる。そのくらいの至近距離だ。予想外の事態に何も出来ず動けずにいると益々及川の顔が近付いてくる。
整った顔立ち。伏せられた長い睫毛。今すぐにでもまるでキスできそうな近い距離。きっと普通の女子ならば及川にこうされただけでイチコロだろう。だが生憎、名前はとある理由で及川に靡く理由が無かった。

「そうやって女の子達に手を出してきたの、知ってるんだからね!」
「へぶーーーっ!」

はっと名前は我を取り戻すとパァンと盛大に及川に平手打ちをかました。痛そうな乾いた音が響く。及川はまさかそんな事をされるとは露程も思っていなかったらしく先程までのキメ顔は何処へやら、みっともない顔をして頬に紅葉の跡を付けながらよろけて名前から離れた。

「いった!?な、何するのさ!」
「思い出した!及川くん女子に凄いモテてたでしょ!よく差し入れとか貰ってたし、そうやって女子に迫って彼女取っ替え引っ替えしてたって中学の時噂になってたよ!」
「何それ!?俺女子バレー部にそんな風に思われてたの!?すっっっごく心外なんだけど!?」
「あとバレーは上手いけど見た目が良いだけで性格悪いとか、人の事引っ掻き回すのが得意だとか、あと性格悪いとか評判悪かった!そうだ、思い出した!」
「性格悪いって2度も言う必要なくない!?」
「だって実際女子バレー部からはそういう噂しか立たなかったし」
「酷い!そんな事知りたくなかった!」

先程までの澄ました顔は無く、子供のようにぶすくれた表情で頬を抑える及川は実年齢よりも幼く見えた。背は伸びたし顔も体つきも成人男性のそれに近付いたけど中身は何も変わらないな、と過去の記憶を手繰りながら心の片隅で思った。
今ので一気に緊張が解れた。つい手を上げてしまったが不思議と微塵も申し訳ないという気持ちが湧いてこない。それは中学時代の及川の悪評を知っているからか、はたまた別の理由か。ふぅ、と脱力すると相当痛かったのか未だ頬を摩る及川にジト、と呆れた視線を向けた。

「……まぁ、及川くんがどういう交友関係築こうが私が言えた義理じゃないけど、冗談でもそう言うの誰彼構わずに言わない方が良いと思うよ」
「……へぇ。何で?」
「何でって……勘違いする子が増えるでしょ。及川くんモテるだろうし。
 ……あ、そろそろ戻らなきゃ。バスに皆待たせてるから、それじゃ」
「……うん。こっちこそ時間取らせてごめんね」

踵を返して及川に背を向けると皆が待つバスへ向かう。そういえば遅くなると教頭先生に怒られるって言ってたな、早く戻らないと。
そう思って駆け出した所で後ろから自分を呼ぶ声がした。

「名前ちゃん」

静けさの中で凛と響く自分の名前。それに思わず振り返ると及川が不敵な笑みをしてその場から変わらない位置で立っていた。

「さっきも言ったけどさ。次会う時は全力で烏野叩き潰すから覚悟しておいて」
「……烏野は、そんな簡単に潰されない」

そう言って再び及川に背を向けると名前は走り出した。烏野は青城と比べれば未熟な部分が多くて、ちぐはぐでまだ色々危ういかもしれない。次に彼らと当たった時、勝てる保証など何処にもない。次会えたとしても彼らだって進化しているはず。
だからって簡単に潰される訳じゃない。潰されてたまるか。そう意思を込めて名前は走った。

「またね」

後ろから及川の別れの挨拶が聞こえた。結局及川の意図は何だったのかわからないままだった。

***

「……割と冗談じゃなかったんだけどなぁ」
「あ?何がだ」

烏野と別れ青城の第3体育館に戻った及川は岩泉と合流した。その際に調子に乗って対戦相手であった烏野を叩きのめしたい旨を意気揚々と語っているとボコボコと岩泉からボールが飛んできた。痛い!と非難の声を上げるもボールは簡単にはやまず不服そうにしていると及川は再びボールを拾い上げて手で器用に弄んだ。シュルル、と音を立てて指先で回るボールを眺めながら及川は独り言ちるが傍にいた岩泉が及川のぼやきを拾い上げた。

「北川第一で一緒だった名前ちゃん。覚えてない?」
「あ?…………あー、女子バレー部の苗字か」
「そうそう、その子。烏野でマネージャーやってるって知って驚いちゃった」
「へぇ。確かあいつ強かったよな。何で烏野でマネージャーやってるんだ?」
「さぁ?大方怪我が原因だろうけど、烏野に進んだ理由はわかんない」
「怪我なんてしてたのか」
「多分ジャンパー膝だと思う。3年に上がって途中から跳べなくなってたし、歩き方も何かおかしかったし、スタメンからも外されたって聞いたしね」
「そういや確かに途中から見なくなったな。そんな事になってたのか」
「痛みを感じて病院に駆け込む頃には手遅れってパターンも珍しくないしね。多分あの子はそうだったんだと思うよ」

くるくると回るボールを眺めているが思考は過去の記憶に引っ張られていた。元々彼女は才能があったのか1年の頃から度々試合に出ている優秀なプレイヤーだったが、3年に上がり暫くしたあたりから急に体育館で練習したり試合に出る姿を見なくなった。
他の選手の才能と実力に埋もれてしまったか、と最初は思ったがプレイを見ている限りそうは見えなかった。ただその頃から膝にテーピングをするようになった事、時々歩き辛そうにしている姿を見てもしや、と思っていた。そしてその疑念は見事命中する事になる。
同学年だった事もあり彼女の存在は入学した時から知っていた。女子の中でも強いサーブを打つプレイヤーがいる、既に1年で頭角を表している人がいると。思えばその頃から彼女に惹かれていたのかもしれない。明確に意識をするようになったのは3年の時に例の後輩が入って来てからだが。

「……そういえば中学ん時、お前から散々苗字の事聞かされたの思い出したわ」
「あー、そうだね。あの子とは進路別々になっちゃったし俺も部活忙しくなったから高校上がってからは話題に出さなくなってたね」
「気持ち悪い程惚気まくってたのがめっきり聞かなくなって清々した」
「酷!」
「……で、お前はまだ苗字の事引き摺ってたのかよ」
「んー……まぁ、そうだね。そうかも」
「はっきりしねぇな」
「……さっき久し振りに話したけどさ、当時の気持ちだとか何か色々思い出されてやばいなとは思った」
「んじゃあ諦めたって事か?どっちだよ」
「うーん……諦めてはないかな。負けたくないって気持ちは今でもある」
「負けたくないって、誰に」
「トビオ」

シュル、と回していたボールを止めて両手で挟み込むようにぐっと持つ。

「アイツさ、名前ちゃんと幼馴染なんだよ。あのバレーにしか眼中にしか無いような奴が名前ちゃんの事は目で追っかけてんの。距離感も他の子と違ったし、一丁前に牽制してくるし、多分アイツは気付いてないだろうけどあれは確実に名前ちゃんの事好きだね。凄いむかつくけど」
「へぇ、あの影山がか」
「女っ気の無いトビオにそんな子がいるんだって興味本位で近付いたけど、どんな手を使っても名前ちゃん全然振り向いてくれなくってさぁ。流石の及川さんも参ったね」
「女子バレー部はお前の本性に気付いてる奴が大半だったしな。当然じゃねぇの」
「本性ってなに!俺は昔からこうですぅ。
 ……でさ。トビオの片想いの相手を奪ってやったらアイツどんな顔するんだろうなってあの手この手使ったけど全然ダメ。トビオが面白くて名前ちゃんにちょっかいかけたりもしたけど流されるだけで手応え無しだった。あの及川さんがだよ?信じられないよね」
「ざまぁ」
「岩ちゃんさっきから何なの!?……で、後で気付いたんだけど名前ちゃんも名前ちゃんでトビオの事しか見てないんだよ。あの子もあの子で自覚無いんだろうけど、トビオを特別視してる。幼馴染だからかな。あの2人の間に割り込む隙が全然無い事に気付いたんだよね」
「お前にしては珍しいパターンだな。すっぱり身を引いた方が良いんじゃねぇの」
「まさか」

他の部員達が練習を終え撤収作業に勤しむ音が体育館内に響く中、及川と岩泉の周りだけ時間が止まったように静かになり及川の言葉だけが響くような錯覚に陥った。珍しい態度を見せる幼馴染に岩泉は驚きを露わにする。

「初めてなんだよ。こんな風に振り向いて貰えないのも、どんなにアプローチをかけても手応えがてんで無いの。……逆に、燃えてくるよね」

及川の静かな、だがその中にどこか熱を感じる意志の強い言葉だけが耳に入ってくる。口元には自信の表れのように余裕そうな笑みを湛えているのに対し、その瞳はぎらぎらと獲物を狙う猛禽類のように鋭い。

「インハイ予選、楽しみだねぇ」

徹底的にクソ可愛い後輩を叩き潰して、そして。
彼女が自分を瞳に映してくれるのが楽しみで仕方ない。

お題元:子猫恋様