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たまには里帰りもいいかもしれない。と田舎らしく人気のいない電車でヴァニタスは鼻を鳴らす。
コールはまだ学校に来なかった。ヴァニタスが酷い目眩でヴェントゥスとタクシーで帰った日の翌日、学校の帰りに彼女の今の家に行った。そこは高級マンションとも言えるビルの様な高層階になっており、コールの部屋はその高くも低くもない階だった。ロビーにある機械で彼女の部屋番号を入力したが、反応はなく、ポストを覗くも、ここ一週間ほどの郵便物が溜まっており、しばらくここに帰っていないことを意味していた。
ポストを覗いている時に、白い髭を生やした腰を曲げていない老人が声を掛けてきたが、やはり彼女はここしばらく帰ってきていないらしい。
それからヴェントゥスとヴァニタスは、家のリビングでコールを探すのか、どうするのか念入りに話合った。話し合い中に双子の弟たちも「「俺たちもさがす!」」と息を巻いて身を乗り出してきたが、「子供は勉強して寝てろ」とヴァニタスのデコピンによってすぐ様退散した。
「家にいないとしたら、一体コールはどこに行ったんだろう?」
「…もうひとつ、もうひとつ。家があると言ったらお前はどうする?」
「え?!」
コールは今現在、一人では大きすぎるあろうマンションに住んでいるが彼女の実家ともいえる、かつて住んでいたあの田舎にあるはずだとヴァニタスはヴェントゥスに教えると、「でも、弟たちを置いてふたりでそこまで行けないよ」と目に見えて肩を下げる。ヴァニタスは鼻を鳴らすと「俺だけで行く」と小さく呟いて、見慣れた駐車場が広がるファミリーレストランの窓の外を眺めた
◇
電車は相変わらず古めかしく、一時間に一度来るような私鉄線で、窓の外には特に目に入るものはなく、橋の下には青々しい海が広がっており、快晴と相まって眩しい。街から数時間乗り継いだ先で、ヴァニタスは電車を降りた。ここが終点であり目的地である。無人駅のようなホームの裏から聞こえるのは、都会の街では聞くことのない、海が退いていく音だった。
ヴァニタスにとっては、これが初めての里帰りである。街に越して兄弟たちと過ごし始めてから一度もここには帰ってくることはなかったからだ。───コールをこの地獄みたいな世界に一人残して。
無人駅の改札を通ると、そこにはビーチが広がっている。ヴァニタスは夏服であるものの、世間的にはまだ海開きをしていないのでビーチにいるのは物好きなサーファーしかいない。そんなビーチに、見慣れた影が陽炎でゆらめいている。ナスの様な紫色の長く結われた髪が生ぬるい風でゆらめいて、クラゲのようだとヴァニタスは思った。
「おい」
意外と早く、コールを見つけることができたヴァニタスは歩きにくい砂浜をローファーで踏みしめて近づき、彼女の後ろ姿に向かって声をかけたが、反応はない。呆れたようにもう一度、声をかけて彼女の肩を掴んでこちらに無理やり自身の方へと向かせるが
彼女には顔がなかった。正確にはのっぺらぼうという訳でもなく、彼女の顔であった部分に広がるのは、闇。吸い込まれそうなほど暗く、恐怖と不安を煽る。闇。闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇闇。
────────────。
「ヴァニちゃん? ヴァニちゃん?…大丈夫?」
「んっ」
気を失っていたのか、ヴァニタスは砂浜に座り込んだコールの膝に頭がのせてあり、膝枕という状態だった。目の前にはコールの"顔"がある事にヴァニタスは目を擦ると、先ほどの光景が夢か何かなんだと理解した。不安そうに眉を顰めたコールは、ヴァニタスの頬を撫でると「ここは暑いもんね」と眩しいと言うように目を細めた。
ヴァニタスはしばらく頭の整理をしたあと、ふらつく頭を抱えながらコールの膝から起き上がる。起き上がると、血の気が引いたように一瞬力が抜けたが、すぐに血は全身へと巡り、ヴァニタスは首を回した。
「おまえ、何でこんなとこにいるんだ?里帰りなら三日もあれば充分だろ」
「三日…?え、嘘。三日も経ってた?!」
「はぁ…」
思わずヴァニタスは「心配して損したわぁ」とため息を溢す。逆にコールは「心配かけてごめんね」と鈴のように笑った。
「この町はきらい。だけど海が見たくて叔父さんに頼んで、戻って来ちゃった」
その言葉にヴァニタスは息を呑んだ。今だに、コールが叔父を頼ったということは父親は帰って来てないということだ。コールの父親は昔から仕事人間だったが、仕事人間の余り、コールの世話も家に帰ることもない。子供をネグレクトするようなクソ野郎だとヴァニタスは思う。それに関しては、ヴァニタスの家庭事情も似たようなものである。思い出すだけでも、痛く、苦しい辛い日々を、和らげてくれたのは今目の前にいるコールだけでこうして"家族"と今過ごせているのも彼女のおかげだ。
コールがいなくても、兄弟に囲まれて幸せだった。でもコールが戻ってきて、振り回されながらも彼女の隣で見る世界はやはり違って見えて気付かぬうちに彼女の存在を求めていた。簡単に言えば、依存していたのかもしれない。それでも、ヴァニタスは彼女が戻って来てくれるならそれでいいと思った。
「いつまでもここにいたら、もう日が暮れちゃうや。どっかご飯でも食べに行こうか?」
海を眺めていたコールはヴァニタスの方を振り向いていつものように微笑む。ヴァニタスはずっと見たかった彼女の微笑みに、どこか安心して肩を下ろす。
「ファミレスでいいか?」
「うん!ヴァニちゃんと一緒ならどこへでも」
『それが本当ならいいのにね』
ズボンについた砂を振り払い、立ち上がった時に、コールの後ろの方から声が聞こえて、ヴァニタスは驚いてすぐさま振り向くが、後ろにはきょとんっと顔をしたコールがどうしたの?と首を傾げており、何も聞こえていないようだった。先ほどの声は旅疲れ(里帰り)の果てに起きた幻聴なのだろうか?
声の出どころがはっきりしないことにもやもやとしたまま、ヴァニタスは「さっさと行くぞ」とコールの腕を引いた。
砂浜にはもう誰もおらず、波の音だけが響いていた。
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