不思議な塔の時間感覚はあまりにもわかりにくいとコールは今、改めて実感する。
元キーブレードマスターであり、魔法使いイェンシッドの住む魔法の塔は外は星の瞬く朝焼け、夕焼け、星空を全て混ぜ合わせたように美しい空に覆われており、時間の感覚などとうに忘れてしまう。それがもし、キーブレード使いとしての修行中の身ならまだいいのかもしれない。だが、少女、コールは違う。
コールはこの魔法の塔の地下に居候をしており、イェンシッドの弟子でもあり、"キーブレードマスター"でもある。いわばキーブレード使いの一歩先、本来なら弟子がいてもおかしく無い存在である。現に、弟子はいなくても彼女には可愛い弟弟子がいる。いわば、彼のお手本でならなくてはならない。
そのはずなのに、コールは俗に言う"寝坊"をしたのだ。時間の感覚がわからないことをいいことに、呑気に上半身を起こし、大きくのびとあくびをすると、まだ眠たい目をうっすら開けながら時計の針を確認しては、顔を青くして布団を蹴り上げる。
「もーーーー!私のばか!ほんとばか!今日は大切な日だから、遅れたくなかったのに!もーーーーーぉ」
立ちくらみでふらつきながらも、ベットから立ち上がり、コールは急いでケープとパレオを羽織り、幾分か乱れた髪を急いで整える。
コールが起き上がると、魔法で部屋中の家事をしてくれてる箒のうちの一本が、彼女のために全身鏡を差し出し、髪から足先にかけて身だしなみのチェックをしていく。
こんな事なら、忙しい弟弟子に頼んで時間通りに起こして貰えばよかった。…でも、彼はイエンシッドの元で彼は修行に日々忙しくしているし、あぁ見えても弟弟子は一国を担う王なのだ。自分なんかのことよりも、自分のことでいっぱいだろうと、コールは大きくため息をつく。
コールはスピーディーにかつ細かく全身のチェックを終えると、階段を駆け上がり自身の部屋を後にした。
今日は旅立ちの地で行われるマスター承認試験に珍しくお呼ばれをされた日だ。これを逃しては今後の信用に関わる重大な式典でもあり、何より、コールはその地で合う予定の他のマスターたちに伝えねばならないことがある。…そのためにも、遅れてはならないし、何より到着後丁度試験が終わってしまったともなれば一大事だ。
こうしてはいけないと、コールは足早にイエンシッドにも弟弟子にも挨拶をしないまま、塔を飛び出したが、それからしばらく、彼女が行方不明になってしまうとは誰もこの時思わなかった。
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いつ来ても旅立ちの地は美しい場所である。浮島にポツンと塔が聳え立つ魔法使いの塔よりかは野花が咲き、そこに聳え立つ清潔感あふれる白い城の方が浮足立つというものだ。
コールはこの地には数回しか来たことがないが、いずれも同じ感想を抱いた。
重たい扉を開け、コールは急足で承認試験の会場となる広間へと向かう。
「遅れてごめんなさ〜〜〜い!!!」
そう言って勢いよく扉を開けては開け、広間へとたどり着くと、ギョッとした目がコールへと向けられる。一番扉の近くにいた金髪の少年なんて「わっ」っと小さく肩を震わせて一歩引いて驚いている。少し申し訳ないことをしたかもしれない。と少年に小さく耳打ちするように「ごめんなさい」と言ってから広間へと入る。
その光景にすら、広間にいる者は皆口をあんぐりと開け、驚いている。どうやらタイミングも悪かったようで、二人の男女が向かい合って間をとってるのを見るに、実技試験が始まろうとしてたことにコールは気づき、一瞬にして顔が熱くなるのを感じる。
「や、やっぱり私お邪魔だったかも?帰りま〜す…「んン"っ…マスター・コール」…はい」
威厳のある声に、コールはぴくりと肩を振るわせる。
彼女の名を呼び、席から思わず立ち上がったのはマスター・エラクゥス。コールをこの承認試験の見届け人として呼び出した人物でもあり、かなりのご老体であるはずだが、威厳のある声と立ち姿ははまだまだ現役であることを感じさせる。コールは冗談で切り抜けようと思ったのだが、それは敵わず。エラクゥスは今一度咳払いをする。
「まぁ、いい…マスター・コール、座りなさい」
エラクゥスの言葉に、コールは冷や汗を垂らしながら「はーい」と呑気に返事をした。扉の前から広間にある席に歩くまで、鼻歌で気分を誤魔化そうともするがエラクゥスの弟子であろう三人からの視線があまりにも痛い。
扉付近を通り過ぎる時なんか、最ほどの金髪の少年と目があってしまい、コールは優しく微笑んで通り過ぎるが、少年も思わず彼女を目で追ってしまっていた。それもそのはず、少年から見た彼女は、かなり"歳が近い"はずだ。
今度はエラクゥスと反対側の席に座っている銀色の髭をした褐色の老人。マスター・ゼアノートに「マスター・コール」と急かされ、コールは苦笑いをして足早に用意されていたであろう真ん中の席に座る。
コールが席につくと、思いの外早く実技試験は再開された。実技試験中、ゼアノートが闇を仕向けたのを、コールは横目で確認し、エラクゥスの方を見て気づいていないのか?と様子を伺うが、そんなそぶりは見られなかった。
「(流石に、範囲は狭めてあげようかな…)マスター・エラクゥス、結界を張っても?」
「…あぁ、頼む」
エラクゥスの言葉に頷くと、席から立ち上がりコールは
コールはキーブレードマスターであるが、本来、キーブレードでの実績よりも魔法や結界などが飛び抜けて得意である。それは今、承認試験中のエラクゥスの弟子の一人、アクアも確かそうだよなぁと思わず笑顔になってしまう。
詠唱は謎の光の玉が消えるまで唱え続けるが、案の定。コールの身体は拒否反応のように"キーブレード"を拒み始める。現に、ポタポタと血溜まりが床にでき始める
(あぁ。私。やっぱりもうだめなんだ)
コールがこの承認試験に来た理由は、何もエラクゥスの弟子たちを見届けるためだけではない。
———キーブレードマスターを引退する話をしに来たのだ
◆
「マスター・コール、手数をかけてすまない…それよりその血は…!?」
「あー…だいじょーぶです。多分…少し休めば!」
承認試験は無事終わり、今回の承認試験では、アクアのみがマスターになった。それはとても喜ばしいことだが、結界を解き、キーブレードを消失させ、立ち上がってもなおダラダラと流れる赤黒い血は、鼻からだった。まだ吐血よりはマシだったなとコールは思う。
「こんな状態なんですけど、私、御二方に言わなきゃいけないことがあります」
コールの言葉にエラクゥスは何事かと息を潜め、ゼアノートは何やら不敵に笑っている。
コールは腕で流れてくる鼻血を拭き取り、心を落ち着けるように深呼吸をしてくが、心臓だけが沈黙に耐えきれず大きく鼓動していく。
「私、マスター・コールはマスターおよびキーブレード使いを引退します!」
その言葉に、誰が口をあんぐりと開けないだろうか?あのゼアノートでさえ、相当驚いただろう。一瞬だけだったが、怪しく光金色の瞳を見開いて息を呑んでいた。
コールは今この場にいるのが、エラクゥスとゼアノートだけでよかったと心から思う。
「それは……なにか理由があるのか、マスター・コール。きみはまだ我々とは違い若い。まだまだ引退するには早すぎるぐらいだ」
「えっと、それは…さっきの血が、理由です。キーブレードを握ると、拒否反応のように血が溢れ出たり、手が震えます……もう、キーブレード使いとして戦うのは無理かもしれないです」
戸惑いながらもゆっくりと自身の症状を話していくコールと対照的に、エラクゥスは低く唸り目を伏せてしまう。ゼアノートは興味深そうに自身の長いヒゲをいじりながら口を開く。
「まぁ、今すぐに辞めなくとも良いだろう。とりあえず、療養などしたらどうだ、マスター・コール」
ゼアノートの意外な提案に、申し訳なさから体を小さくしていたコールは身を乗り出すように体が伸びる。
療養!素敵な響きだろうか。綺麗な花の咲く世界に、小屋を構えそこでアンティークチェアに座りながら紅茶を飲み、本を読む…理想の隠居生活だとコールの瞳は輝く。
コールの一喜一憂する姿に、エラクゥスはどこか顔が綻んでしまう。その容姿のせいか、その姿があまりにも、今はもう会うことはできない"昔の仲間"と重なって見える。
「そうだな、それがきみにとって一番いい選択かもしれない…」
「はい!ありがとうございます、私、初めての療養、しちゃいます!」
えへへ、と照れくさそうに笑いながら敬礼するコールに対し、ゼアノートが口端をあげて笑っているのを誰も気づくことはない。
◆
「話し合いも無事終わったし、これから療養生活もとい隠居生活!えへへ、このままイェンシッドのおじいちゃんのところに隠居はなんか狭苦しいから、せっかくなら他の世界に隠居するのも手だな〜、せっかくなら小屋なんか建てちゃったり?!海の見える島なんかもいいかも〜!」
話し合いが終わって早々、コールは浮き足だって広間を後にした。どれだけ浮き足だっているかというと大きい独り言を呟きながら一人でわーきゃー!とこれからのことを想像するぐらいだ。それでも、目の前に見慣れない黒と赤がいるのを見逃さなかった。
目の前には黒い筋肉のような模様の入り、どこか赤みの帯びたパレオをつけた仮面の少年が目の前に立ち塞がっており、コールは足を止める。
この子は一体誰だろう?背はコールより少し低く、ヘルメットのような仮面をつけていることからその表情は読み取れず、見たところ証人試験のあの場には居なかったはずだ。なら、部外者なんだろうか?それとも———
「えっと、あの…もしかしてゼアノートのおじいちゃんのお弟子さん…?」
コールの考えついた答えはこれしかなかった。彼がエラクゥスの弟子ではないならマスター・ゼアノートの弟子の可能性がある。
「……あぁ」
少年の間のある返答に、コールはなんだか嬉しくなり、警戒心など無いという風に浮き足だって笑顔で少年に歩み寄る。
「そうなんだ!私はココール、よろしくね!キミの名前は?」
「……」
今度は返答が返ってこず、不安そうにコールは思わず見えない仮面の内側を覗き込む。
「………いいのか?」
「なにが?」
やっとの事で返ってきた言葉にコールは何のことだろうかと首を傾げる。そんな彼女に苛立ちを感じたのか、仮面の少年は小さく舌打ちをする。
仮面の少年は、数年ぶりに"彼女"と再会した"はず"だ。前と雰囲気こそ違うが、やはり"彼女"の言っていることは正しかった。流石、"予知書の乙女"と言うべきか。
「まぁいい。俺には関係ないしな。…それに、お前はもっと自分のことを心配した方がいいんじゃないか?」
「えっ……っ!!!」
突如、焼かれるような痛みがコールの身体を蝕み、その身体は崩れ落ちる。突然の事に、受け身もうまく取れないまま床に落ち、意識も朦朧としてくる。一瞬のことで一体何をされたのか、コールは全くもって見当が付かない。
ただ、倒れ込んでしまったコールの視点は少年の足元であり、少し、視線をあげれば禍々しい、歯車をモチーフにしたようなキーブレードが少年の手に握られているのが見える。
「な、…んで…?」
意識の途切れるコールが最後に聞いたのは、少年の乾いた笑い声だった。
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ヴァニタスは床に転がる予知書の乙女の身体を足先で軽く蹴ると、目覚めぬことを確認してから仮面を取る。
今はコールと名乗る少女—、キーブレードマスターであった少女、———予知書の乙女は、あの時とちっとも変わらなかった。
とある時は奇想天外な少女に、ある時は女神のような慈愛に満ちた乙女に。今回は前者が強かったが、彼女が予知書の乙女であることは確かであった。その証拠に、あの時と同じ、黒い王冠のピアスが揺れている。
「奇妙な女だ…」
ヴァニタスは膝を曲げてしゃがみ込むと、コールの髪に触れ、顔のそばにある髪を退けて柔らかい頬を撫でる。
あの時から成長してない身体、顔つき、それこそ彼女が自身と同じ普通の人間ではない証でもある。
ヴァニタスがコールを眺めていると、時期にゼアノートが階段を降りて向かってくる。
「ヴェントゥスの様子はどうだ?」
目の前の床に転がる乙女よりも、ヴェントゥスの心配をするゼアノートに、ヴァニタスは鼻で笑いながら立ち上がる。
「まだ全然だ。俺が鍛えてやらないとな」
「ここではやめておけ、奴に勘づかれると面倒だ」
「わかっている」
「…乙女をこれ以上傷つけるな。このまま光の世界へ運べ」
付け足したように言うゼアノートに、ヴァニタスは乙女を拾い上げ、傍に抱えるとゼアノートと共に旅立ちの地を後にした。
それから暫く、コールとマスター・ゼアノートは消息不明となり、その姿を見たものはいない。