永遠の箱庭


4


 ふと目を覚ますと、隣で眠りにつくコールを見てヴァニタスは安堵のため息をつく。
 コールは"久しぶりに安眠できたのだろう"すやすやと寝息を立てており、しばらく起きる気配がない。

(夕飯の準備しねーとな…)

 ベッドから起き上がると、ドアに隙間が開いてビー玉のように綺麗な青い瞳が四つ覗いているのを見つける。青い瞳は、ヴァニタスが、こちらに気づいたことに扉の向こうから「やべっ」と声がして、扉の前から瞳はいなくなろうとする。しかし、それよりも先にヴァニタスが扉を開ける方が早い。扉の向こうにいた弟達は驚きのあまり、尻餅をついており、子兎のように震えている。

「よぉ、餓鬼ども。俺の部屋に勝手に入るな、覗くなって言ったよなぁ?」
「ヴ、ヴァニ兄…違うんだ!玄関に知らない靴があったから、泥棒が来てるのかと思って…な、ロクサス?」

 先に口を開いたのは茶色の髪をしたヴァニタスによく似た弟であり三男のソラ。性格こそ真逆だが、その顔立ちはヴァニタスによく似ている。
 ソラは逃げるように話を双子の弟であるロクサスに振ると、ロクサスは緊張しているのか口をつぐんで肯定するように首を縦に振る。
 ロクサスは末っ子であり、その顔はヴァニタスの双子の兄であるヴェントゥスと瓜二つだ。その代わりにロクサスはヴァニタスに反抗期的なそぶりを見せることが多い。正直、これにはヴァニタスもどう対応すればいいか困っている。今、この時でさえ、頷く末の弟にどうしたらこれ以上好感度を下げてしまわないかを考えるので精一杯だ。

「だからと言って覗いていい理由にはならないだろ、せめてノックをしろノックを」
「だってぇ〜」
「……へぇ、三人で夕飯の準備サボって遊んでるの?いいね、俺も混ぜてよ」

 一瞬。ヴァニタスの部屋の前にいる三人の空気が固まる。この中にいる誰の声でもない声がしたからだ。その姿を双子よりも先に目にしてしまったヴァニタスは思わず顔を引きずる。双子の弟も同時と言わんばかりに振り向く。

「ヴェ、ヴェン兄!これには深すぎるわけが…」
「そうだよ!元はと言えばヴァニ兄が女の子を…!」
「もう!言い訳しない!二人は早く夕飯の支度!!」

 鬼の形相で後ろで仁王立ちしていたヴァニタスの双子の"兄"のヴェントゥスがソラとロクサスの襟元を掴みあげれば、「ヴァニタスも早く来なよ?」と笑顔で諭されればその笑顔が恐ろしくてヴァニタスは身震いをする。
 昔から、ヴェントゥスは感がいい。コールを連れ込んでいることもきっと”分かって”いる。
 ヴァニタスは今一度自室の扉を開くと、未だ眠りについたまま物音立てずに目を覚さないコールを見てため息をつく。

「呑気な眠り姫だな」

 ヴァニタスは一度扉を開くために扉を足で押さえていたが、その足をわざとらしく退けると扉を勢いよく閉まる。
 誰かの隣で眠っていないコールは、すぐ目を覚ます。それに、夕飯はもう直ぐだ。どうせ食事を共にするなら起きなければならない。容赦なく音を立てて閉めたことによって、下のリビングからヴェントゥスの「ちょっと!」という声が聞こえて、早く行かなければ自分の夕飯は無いだろうとヴァニタスは「めんどくせー」と呟いて部屋にコールを残して階段を降りていく。

 ◇

「遅いんだけど」

 やはり、下に降りるとほぼほぼ夕飯の準備は済んでいて双子の弟たちなんか料理を待ち遠しそうにして椅子に座って待っている。言葉を発したヴェントゥスは順序よく器に盛り付けを始めていて、その皿の数をヴァニタスは頭の中で1、2、3…と数えると、いつもと一つ多く夕食が作られていることに息を呑む。

(こいつ……いつから知って……)

 勿論、ヴェントゥスがことを知ったのは学校から家に帰った後玄関に並ぶ靴の数を数えてからだ。明らかに小さい女性用のローファーは兄弟四人で住む家ではかなり目立っていた。

「ヴァニタスはこれを机に並べといて」
「は?」
「俺だけヴァニタスの彼女を見てないんだよ!?それってずるいと思わない?」

 こいつ…!とヴァニタスは歯奥に力を入れて歯軋りをする。
 ヴァニタスはヴェントゥスの抜かりのない、兄らしくないはっちゃけが苦手だ。兄なら兄らしくしっかりして欲しいと思うのだが、子供みたいに無邪気な様は子犬のようで手がつけられない。
 しょうがない。とヴァニタスは配膳をしていくと、それを横目で確認したヴェントゥスは緊張からか大きく息を吐いて二階へと向かう。ギシリと音を立てる階段を登った先のドアは半開きになっており、夕陽が強く差し込んでいるのが見える。ヴェントゥスはゆっくり扉を開いて部屋を覗き込むとヴァニタスのベッドの上に。身体を起こした少女がいた。ヴェントゥスは彼女を見て、すぐに少女が誰だか分かった。

「コール……?」

 少女は学校で毎日顔を合わせ、なんなら隣の席で今日も話をしたコールだった。でもどこか学校とは雰囲気は違く、儚げで今すぐにでも消えそうな瞳をしていた。いつも自身の隣で笑っていた彼女はどこへやら、もう一度コールのことを呼べばヴェントゥスのことに気づいて二度、瞬きをした。すると、気絶をして身体が崩れ落ちるように倒れて、ヴェントゥスが支えなければその身体はベッドから落ちて顔を打っていただろう。

「コール……?コール!!」
「んっ……だれ、ヴァニちゃん……?」
「俺だよ!ヴェントゥス!」

 ヴェントゥスという言葉に目の前の彼を疑うように二度瞬きをしてからコールは彼の目を見て目の前にいるのが改めてヴェントゥスということを知李、尚且つ抱きが止められている事に動揺したのか、「わっ」と声をあげてそのままヴェントゥスの額とコールの額がすごい音を立てて思いっきりぶつかる。

「「いったーーい!!」」」

 同じタイミングで頭を抱えた二人はお互いにその場に崩れ落ちた。特にコールは今の状況がよくわかっていないため、頭が痛いのは勿論のこと、混乱で目に渦が巻いては頭の上にひよこが走っているようだ。
 ヴェントゥスはそんな様子のコールを見て自身の頭の心配よりも彼女に手を差し伸べる。

「びっくりさせちゃったよな?!ごめん!」
「ううん、私こそごめんね。それよりヴェンちゃんがここにいるってことは・・・」

 コールが不安気にヴェントゥスを見つめるとゆっくり差し伸ばされた手を取る。ヴェントゥスの掌はヴァニタスと違う暖かさを感じて、不安が晴れるような気持ちに変わってすぐに笑顔になる。
 ヴェントゥスはコールのいつもの柔らかい笑顔に胸を撫で下ろした。先ほどまでの今にでも消えそうな彼女の瞳も美しいと思ったが、いつも通りのコールの方が、可愛らしく普通の女の子なんだなと感じさせられた。

「早く行こう!みんな待ってるし、夕飯が冷めちゃう!」

 ヴェントゥスはコールの瞳を見て微笑み返すと、そのまま握った手のひらをそのまま手を繋ぐようにして固く握って手を引いた。いつもの彼女は勝手に人の手を掴み、今のヴェントゥスの様に振り回しているため、自分自身が振り回されるとなると、コールは不思議な感覚がした。
 ヴェントゥスに手を引かれたまま、ヴァニタスの部屋を出て階段を降りては美味しそうなハンバーグの匂いのする廊下を「美味しそうだなー」と思いながら駆け抜けて、リビングの扉を「たのもーー」と勢いよく扉を開く。
 
 リビングに入ったコールは見慣れた顔が二つ多いことにびっくりしてフリーズした。ヴェントゥスが「おーい」と頬をつつく数秒身動きすることはなく、動いたと思えば目を輝かせて子犬のようにヴァニタスの元に駆け寄る。

「ヴァニちゃん!起こしてくれればよかったのに」
「うるせぇ…人の横ですやすや寝てたやつが何言ってんだ」
「もう!起こしてくれればヴェンちゃんにみっともないところ見せなくて済んだのに!」

 まるで新婚のようなやり取りに今度は思わずヴェントゥスと弟であるソラとロクサスがフリーズする。その中で一番動揺していたのはソラで、みんなの目を盗んでお手付きで先に食べようとしていた一口分のサラダを思わず机に落とす。
 ロクサスは反抗期なこともあり、次男であるヴァニタスに対しそっけなくしていたが、こんな兄にベトベトくっつき、それを嫌がるそぶりを見せないことにロクサスは開いた口がなかなか塞がらないでいる。
 ヴェントゥスはいつも通りのだなと安心すると同時にこんな顔をしたヴァニタスを初めて見たと、思考が追いつかないでいた。確かに、この家に来てからのヴァニタスのことしか俺たちは知らないんだなと再認識した瞬間でもあった。

「ささ、二人には聞きたいこともいっぱいあるし、冷めないうちにご飯食べちゃお」

 一番最初に口を開いたヴェントゥスで、ヴァニタスとコールを席に座らせて、ご飯を食べながら自身が四人兄弟の長男であることを説明すると、弟たちの自己紹介から始まる。
「俺はソラ!ヴァニ兄の弟でロクサスの双子のにいちゃん!」
「…ロクサス。四男で末っ子だよ」
「どう?かわいいでしょ俺たちの弟!」

 自慢げににこにこするヴェントゥスとは裏腹にゴキゲン斜めなのか黙々とハンバーグを食べるヴァニタスに、コールはかわいいなとくすりと笑って自己紹介を始める。

「えっと、いきなりお邪魔しててごめんなさい。私はコール!ヴェンちゃんとはクラスメイトで席がお隣!ヴァニちゃんとは…えっとなんていうか幼馴染?みたいな?」
「なんで疑問系なんだよ」
「まぁまぁ!」

 ヴェントゥスがヴァニタスを嗜めると、そんな三人のやりとりを見て、不思議そうにソラが首を傾げる。

「もしかしてヴァニ兄と付き合ってるのか?」
「「え!/“あ?」」

 突拍子もないソラの言葉に、コールは食べようとしていたミニトマトを皿に転がしヴァニタスは口に含んでいた米を少しばかりこぼした。
 二人の関係性は確かに幼馴染というには距離が近い。それは一緒のベッドで昼寝できるほどだ。幼い頃は確かに意味もわからずに「結婚するー!」など(主にコールが)言っていたが、歳を重ね再会してから特別男女の付き合いを始めるわけでもなく、一緒にいた。

「一緒に寝てんだから、付き合ってなきゃおかしいだろ」
「え?!二人ってもうそんな関係なの?」

 勝手に盛り上がる兄弟に、コールは顔を伏せて赤くなっていく頬を隠したが、ヴァニタスは勢いよく机を叩いて立ち上がり、兄弟達を睨みつける。

「そんなんじゃねぇよ」

 ずきり。とコールの中で何かが痛んだ。心臓の近くの何かが、苦しくなって、息ができない。ヴェントゥスは気まずそうに「ご、ごめんね」と謝ると、ヴァニタスに座るように服の袖を引いた。

(なんだろう。確かに私はヴァニちゃんと付き合ってないけど、すっごく苦しくて、悲しい。あんまりまだご飯も食べてないのに、お腹がもう空いてないや)

 コールは俯いたまま、気まずそうに「あの、」口を開くと視線が一気にこちらに向いて、さらに俯く。

「ごめんね、体調わるいみたい。ご飯もご馳走様。私もう帰る」

 コールの言葉は、無機質に静まり返ったリビングに響く。みんなが困ったように静まり返る中、ヴァニタスだけが「おい」と声を出して立ち上がり、椅子をしまうコールを止めようとする。
 コールはヴァニタスの声を聞かないふりをして、リビングを出て玄関へと向かう。それを追うようにしてヴァニタスはリビングを出るが、三人はその光景を見ることしかできずにドラマの光景を見ているようでぽかんとしていた。
 ◇

「おい、待てって!」

 玄関の外までコールを追いかけ、手首を掴んだヴァニタスは声を荒げるが、振り向いたコールの瞳を見て、息を呑む。
 コールの瞳は、綺麗で澄んだエメラルドの色をしていたが、どこか濁り、光を失っていた。ヴァニタスは昔、この瞳を見たことがあった。今、掴んだ手首を離せばコールはどこか消えてしまいそうな気がして自然と握る手に力が入る。

「離して、ヴァニちゃん」
「……離さねぇって言ったら?」
「…………痛いよ」

 気づけばコールの目からボロボロと涙が塊になって溢れていた。
 それに気づいたヴァニタスは咄嗟に手首から手を離した。コールの手首にはくっきりと、赤い手の跡が残ってしまった。それがあまりにも彼女の白い肌に映えてしまって、暗闇の中でもよく見える。コールは痛いと言った割には跡のついた手首に見向きもせず、目を伏せた。

「おい」
「なぁに」
「お前、"消えたり"しないよな?」

 コールは一瞬顔を上げて、息を呑む。まさかヴァニタスからそう聞かれるとは思っていなかったからだ。コールはヴァニタスを安心させるように微笑む。

「消えたりしないよ。・・・ヴァニちゃんはどうなの?」

 コールの言葉に、ヴァニタスの心はずきりと軋んだ。一度ヴァニタスはコールの元を黙って離れている。幼い頃お互いがお互いを支えて生きてきたのに、コールを一人、"地獄"に置いてけぼりにしたのは自分だ。自業自得だと、ヴァニタスは鼻で笑う。
 その姿を見たコールは、一瞬目を見開くとすぐにまた微笑んで、「そう」と納得したようにヴァニタスに背を向ける。
 今日は満月。異常な程丸く大きな月がコールとヴァニタスのことを見守るように照らし、コールの後ろ姿が逆光でその姿は月に帰るかぐや姫のようだとヴァニタスは思う。これ以上コールを止めても無理だと感じて「じゃあな」と一声かけて、ヴァニタスもまた、コールに背を向けて来た道を走り戻る。

 ◆

「あーあ、カッコ悪いなぁ、私」

 ピタリと足を止めたコールは満月にヴァニタスに掴まれた跡が残っている方の手をかざす。一瞬、コールの目の前がバグに犯されたようなノイズが走るが、コールは目を細めるだけで、驚きもしなかった。
 それもそのはず、"コール"はこの世界の住人ではない。彼女がこの世界にいられるのは期限付きである。先ほどのバグのような視界は、そのせいである。

「この世界は、偽物だってヴァニちゃんに教えてあげなきゃ…現実のヴァニちゃんは戻ってこない。それなら私は…」

 コールは月にかざしていた手をまじまじと眺める。あの時は興味なさそうな様子をしていたが生々しく残る跡は、まるで結婚式のような誓いのようだとコールは思っていた。コールは跡のついた手首を片手の人差し指で愛しげになぞると、そのまま跡に口付けをした。その姿こそコールにとって、乙女の捧げる誓いである。

 満月を前にして自身の手首に口付けをする姿は、側から見たら女神とも見えた。

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